泉心堂治療院

せんしんどうちりょういん

生物の進化と「無用の用」:道の医学

2025年03月01日 | Weblog

私たちヒトは多細胞生物です。

ヒトの細胞は様々な形に分化して生命活動に必要な様々な組織を構成し、

生命個体としての「身体」を作り上げています。

 

原初、生物は単細胞生物でした。

それから生物は進化し、多細胞生物が発生しました。

 

当初、多細胞生物はただの細胞の寄せ集まりで、

特別な役割分担はありませんでした。

そして、いつからか細胞は役割分担をするようになり、

その役割に合わせた形に細胞を分化させて様々な組織を生み出し、

全体を一つの生命とするようになりました。

 

寄せ集めの多細胞生物時代は、

それぞれの細胞が代謝に必要な栄養や酸素を外部より直接吸収し、

老廃物も直接排出していました。

その後、多細胞生物は袋状に形状を変化させ、

袋の中の空間から栄養などを吸収をするようになりました。

胃や腸などの消化管(消化腔)の原型です。

さらに進化して入口(口)と出口(肛門)が別々になり、

出入り口が一緒の袋だったのが出入り口が別々の一本の管になりました。

 

それから消化管の一部が分化して神経ネットワークの原型ができました。

消化管をコントロールして、効率の良い吸収や排泄をするためです。

そして神経ネットワークの一部が分化してセンサーの役割をする部分が出てきました。

栄養源を効率よく消化管内に取り込むためです。

目や鼻や舌などの祖先で、最終的には情報処理中枢として脳に進化します。

さらに吸収した栄養などを循環させる循環系、

物質を代謝させる器官(肝臓などの祖先)など、

様々な組織・器官が分化・形成され、多細胞生物は進化を続けました。

 

前置きの説明が長くなってしまいました。

ここからが本題です。

多くの細胞によって構成された、

様々な臓器・器官・組織で構成されている人体ですが、

始まりは細胞の塊から「袋」への形状変化でした。

そして「袋」になることによって、

「袋」の「外側・内側」という空間の区別が生まれます。

「袋」という「器」から「空間」という『無用の用』が生み出されたのです。

つまり消化管(消化腔)という内臓の始まりは、

人体での「無用の用」の始まりであるのです。

そしてそれが「道の医学」の原点なのです。


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2025年

2025年01月03日 | Weblog

2025年の巳年を迎えました。

昨年2024年は正月からショッキングな出来事でご挨拶を投稿しそびれてしまいました。

 

本年、私は50歳を迎えます。

50歳と言われて思い出すのが、

二十数年前のお正月、私の祖父が叔父に

「50歳になったらあきらめることを覚えなさい」

と話していたことがなぜか今でも印象に残っています。

そして私ももう今年で50歳を迎えることになりました。

 

確かに、老化は30代、40代で着々と進み、

50代に確実なものとなるような気がします。

そして若いころと違って

物事をあれこれ同時にできなくなったり、一気にできなくなったりと実感することも多くなるでしょう。

つまり時間の有限さが骨身に染みる年頃になりました。

 

50歳は孔子の言葉

「五十にして天命を知る」

より「知命の年」として知られています。

ではその天命とは⁇

それは「天から与えられた寿命」であったり、

同じく「天から与えられた運命や使命」であったり。

 

つまりは人生において時間の有限性を知り、

その有限な時間をどのように使うのか、

物事の取捨選択や優先順位をつけることが求められる段階に入ったのかもしれません。

 

そして、30年くらい前に祖父の言った

「あきらめること」

とはその取捨選択や優先順位のことなのかもしれない

と今になって思います。

 

そしてその過程を経て残ったものこそ

「天から与えられた運命や使命」になるのかもしれません。

 

本年もどうぞよろしくお願いします!

 


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2023年を迎えて

2023年01月05日 | Weblog

2023年の卯年を迎えました。

今年、私は4回目の年男です。

30年前の春、私は高校を卒業し、針灸の道を歩み始めました。

振り返ってみれば、生活のためもあるとはいえ

自分の性格で一つの物事をこんなに長く続けてこられたのは

奇跡としか言いようがありません。

 

私は48年前の卯年に誕生し、36年前の卯年に中学校に入学しました。

24年前の卯年は台湾での留学生活をスタートさせました。

12年前の卯年には東日本大震災が発生しました。

これまでを振り返ってみると、卯年には転機となる出来事が多かったような気がします。

とにかく今年こそは平穏無事に過ごしたいものです。

・・・とはいってもコロナ禍はまもなく4年目に突入し、ウクライナの戦争も年を越し、

昨年から不穏な雰囲気が世界全体を覆い続け、日本にも様々な影響を与えています。

そのような状況で今後自分はどのようにすべきなのか⁇

小さな小さな治療院を経営する立場とはいえ、巡る思いは尽きません。

 

