1991年(平成3年)登場の2回権利物「ダブルエース」(ニューギン)
ニューギンの新要件権利物第1弾。一発台に代わる大量獲得機として、人気を博した。賞球は7&10&15で、出玉は約4000個。
通学途中の向ヶ丘遊園駅近く「ニューギンザ」で新台を打ったのが最初だったかな。ニューギンザでニューギン…実にクダラない(爆)
実際、「スターマイン3」や「エキサイトカムカムAW」など、ニューギンデジパチの思い出が多い店ではあったが。ギンザ繋がりで、銀座の「サーカス」ってデジパチも置いてあったな。
さて、ダブルエースである。
もともと、ニューギンからは、旧要件時代に「タイムトラベル」っていう3ケタデジタルの一発台が出ていた。
そのタイムトラベルのデジタル部分をソックリ移植したのが、ダブルエースだ。デジタルの配置は、盤面中央から上部へと変わった。
タイムトラベルは、大当り確率が1/500とエラく低かった。一方、ダブルエースの場合、デジタルの当る確率は1/80と高いが、タイムトラベルと違って電チューと回転体の振り分けがある。
大当り絵柄は、タイムトラベルが3,7の3つ揃いのみだったのに対し、ダブルエースでは奇数の3つ揃い(前後賞つき)とパターンが増えていた。
「333」以外に「332」や「334」でもOKだったので、リーチが掛かった時の期待感は大きい。
本機は、デジタル当り⇒電チュー開放&入賞⇒回転体のV穴入賞で権利発生、という3クッションタイプである。
デジタルを回すチャッカーが、ヘソではなくオトシ(「GO」と書かれた部分)というのが特色で、ハネモノの釘読みが応用できた。
デジタルが揃うと、その下の黄色い電チューが約2秒開放する。基本ゲージは電チューに寄り易いので、まともな釘なら普通に1~2個は入賞する。時には、一度に3個入る事もあった。逆に、マイナス調整で寄りが悪いと、非常にストレスが溜まった。
電チューに入賞した玉は、その下の回転体ヤクモノに入る。回転体には6つの穴があり、白いV穴に入れば権利獲得となる。一見、振り分け率は1/6のようだが、V穴にはプラスチックのガードが付いていて、他の穴よりも入賞しづらくなっていた。
なお、当時の「パチンコ攻略マガジン」誌では、この回転体のタイミングを精密に計算し、V入賞率を上げるための「止打ち攻略法」、が読者より寄せられた事もある。
大当り後は右打ちで消化。盤面最下部のオープンチャッカー入賞で、その上のアタッカーが開く。最大16R開放、出玉は2200個ほど。
ただ、当時の権利物は不親切な設計で、オープンチャッカーに連続入賞すると、1ラウンド分の出玉がまるまるロスとなる。止打ちでラウンドロスを減らす努力も必要だった。
1回目の権利終了後は、デジタル確率が1/8.4にアップするので、再権利獲得は容易だ。2回の権利消化で、約4000個の出玉がある。
冒頭の実戦店「ニューギンザ」では、1回目の権利が終わると、店員がVゾーンに玉を手入れしてくれたので、出玉はかなり多めだった。
「ニューギンザ」では、このダブルエースの他にも、スーパースリー(三洋)、ニューヨーク(三洋)、タイムショック(三共)、ビッグポーカーIII(三共)、フルーツパンチ(大一)といった権利物(電役)を打った。一発台が徐々に減り始めた当時、こういった権利物の豊富な店は、非常に重宝した。
因みに、スロは「コンチネンタル」「リノ」で、どちらも連チャンしまくっていた。デジパチもキャスター(マルホン)やFフラッシュI(三共)など連チャン機が豊富で、コツコツ打てるハネモノも揃っていた。
朝一はパチスロのモーニングもあったし、一日店に入り浸っても、全然飽きる事がなかった。新宿や高田馬場にも香ばしい店が沢山あり、大学に辿り着くのも一苦労であった。まぁ、辿り着いても、結局は「みよし」や「三光堂」など、最寄りのパチ屋に吸い込まれる訳だが…(汗)