まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

向ヶ丘遊園駅南口 ぱちんこ遊園の記憶

2011-08-17 12:02:09 | 思い出のパチンコ店

※関連記事…「小田急・向ヶ丘遊園駅 懐かしのパチンコ店マップ(1990年)」

http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/6374376946d24fae696d2cccce84703a


小田急線の向ヶ丘遊園駅南口を出ると、バスやタクシーなどが出入りする駅前ロータリーが目に入る。




この駅は、名前の通り「向ヶ丘遊園」という遊園地の最寄り駅として利用されていたのだが、この遊園地は諸般の事情で2002年に閉園となってしまった。


遊園地が営業していた頃には、駅と遊園地とを結ぶ直通モノレールが、この南口ロータリー前から発着していた。


ガチャガチャ、と独特のレール音を立てて頭上を走行するモノレールは、かつての向ヶ丘遊園のシンボルでもあった。


さて、前置きが長くなったが、このロータリーの右手には「中和ビル」という雑居ビルが建っている。
(冒頭の写真の左側、白い建物が中和ビル)

今回は、このビルの2Fにあった古臭いパチンコ屋を振り返ってみたいと思う。


「ぱちんこ遊園」

営業当時の看板(1990年)


大変昭和チックで味のある店名である。


非常に狭い店内は、地元のおっちゃんおばちゃんや、専修・明治の学生達で割と賑わっており、パチンコ・パチスロともに、他店では打てないようなレトロ台を置いていた。


特に、チューリップ台(平台)は100円玉数枚という少ない投資で長く遊べたため、非常に重宝した。

店を入って一番右奥には、三共の連チャンデジパチ「フィーバーレクサスV」などが入っていた。このレクサスシリーズは、同じ遊園駅の北口側「ニューギンザ」に人気台のレクサス6Dが入っていたが、「V」を打ったのは、もっぱら南口のぱちんこ遊園であった。

フィーバーレクサスV(三共)

 

ただし、ぱちんこ遊園のレクサスVは、ことのほかデジタルの回りが悪く、初当りを引くこと自体が極めて困難であった。

 

そうそう、超マイナー台のドラム機「フィーバーシャリオ1」(三共)も、右奥の壁向かいのシマに一台だけ置いてあったっけ(ここは各台がバラエティコーナーのような少数設置だった)。レクサスVに負けず劣らずの渋釘だったな…。


また、パチスロコーナーには北電子のレトロ台が設置されており、大変味わい深いシマであった。


1・5号機のニューキャスターⅡ、2号機のガリバーとガリバースペシャル、3号機のアポロンなど、北電子レトロ台のフルコースを堪能することが出来たのは、あの店だけではなかったか。

いつだったか、有名攻略誌の「パチスロ必勝ガ〇ド」のスタッフである「キラ〇吉良」と「パチプ〇負男」の両氏がこの店を訪れ、ニューキャスターだかガリバーだったかを取材で打っている所に出くわしたことがる。負〇氏が打ち、後ろで吉〇氏が監視するごとくその様を見守る…一種異様な光景、声をかける事さえためらわれたが、今となっては、非常に貴重なシーンに遭遇したと思っている。

※当時の資料を精査した所、負男氏が打っていたのはガリバースペシャル(2-2号機)で、同行したのは吉良氏ではなく、ガイド編集部の平石氏であったことが判明。



また、この店の景品交換所であるが、ちょっと独特な場所にあったのを覚えている。


このビルの地下には駐車場があるのだが、その一角(階段の隅辺り)に、見た目は簡易トイレのような小さなブースがあった。一見、駐車場の守衛の詰所のような雰囲気も醸し出していた。


その怪しいブースの扉は半開きになっており(一応チェーンで施錠されていた)、そこに特殊景品を差し入れると、現金と交換できるようになっていたのだ。


まあ、昔は、このような胡散臭い形式の交換所が、あちらこちらに存在していたのだが。金地金が景品になってから、味わい深い換金所は徐々に消えて行ってしまった。


このように、レトロ感たっぷりのぱちんこ遊園であったが、だいぶ昔に閉店してしまった。


遊園地・モノレール・ぱちんこ遊園・・・古き向ヶ丘遊園駅の「象徴」は、残念ながら現在ではその雄姿を見ることはできない。