そういえば、以前にお笑い芸人・ダンディ坂野さんのインタビュー記事を読みました。

そこで印象に残ったのは「変わらないための努力」を意識されていることです。

ご本人曰く「僕にとっての向上心とは一定を保つこと」

でも、そのために大金を投ずるとか大掛かりなことをするのではなく、

自分でできる範囲の事を継続して実践されているようです。

つまりは「見えない努力・さりげない努力」です。

彼はこうも言っています「これくらいでいいやっていう気持ちでやっていると、質が下がっていく」

恐らく、多くの人はたまにテレビなどのメディアで彼を見かけても

「相変わらずだな~」と思う程度なのだと思います。

しかし、何年経っても「相変わらずだな~」と思ってもらえるには、

妥協していてはダメなのですね。

 

「変わらないための努力」

これが次の年男(還暦)を迎えるまでの私のキーワードになるような気がします。

もちろん、変わらないこととマンネリ化は違います。

「あの先生に頼めば何とかしてくれる」

その信頼感・安心感に変わらず応え続けるためには、

成長という変化を続ける努力が求められます。

 

例えば、10年前に腰痛の施術を受けて良くなった人が、

再び腰痛になって来院されたとします。

ご本人にとって、私は10年前に腰痛を良くしてくれた先生です。

しかし、同じ腰痛であっても、10年前と現在では状態が違うかもしれません。

10年経てば体はそれだけ老化するし、

女性ならば妊娠出産や更年期などを経れば身体の状況が変化するなど、

様々な条件が重なって10年前よりも難しくなっているかもしれません。

それでも10年前と同じく信頼に応え、安心してもらうことができなければ

期待を裏切ってしまうことになります。

そして、10年前と全く同じことをやっていたのでは、

「今」の期待に応えることができない可能性があります。

そうならないよう、常に次の10年後に備えてコツコツと努力を積み重ね

成長という変化を続ける必要があるのです。

 

信頼感・安心感という根本的なものを変えないための変化。

そのためにやるべきことを模索し続けたいと思っております。

 

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます!!


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2022年を迎えて

2022年01月03日 | Weblog

昨年、大学で同じ部活だった同い年の同級生が膵臓癌で亡くなりました。

数年に一度OB会で顔を合わせる程度の仲ではありましたが、

それでも卒業以来、同じ時間軸で生きていること、

そしてこれからも生きていくことが当たり前だと思っていました。

その甘い認識が脆くも突き崩された瞬間でした。

 

そうでなくても昨年は新型コロナウイルスの感染拡大による医療逼迫によって

自身や身近な人が感染した場合に適切な医療が受けられるだろうかという不安がよぎりました。

 

そして世界ではコロナショックを皮切りに

原価高騰、物流の停滞など諸々の事情による値段の上昇や品薄の傾向が話題となりました。

 

当たり前のように守れたはずの命が守れなくなるかもしれない。

当たり前のように手に入った物が手に入らなくなる。

今まで当たり前だったことが当たり前でなくなってくる。

その始まりが2021年だったような気がします。

 

2022年は当たり前でなくなったことが逆に当たり前になるのかもしれません。

そして例えば病気になってから健康のありがたさが分かるように、

当たり前が当たり前でなくなって

当たり前であったことの貴重さ、有難さが身に染みて分かるのでしょう。

 

当たり前の価値や意味を見つめ直し、

自分や治療院という存在がどうあるべきなのか考えてみたいと思います。

本年もよろしくお願い申し上げます。


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漢方薬と無用の用:道の医学

2021年11月24日 | Weblog

漢方薬は動植物・鉱物由来の生薬の組み合わせによって処方されます。

例えば、初期のカゼに良く用いられる「葛根湯」は

「葛根、大棗、麻黄、甘草、桂皮、芍薬、生姜」

という7種類の生薬で構成されています。

それぞれの生薬には役割(薬効)があり、

それらが組み合わさることで

それぞれの作用を高め合ったり副作用や効きすぎを抑えたりして

効果が高く害の少なくなるようにバランスをとっています。

 

この漢方薬についても「無用の用」で説明することができます。

漢方薬の処方を構成する生薬は「器」のパーツようなものです。

一つ一つの生薬がパーツとなって「器」を構成し、

その器の中から生み出されたもの、つまり「無用の用」こそが、

例えば葛根湯ならば初期のカゼを治す「効き目」となります。

 

また、実際に漢方薬を処方する時には

患者の体質や病状に合わせて生薬の量や種類を調整する場合があります。

いわゆる「さじ加減」によって薬を一人一人の患者にあった「器」に仕上げます。

 

このように、漢方薬においても「無用の用」が根づいているのです。

 

 


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