余韻嫋々(よいんじょうじょう)たるこの歌から彷彿される光景を、
岐阜の愛酒老長久氏の文を借り、味わってみましょう。
腰を弓なりにした老婆が、しかも重い三升樽を下げて、杖を頼りに
歩いて行く、ただ歩むのだに大儀な老婆にこれは相当な重労働である。
にも不拘この民謡の響には、少しも労苦を感じ取れない。それのみか
逆に喜びに満ちた足どりが想像される。
それはこの三升樽には人情のこもった祝酒が充たされているからである。
行先はお産のために在所に行っているその嫁の実家、そこではかわいい孫
が生まれたのだ。
日ならず帰って来る嫁と孫を待ち切れず、早く孫を抱きたい。
そして嫁のお父さんお母さんと共に、心から祝いあいたい。
こんな喜びにいそいそと行く老婆の後姿にかける村人の親しみある言葉・・・・。
岐阜の愛酒老長久氏の文を借り、味わってみましょう。
腰を弓なりにした老婆が、しかも重い三升樽を下げて、杖を頼りに
歩いて行く、ただ歩むのだに大儀な老婆にこれは相当な重労働である。
にも不拘この民謡の響には、少しも労苦を感じ取れない。それのみか
逆に喜びに満ちた足どりが想像される。
それはこの三升樽には人情のこもった祝酒が充たされているからである。
行先はお産のために在所に行っているその嫁の実家、そこではかわいい孫
が生まれたのだ。
日ならず帰って来る嫁と孫を待ち切れず、早く孫を抱きたい。
そして嫁のお父さんお母さんと共に、心から祝いあいたい。
こんな喜びにいそいそと行く老婆の後姿にかける村人の親しみある言葉・・・・。