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パチプロ「負男」との遭遇@ぱちんこ遊園

2012-01-10 23:57:56 | 懐かしのパチンコ本・攻略誌・漫画

今から20年近く前の「パチスロ必勝ガ〇ド」誌において、「この機なんの記」という何とも珍妙な企画が連載されていた事を、ご記憶だろうか。

現在も活躍中の名物ライター「パチプロ負男」氏が、俗に「マイナー機」と呼ばれる不遇なパチスロ台をホールで打つ企画だ。

実は私、この企画の取材現場に、一度だけ立ち会った経験がある。まぁ、立ち会ったというよりは、偶然その場に居合わせただけだが…。

 

過日、20年程前の「パチスロ必勝ガイ〇」誌を読む機会があり、忘れかけていた当時の記憶を取り戻す事ができた。今回は、記事の内容と当時の記憶を駆使して、かつて遭遇した貴重な場面を振り返ってみたい。

 

~パチプロ負男「この機なんの記」の取材現場に遭遇して~

・遭遇場所…「ぱちんこ遊園」(小田急線・向ヶ丘遊園駅南口、中和ビル2F=閉店)

・遭遇時期…1990年代前半(事情により、明確な時期は伏せる)

・負男が実戦した機種…「ガリバースペシャル」(北電子・2-2号機)

 

(北電子・ガリバースペシャル)


当時のガイド誌によれば、この取材で負男が「ぱちんこ遊園」を最初に訪問した時、店がある「中和ビル」がたまたま定休日で、取材は空振りに終わったという。見事に無駄足を喰らった格好だが、同行したカメラマンのW(W辺)氏が、こっ酷く負男を叱り飛ばしたとか…実に微笑ましい光景である。

 

(現在の中和ビル)

 

で、翌日懲りずに再訪問したところ、今度はちゃんと店は開いていた。この日、負男に同行したのはカメラマンのW氏ではなく、ガイド編集部の平①(H石)氏であった。

 

そして、当時この「ぱちんこ遊園」に良く顔を出していた私は、偶然にも取材現場を目撃する。

 

(当時、この「ぱちんこ遊園」のレトロな看板が、中和ビルの階段を上がった2F入口付近でピカピカ光っていた。)

 

店内で彼らを見た時、負男は風貌ですぐに分かったが、彼の背後で写真を撮っている人物が誰かは、正直分からなかった。負男イジリで有名な「キラー吉良」氏ではないか、と長年思っていたところ、当時の記事を読んで編集の平①氏だった事を初めて知った。

 

さて、「ぱちんこ遊園」に入店した負男は、持ち前の珍台アンテナがビビッと来たのか、西陣のマイナー権利モノ「ガンショット」(「ニュークーデター」ソックリのデジタルを使った3回権利モノ)を発見する。町田駅近くの「ダイマツ」というホールにも入っており、小田急沿線に生息していた超マイナー機だ。早速ガンショットを打とうとする負男…しかし、平①編集部員に首根っこを掴まれ、ガリバースペシャルのシマへ引き戻される。

 

ここで、取材現場となった「ぱちんこ遊園」について触れておく。小田急線・向ヶ丘遊園駅南口の「中和ビル」(現存)という商業施設の2Fという、一風変わった場所にあった小店だ。このビルの前には当時、遊園地行きのモノレール乗り場があった。

 「ぱちんこ遊園」の店内は、短い小さなシマで構成されており、パチンコのシマには、まるでバラエティコーナーのように多種多彩な機種が1,2台ずつ設置されていた。私は、ここでスロを中心に打っていたが、時にはハネモノなどでまったり遊ぶこともあった。チューリップ台(平台)を、100円玉数枚から小箱一杯まで伸ばした記憶も残る。

そういえば、入店して右奥のシマには、三共のデジパチが置いてあった。連チャン機の「フィーバーレクサスⅤ」と、地域限定の超マイナー機「フィーバーシャリオ」が並んでいた事が記憶に残っている。どちらもヘソがあり得ないほど狭く、デジタルを回すのも一苦労だった。

 

一方、負男が陣取ったパチスロのシマは、知る人ぞ知る「北電子ワールド」になっていた。記事でも紹介されているが、ガリバー、ガリバースペシャル、スーパーコップ、アポロンという北電子2号機&3号機の「フルコース」を堪能できる、大変貴重な店であった。

ただ、記事では1.5号機「ニューキャスター2」について触れていない。1991年頃、名機ニューキャスター2がぱちんこ遊園に設置されていた事は良く覚えている。レア台フリークの負男が、この台を見逃すはずはない。おそらく、取材訪問時には既に新台入替で外された後だったのだろう。古いながらも妙に迫力ある大きな筐体、そしてダイヤモンド絵柄のビッグボーナスと7絵柄のレギュラーボーナスなど、何かとインパクトが強い台であった。

 

さて、ガリスペの実戦に際し、負男はシマで妙な「貼り紙」を見つける。この貼り紙ネタは「この機なんの記」においても囲み記事で紹介され、消えかけていた記憶を見事に呼び覚ましてくれた。

で、その貼り紙は何かというと、スロットコーナーに当時「二台打ち、立ち打ち、代打ち、金魚打ち、固くお断りします。」という、怪しい注意書きが貼られていたのだ。

 「二台打ち」は掛け持ち遊技、「立ち打ち」は椅子に座らず打つ行為、そして「代打ち」は他人に台を打たせる事である。しかし、「金魚打ち」という言葉だけは、およそ聞き慣れない謎の文言であった。この店が定義する金魚打ちとは、一体どんな打ち方なのか…。

