読書と数学、そしてPC

読書、数学、パソコンが趣味

20世紀のゲーデルから19世紀のガロアへ

2014年08月26日 | 数学
20世紀のゲーデルから19世紀のガロアへ 2014/6/30
ゲーデルの次はさて何をやろうか、と思案していたが、思いきって、ガロアの群論にチャレンジしてみようと考えた。なぜ5次方程式には解の公式が存在しないのか、どうして「存在しない」と証明できるのか、どうしても理論的に理解したくなった。
1次方程式 ax+b=0 (a≠0)は、x=-b/a、これは中学数学。
2次方程式 ax^2+bx+c=0 (a≠0)は、x={-b±√(b^2-4ac)}/2a 、これも「平方完成」という四則演算とべき計算で簡単に導ける。
3次方程式のカルダノの公式、それに基づく4次方程式の解の公式も、複雑ではあり、計算は厄介だが、論理的にはさほど難しくはない。
そして、5次以上の方程式には解の公式がない。
しかし、ガウスが証明した「代数学の基本定理」によれば、「n次方程式には複素数体の中にn個の解が存在する」、という。
最初は戸惑った。「解の公式は存在しない」、しかし「解は存在する」とはどういうことか。詳しく見ると、「方程式の係数を使って解を示す式は存在しない」とある。
面白そうではないか。よしチャレンジしてみようと考えた。この分野の数学を「群論」と言うらしい。ガロアはこの群論という数学を創設した天才で、現代数学の中で最も抽象的とされている代数学Algebraの基礎を築いたらしい。21歳で決闘に敗れて死んだ、とある。
どうせやるなら、「数学読み物」ではつまらない。教科書を探した。そして次の本をAmazonで見つけた。
Foundations of Galois Theory M.M.Postinikov Translated by Ann Swinfen Dover Publiations ,inc 1st published in 1960
英語の本を選んだのは、外国から輸入された学問は日本語の専門用語は時に「おどろおどろしい」が、英語の場合普通の日常用語を使っているから比較的とっつきやすいこと、それに英語の方が日本語より論理的に明確に書かれているから。例えば、「群論」より、「Group Theory」の方が易しく感じるし、また、「~は・・・であり、~~だ」というような日本語は時に理解に苦しむが、その点英語の方が前提として述べているのか、論理の流れで必然的にそうなる、と述べているのかがはっきりしている。
ということで、まず第1ページを開いた。

the Galois groupの概念がつかめない 2014/7/8
体P上のnormal field K、というところまでは何とか理解できた。そこから進まない。P上のautomorphismは、写像の合成を演算として群であるというのはわかったが、その後が続かない。
なぜc∈Pのとき、cのautomorphism:Sによる写像はcに等しいのだろうか。
 if c∈P,then S(c)=c,where S:K→K、K=P(α1、・・・、αn)、KはPの拡大体。αは体P上のf(x)の根。
またもや、「自明である」という難問にぶつかった。数学で何が難しいかと言うと、「以下のことは自明である」と著者が書いた内容で、私はいつもこの「自明=trivial」で引っかかって前に進めなくなる。「どこかの定義の意味を理解していないからこうなるのだ」ということは分かっているがそれがどこなのかがわかるまでに時間がかかる。
1日に1ページ進むか進まないか、3ページ進んでは数ページ戻ってもう一度言葉の定義を読み返している。たった100ページぐらいと思ったが、これは数カ月かかりそうだ。

7月31日記
定義の文章の読み間違いで理解できていなかった部分が理解できた。
automorphism of the field K over the field P(体P上の、体Kの自己同型写像)の定義は次のとおりとなっていた。
体P上のnormal extensionである体Kの自己同型写像(K→K)であって、
体Pの要素を不変に保つ写像
つまり、if c∈P,then S(c)=c,where S:K→K、K=P(α1、・・・、αn)というのは定義が分かれば自明である。考えてもわからなかったのも無理はない。たったこれだけのことに半月以上かかった。ああ!

