今日9月30日は名古屋ショートストーリーの締め切り日です。
金魚も応募してみました。
以下に書き出し部分を少し改作してあります。
発表は来年1月頃。
私の家は港の近くにあって、小さな公園と大きな橋があった。
父は銀行員で朝は8時に出勤して、夕方は7時に帰ってきていた。
母は病気気味で私が小学校から帰ってくるといつも奥の布団から出てきて、お小遣いとして如何ほどかくれた。私はそのお小遣いで . . . 本文を読む
子供の頃、遊びに行った家に人形がありました。
大きな屋敷で、陽の当たらない奥座敷の飾り棚の上に置いてありました。
ガラスケースの中に入っていて、綺麗な着物を着た日本人形。
衣装人形というのはずっと後になって知った言葉です。
和服を着て振り返るような姿で、片手を頬に当てもう一方の手が帯あたりを押さえていました。下から見上げるとその人形の目と会って、ドキッとした思いがあります。
遊びに行くたびに、その . . . 本文を読む
この町の川沿いの裏小路に小さな画廊がありました。名前を画廊ピカソと言いました。
ショーウインドーに少し目を細めて川を見ている男の肖像画が掛かっていた画廊、と言えば分かる人もいるかと思います。
画廊の女主人は、10年前で70歳を超えていると聞いていたのですが、とてもそんな年には見えない素敵なマダムでした。
噂ですが、元タカラジェンヌであの八千草薫さんと同期だったといいます。
八千草さんがいなければ娘 . . . 本文を読む
この町にもひどい奴がいたものです。私の友人から聞いた話で、一方からだけの話ですから、多少は贔屓というか自分をよく言うとは思うのですが。
友人には兄がいたそうで、話を聞いていたら、私まで腹が立つような人です。あくまで友人の話が本当ならばですが。
友人の母が病気になっていたときも看病は友人に任せっきりでとうとう死ぬまで一度しか見舞いに来なかったそうです。
友人の父の時はもっとひどかった。失業中で父の家 . . . 本文を読む
昔の人は自分の死ぬ時が分かっていたかのような事をします。
例えば何日に死ぬから、用意しておけと指示したとか。
自分の死期をどうして知り得たのでしょうか。知りたいとも思わないのですけど。
近所のおじさんから聞いた話なのですが、人は死期が近づくと手紙が来るそうです。
白紙の手紙ですが、死期が近づいている人には、何が書いてあるのか読めるのだそうです。
「実はおじさんにも手紙が来たのだよ」と言って白紙の紙 . . . 本文を読む
この町には古道具屋の商店街があります。
東京・神田の古本屋街とまではいかないけど、結構古道具屋が並んでいます。
古道具といっても花瓶や皿ばかりでなく、絵も売られることがあります。
残念ながら大抵署名もないものですが、ときおり新聞で有名な絵画が二束三文で売られていたという話もあって、結構人気があります。
私も好きなんですけど、有名画家のものというより無名だけど味のあるものが良いですね。
先日、気に入 . . . 本文を読む
この町に記念日という喫茶店があります。入り口にちょっとおどけた人形のある小さな喫茶店です。テーブル席も五つしかないお店。
各テーブルには、大学ノートがあって「貴方がいいねと言ったから、七月六日はサラダ記念日。ここに貴方の記念日をお書き下さい」と表紙に書いてあります。
ノートを開くと「貴方と一緒にコーヒーを飲んだからコーヒー記念日」とか「そっと指を繋いだから指切りの日」というのや、ちょっと此処に書け . . . 本文を読む
人は生まれながらに白い糸と赤い糸を持っているそうです。
そう、赤い糸は運命の糸。赤い糸で結ばれると結婚するとか言うあれです。
そして、白い糸は命の糸。
もし、白い糸が絡み合うとどちらかの糸が切れるまで、引っ張り合わなければならないそうです。
ええ、切られた方は亡くなることになります。
引っ張り合う間はお互い病気になるので、病院にはいることになります。
いつ頃からか、私にはその糸が見えるようになりま . . . 本文を読む
小学生の頃だったと思います。
その頃には珍しく、私に女の友達がいました。確か3軒ほど隣の家で裏庭が続いていて、よく遊びに行きました。
女の子が綺麗と言うこともあったけど、彼女が持っているお人形が珍しかったのです。
いわゆる、カラクリ人形。
お茶をお盆に乗せるとカタカタと音を鳴らして近くまで持ってきてくれるのです。
私が、お茶を取ると空のお盆を持ってカタカタと彼女の方に帰っていきます。
2人の間をカ . . . 本文を読む
お祭りの夜は少しぐらい夜更かししても叱られませんでした。
近所の家の前にも提灯が掛けられて町中が明るかったものです。
でも、お祭りが行われる神社は町から少し離れていて、真っ暗な森の中でそこだけ遠くから明るく見えました。
神社へは田んぼの中に一本道があって、お祭りに行けると遠くの明かりを見ながら、浮き浮きして歩いたものです。
そう言えば、神社へのこの道は現世と来世をつなぐ黄泉の道とも言われていました . . . 本文を読む