負男も、この「謎用語」に激しく反応しており、「金魚打ちの意味を知っている人は、編集部に連絡を」などと書いている。

私は、残念ながらリアルタイムでこの記事を読んでおらず、編集部への情報提供もしていない。バイト料が底をついてカラッケツの時期などは、攻略本も買えない月もあったからだ。

で、今更ながらに情報提供すると、この店での「金魚打ち」とは、「コインを持っての台移動を繰り返す事」だったと記憶する。一台に腰を据えずに台を渡り歩く行為が、餌を求めてチョコマカと動き回る金魚に似ていた事から、こういう名前が付いたらしい。実に、10数年ぶりに明かされる事実である。

 

さて、肝心の「ガリバースペシャル」実戦だが、、私は取材に遭遇したとはいえ、最初から最後まで取材の様子を見ていた訳ではない。今回、ガイド誌の記事を読み、当時の詳細な実戦内容をはじめて知る事となった。

 

この日、私は駅北口のパチ屋「ニューギ〇ザ」(スエイ編集長お気に入りだった店)で一勝負を終え、河岸を変えるべく南口の「ぱちんこ遊園」に移動した。そして、入店直後に、香ばしい取材現場に遭遇したのである。

入口近くのパチスロのシマで、どこかで見たことがある「小太りのメガネ男」が、ガリバースペシャルを必死に打っている。背後には、その様子をじっと窺うように立つ若い男…。この光景を見て、「これは、恐らくガイド誌の取材だろうな」と直感した。

と同時に、取材現場に立ち会う事に妙な「ためらい」を感じ、しばらく遠巻きに様子を見た後、「ぱちんこ遊園」を後にした。もし、ここで負男にジュースの一本でも差し入れておけば、おそらく記事でネタにされた事だろう。まぁ、ろくな書かれ方はされなかったろうが…。

 

記事によれば、最初にボーナスを当てたのは投資12000円で、お約束の「レギュラーボーナス」であった。「台とカウンター横のコイン貸機の間を12回往復した」と書かれており、この店が当時「台間サンド」を備え付けていなかった事に触れている。これまた、記憶のはるか彼方に飛んでいた懐かしい情報である。確かに、「ぱちんこ遊園」では、コインがなくなるとカウンター横に備え付けのメダル貸機まで借りに行く必要があった。その為に却って、一台に過剰投資することも防げたのだが…そこにいきなり12本も突っ込むとは、さすが負男である。

 

で、通常なら、そのまま飲まれてチョン…の筈が、この日の負男は一味違っていた。持ちコインでビッグを引き、そこから計4回のビッグボーナスを引き当てる。記事では、「チェリー・7・7」のリーチ目が出現して興奮する負男の様子が克明に描かれている。しかも、クレジット内の連チャンまでやらかした為に、「889枚」のコインをゲットしてしまったのだ。

小箱ギッシリのコインを詰め込んだ負男は、コインを盗まれないよう速攻で流し、待望の特殊景品を手にする。同行した平①編集部員も、「ガリバー」でジャックパニック(シングルボーナスの集中役)を引き当て、大量の景品を手に抱えていた。

889枚といえば、等価ならば17500円、7枚交換でも12500円。元手は12000円なので、見事勝利となる計算だ。まさかの「快進撃」に、喜び勇んで地下の換金所に向かった負男…しかし、受け取った金額は何と「11000円」であった。そう、この店は「8枚交換」だったのだ。結局、「マイナス1000円」というチョイ負けで実戦を終えた負男は、寂しく編集部に戻った…。

 

「ぱちんこ遊園」の地下駐車場にあった換金所はかなり変わっていて、一見すると「守衛さんの詰所」か「簡易トイレ」にしか見えないような狭いブースだった。ブースの入口には扉が付いており、半開きの状態でチェーンがかかっていた。で、ドアの隙間から客が特殊景品を差出すと、扉の向こうから現金が出てくる構造になっていた。

 かつて、イラストレーターでエッセイストの南伸坊さんが、パチンコ必勝ガ〇ド誌上で「景品交換所ルポ」という連載をやっていた事がある(1989年~1992年まで連載)。伸坊さんとスエイ編集長が、各地に生息する個性的な換金所で実際に換金を体験して読者に紹介するコーナーである。この「ぱちんこ遊園」の地下換金所も、絶対ネタになりそうな名所だと思っていたが、残念ながら記事にはならなかった。

※追記…後に資料を再確認した所、「景品交換所ルポ」最終回において、なんと「ぱちんこ遊園」が取材されていた。ドア頭上に直径30センチの巨大な防犯ベルが付いていたり、ドアの縁に「両替金はその場で確認してください。あとからは無効!!袋のままお出しください!!」という注意書きがあったりと、すっかり忘れていた情報が克明に描写されていた。

 

その他、伸坊さんが紹介した場所は、早稲田の「三光堂」(老婆が民家の玄関先に座る換金所)、有楽町の「みゆき」(ガード下の寿司屋の真横に換金所があった)、高田馬場「国際センター」(換金係の老婆が「ゾンザイ」な態度を取る事で有名)、新宿「日拓」(地下2Fの暗く殺伐とした換金窓口)など(他多数)。いずれも、平成初期独特の胡散臭さが漂う、何とも「香ばしい」換金所であった。



1 コメント

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感無量… (負男)
2012-07-21 23:30:54
20年にわたる疑問がやっと解けて感激しております。金魚打ち、そういうことなんですね。なるほど。と、そんなことより…私のようなポンコツのことを話題にしていただいて、ありがとうございました。