§ 3 Galois Theory 2014/7/16
やっと第1章第2章の「基礎知識編」が終わって、第3章「ガロア理論」というところまできた。本文107ページのうち、33ページまで読み終わった。ただここで、何となく嫌な予感がした。このまま読み続けると、どこかあと数十ページ行ったところで何が何だかさっぱり分からなくなるような気がしてきた。
やはりこれはまずい、ページを進めることが目的で読み始めたのではない、何とか理解しようと考えたのだから、この際、第1ページからもう一度読みなおそうと考えた。そして今日までに3日かけて1~20ページ分を再読した。一回目と違って、理解が早いし、知識が確実になってきた。定義がはっきり覚えられた。前回読んだ時のノートの誤記、誤解釈に気付いた。最初はある命題の証明が出てくると、その証明の論理を追うのに精いっぱいで、何のためその命題が必要なのか、という点に思いが及ばず、証明を理解した後の文章の内容理解に苦しんだが、今回はきっちり考えたら理解できるはずという証明はあらすじを理解し、言葉の正確な定義、証明された定理の内容、そしてそれらを貫く論理の流れを重視した。そうするとかなり前回より話がすっきりと腑に落ちるような気がしてきた。
相当集中しないと理解できない本だから、1日2時間集中できるとして、約1~2ページ。1週間に4日程度が限界だから、4~8ページ/週。残り80ページとして10~20週。なんとか寒くなるまでには終わりたいものだ。
こういう「ノルマ」計算をしていると、受験勉強をやっていた半世紀以上前の夏休みを思い出した。当時は分厚い参考書が科目別に何冊もあり、日数×1日の勉強可能時間合計を科目別に割り振り、その時間で参考書1冊を仕上げるには1時間で何ページ進まないといけない、というノルマ計算をして、実行したものだった。その点、今は趣味でやっているのだから、「納期は存在しない」、楽しめば良いというのは幸せな限りだ。

2014/08/05  Galois群の定義
少しずつわかってきた。
Galois群とは(以下証明省略)
(1)用語の定義
・「基本体(fundamental field)」P
・その「normalな拡大体K」(Normal extension of P) 
Kはextension of Pだから、K=P(θ)
normalの定義によりKは有限、かつ、if α∈K then” any element conjugate
to α”∈K
またKは decomposition field of f(x) over P でもある(別途証明あり)
・automorphism S : K→K(Kの自己同型写像S)はhomomorphism S of K onto itselfだから、次の性質を持つ
α、β∈Kならば、(α+β)^S=α^S+β^S 、 (αβ)^S=α^Sβ^S 、 (α^S)^(- S)=α
(べき記号「^」は写像の操作を作用させることを示す。α^Sとはαに写像Sを作用させること)
・automorphism S of K over P(体P上の拡大体Kの自己同型写像S)とは、
if c∈P then c^s=c(つまりKに含まれるPの元はSの作用では不変)
このとき、automorphism S of K over Pの集合は、写像の積の演算(下記)により、群となる(別途証明)。
α^(ST)=(α^S)^T、α^((ST)U)=α^(S(TU))、α^E=α、SS-1=S-1S=E
(2) 「Galois群」の定義
このautomorphism S of K over Pの群を「Galois群」という。

それにしても骨があるテキストブックだ。1日2時間かけてやっと3ページぐらい進むが、翌日その最後の2ページの復習から始めないと進まないので、結局1日1ページのペースになっている。

Godel's Proofを読んで

2014年08月24日 | 数学
Godel’s Proof 2014/5/27
E.Nagel、J.NewmanのGodel’s Proofを読み始める。5年前に一度読んだ本だが、もう一度読もうと考えたのは、最近頭の体操になりそうな数学の本格的なものが見当たらなかったため。
今日読んだ中で印象的だった点は、Hofstadterの序文における彼の個人的な思い入れとHofstadter自身の著書、Godel,Escher,Bachとのつながり、そして本文の頭にでてくる数学とはどのような学問であるかということの説明。
経験科学では観察と一致するものが定理として受け入れられるが、数学はdeductive discipline(演繹的学問体系)だから、いくつかの公理を基礎として受け入れ、そこから論理規則によって得られるものが定理となる構造である、ということ。ある程度そういうものだとわかっていたが、言葉ではっきり書かれたものをよむと「腑」に落ちる。

Godel’sProof consistencyの証明と apple cart 2014/5/28
ある論理システムが無矛盾であることの証明を具体的なモデルにあてはめて示すことはあてはめたモデルが無矛盾であることに依存する。だから「非」ユークリッド幾何学を球面上のユークリッド幾何学で示すことはユークリッド幾何学の無矛盾性に依存する。つまりそれは証明にはならないということ。(同書第Ⅱ章の結論)
本論とは別に面白い英語の表現を見つけた。
upset the apple cartリンゴの車をひっくり返す、とは「誰かの計画を完全にダメにしてしまう」to completely spoil someone's planという意味だそうだ。the apple cartリンゴの車とはどういうものなのだったのだろうか。乳母車の大型のもの、大八車の上に箱が作りつけてあるもの、そういうものではなかろうか。確かにひっくり返すと元に戻すのは1個1個拾わねばならず、かつ売り物にもならないからまさにspoilなのだろうな。英語の熟語にはappleが使われたものがいくつかあるのはなぜだろうか。英語圏より今は日本のリンゴの方が有名なのに。

Gödel’s Proof 2014/5/29
多少この本の説明をする。
本書はHofstadterの編集、foreword付きcopyright2001の新版だが、原著は1958年の出版。Gödelがあの有名な「不完全性定理」の論文を発表したのが1931年だから、まだ自然科学系学者と学生の間でしか一般的でなかった頃に書かれたといってもよいだろう。今では、Gödelの論文は20世紀の大きな思想の転換点パラダイム変換になったとして、物理学の不確定性理論や量子力学などとともに、哲学・社会学など、数学を離れた分野でも「もてはやされ」ている。Hofstadterが「Gödel Escher Bach」という本を書き、これがアメリカの文系大学生の間で飛ぶように売れ、空前のベストセラーになった1970年代に、その表題にもなっているGödelがかなり有名になった。(もっとも当時、Hofstadterのこの本は「最も売れた本だが最も読まれなかった本」と言われた。かなり分厚いうえに、極めて論理的かつ厳格に、数学を多用して書かれているので、特に高校卒業レベルの数学の知識を持っていない文系学生では歯が立たなかった。)
Gödelの証明の論理を理解するのはかなり難しい。大学でも数学科の学生しか普通は履修しない「数学基礎論」(ここでいう「基礎」はbasic=初歩的ではなく、foundation=土台、数学を建造物と考えたときの土台、建物の基礎の意味)という分野の学問で、論理学の範疇にも入るもの。放送大学では毎週45分の授業15回でGödelの不完全性定理(その1、その2)の講義をしている。このため、世の識者と言われる人たちの多くは「知ったかぶり」の「不完全性」の議論をしている。
まじめにGödelの証明したことを知ろうとするなら、放送大学の講義を半年間予習復習しながら聞くか、きちんとした本をノートを取りながら読むしかない。そうしたときに多少の論理学的な訓練を受けている人に分かり易い本がこの本である。
原著の翻訳はかつて「数学から超数学へ」という表題で、1968年に発行されたが、何とこの本の訳者あとがきには、「クルト・ゲーデルの名前は例えば岡潔先生ほどにはポピュラーではありません」とある。信じられない。今では「岡潔先生」という少し変わった数学者がいたことを知っている人はかなりの高齢者を除けば、数学関係者か大学関係者ぐらいだろう。最近,Hofstadter版の「ゲーデルは何を証明したか―数学から超数学へ」という新訳に衣替えしているが、やはりこの本は英語の原著「Gödel’s Proof」で読むべきだろう。
ということで、5年前に一度読んだものの、読んだときは理解できたが、しばらくすると何も残っていないことに気付き、再びチャレンジしようとして読み始めたという次第。

Godel’s Proof 2014/5/30
リシャールのパラドックス(Richard's Paradox)という「似非パラドックス」を読む(第6章)。
明らかにこれはパラドックスではない。ただ、これがGodelの不完全性定理の証明のヒントになっているということのようだ。少しずつ論理的に頭の体操が必要な文章が出始めた。


Gödel’s Proof 読み終わって 2014/6/8
読み終わったので、私が理解した範囲で、Gödelの証明の道筋を書いてみる。
(1)まず、Gödelはいったい何を証明したのか。ここが一つのポイントとなる。それは、
・いくつかの公理(axioms)と推論規則(rules of inference)に基づく形式的な論理体系(formal system)であって、数の足し算掛け算が定義されているシステムを考える。これは数学の基本的なものであり、数学はこの理論を基礎としている。
・この基礎的な理論が無矛盾(inconsistent)であり、かつ完全(complete)であることを数学者Hilbertが追及した。B. RussellとWhiteheadの共著Principia Mathematicaにより、無矛盾性・完全性の証明に一歩近づいた、と数学界は考えた。
・しかしGödelは、ヒルベルトの求める無矛盾性・完全性は、その前提とした公理系の「内部」では不可能であることを論理的に証明した。ここで、無矛盾とは、
ある数的な性質Pを考えたとき、「Pである」ということと「非P=Pでない」という両方の命題が導かれる(証明される)ことはない、つまり、
「いくつかの公理と推論規則に基づく形式的な論理系で、Pと非Pの両方が証明されることはない」ということであり、
また完全性とは,その論理体系におけるすべての真である命題は証明できる、ということをいう。
・言い換えるなら、Gödelは、基礎的な数を扱うことのできる公理系について、それが
「無矛盾であれば決定不能命題が存在し不完全である」ことを証明し、加えて、
「無矛盾であることはその公理系の内部においては証明不可能である」ということを証明した。
(2)その証明にあたりGödelが用いた手法は、
・数式と数式のメタ数学的論理、つまり推論規則による論理のつながりそれ自体を「ゲーデル数」という手法を用いて「数字」に変換し、数の足し算掛け算の公理系の中に一対一に対応させて扱うことを可能とした。
・次に、公理系が無矛盾であるという前提のもとで、「ある特定の命題は証明不可能である」という特殊な命題Gを考え、この命題を数字化(ゲーデル数に変換)することで、この命題Gが成り立つのは、命題Gが成り立たない場合に限る、ということを、その公理系の数論の内部で導き出すことに成功した。これにより、公理系が無矛盾ならば、Gと非Gのいずれが真であるかは決定不可能(=公理系は不完全)ということを示し、くわえてそこから
・無矛盾であることそれ自体がその公理系の内部においては証明不可能ということを導いた。
(3)「ある特定の命題は証明不可能である」という特殊な命題Gとは
先に書いた命題Gは本書では次の通り表現されている。
~(∃x)Dem(x、Sub(n,17,n)) 言葉に直すと
~(∃x)は、 「そのようなxは存在しない」
Dem(x、y))は 「ゲーデル数xで示される推論規則に基づく論理の流れは命題yを証明する」の意味
つまりG式は
「Sub(n,17,n)と表記されるゲーデル数を持つ命題を導く論理の流れ(証明)は存在しない」
「Sub(n,17,n)と表記されるゲーデル数を持つ命題は証明できない」 ということになる。
理解が難しいのは、Sub(n,17,n)の意味であり、また、このSub(n,17,n)という項を持つ命題Gのゲーデル数それ自体ががsub(n,17,n)となる、ということ。だから、この命題Gは真である場合に限り偽となり、偽である場合に限り真となるので、矛盾のない(inconsistentな)システムでは決定不能、つまりシステムは不完全となる。
じっくり落ち着いて考えながら時間をかけて理解を積み重ね、分からなくなったら元の説明のページに戻ってもう一度読み直す、という読み方ができれば本文の論理を追いかけるのはそれほど困難ではない。微分を知らない人が積分の勉強をするような困難性はないし、イプシロンデルタ論法を理解するより本書の説明の方が易しい。ただ、理解できたと思った瞬間からその理解が抜け落ちていくような気がするのは私の年齢のせいであろうか。もっと若いうちにしっかり理解しておけば今回のように二度も読むことはなかっただろうとも思うが、物忘れするから同じ本で2度楽しむこともできることにもなる、と考えることとしよう。

続き Gödel's Proof edited by Hofstadter 2014/6/9
Hofstadterのforewordに、第7章は論理に誤解を招くところがあるので修正した、と言う意味のことが書かれている。どこを直したのか表示されていないのでわからないが、かなり大幅に直したみたいだ。というのも、当初の原著を翻訳した「数学から超数学へ ゲーデルの証明」(はやしはじめ訳、白揚社1969年第1版第2刷 私の手元にあるもの、以下旧版翻訳)と比較すると第7章はかなり異なっている。最初は翻訳者が勝手に変更したのかと思った。しかし旧版翻訳の「訳者あとがき」には「原著の脚注を本文に入れて翻訳した」とあるものの、本文自体を修正したとは書かれていない。この著者のその後の翻訳書を見る限りいい加減なことをする翻訳者でないことは明らかであり、信頼できると思われるので、原著の旧版翻訳と「edited by Hofstadter」の違いは翻訳の問題ではなく、Hofstadterの原文修正と見るべきなのだろう。(はやしはじめ氏の新翻訳の「訳者あとがき」を読んでみたい。)