まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

新宿歌舞伎町 平成初期・懐かしのパチンコ店マップ(1991年)

2011-12-24 00:26:23 | 90年代パチンコ店マップ

今般、1990年代初頭の「思い出の歌舞伎町・パチンコ店マップ」を作成した。90年の大学入学以来、通学途中に必ず通る事となった新宿。パチ・スロを覚えてからは、歌舞伎町を中心とした新宿界隈が、必然的に青春の舞台となった。

1990年の新宿・歌舞伎町といえば、若松孝二監督の『われに撃つ用意あり』(主演・原田芳雄)を思い出す。あの映画を見る度に、かつて駆けずり回った歌舞伎町のパチ屋が脳裏に浮かぶ(映画の中でも、コマ劇前「オデヲン」や「日拓本店」裏口、「トップス」などが映っている)。当時の自分は、まさに『われに”打つ”用意あり』といった風情で、連日パチ屋をハシゴしていた。

今回は、そんな懐かしき歌舞伎町界隈のパチンコ店を、マップ形式で紹介するものである。時期的には、特に頻繁に通った1991年・夏。パチでは新・旧要件機が混在した過渡期、スロでは連チャン3号機全盛の頃だ。どの店に入っても、飽きることなく勝負を楽しむ事が出来た。

 

       新宿・歌舞伎町 懐かしのパチンコ店マップ(1991年8月)


 

(店名リスト&当時のパチスロ設置機種)

A:パチスロ専門店「ムサシ」…スーパーセブン、スーパーバニーガール

B:「日拓3号店」…アラジン、コンチネンタル、セブンボンバー

C:「パチスロ日拓」(ビッグプレイ3)…スーパーバニーガール、アメリカーナX2

D:「日拓2号店」…センチュリー21、スーパープラネット、スーパーバニーガール

E:「日拓1号店」…スーパーバニーガール、コンチネンタル3、ビッグパルサー

F:「パチスロ日拓」(ビッグプレイ1)…スーパープラネット、コンチネンタル3

G:「日拓4号店」…アニマルG、コンチネンタル1、スーパーセブン、スーパーバニーガール 

H:パチスロ専門店「ニュープリンス」…パルサーXX、バニーガール、セブンボンバー

I:「オデヲン」…ガリバースペシャル

J:「ラスベガス」…ファイアーバードEX、センチュリー21、コンチネンタル1、コンチネンタル3

K:「ニューセブン」…パチスロ設置なし(パチ⇒道路工事1、魔界組、フィーバーレクサスV、パールセブン)

L:「モナミ」…ニューペガサス、コンチネンタル1、スーパーバニーガール

M:「パチンコ747」(旧「パチンコ金嶋」)…バニーガール

N:「金時新宿ホール」…ワイルドキャッツ、アラジン、ムサシ、クレイジーバブルス

O:「コスモ」…スーパーバニーガール、アニマルG

P:店名失念…コンチネンタル1

Q:「パチンコTOP’S(トップス)」…スーパープラネット、ビッグパルサー

R:「ニューメトロ」…スーパーバニーガール、コンチネンタル1、コンチネンタル3

S:「パチンコ大番」…ワイルドキャッツ

 

(B.日拓3号店…マクドナルド西武新宿店と横浜銀行の間の路地を入って右側にあった店。割烹料理「勇駒」本店の隣、焼き海老の香り漂う中で営業していた。地下のアポロンでは、アジア人より貪欲にハイエナしまくっていたので、嫌な奴と思われていただろう…)

 

(A.ムサシ…西武新宿駅前で日拓チェーンに対抗していた小店⇒後に「マイリバー」となる。)

 

(I.オデヲン…旧コマ劇の真向かいにあった大型店。3号機時代はアラジン2とスープラが人気で、パル企画が当時制作した攻略ビデオ(セブン先生が登場)のロケ地にもなった。⇒現・オリエンタルパサージュ新宿)

 

(J.ラスベガス…コマ劇前広場の角、ヒューマックスビル(当時は「新宿ジョイパックビル」)1Fにあったパチ屋。店内奥にラジオのDJブースがあり、PM5:00~8:00まで女性DJによる放送が行われていた。できるだけ設置台数を稼ぐ為か、変則的な形のシマが多かった。スロのファイアーバードEX、デジパチのエキサイト123にハマっていた時期、連日通った。)

 

(L.モナミ…地下にニューペガを置いていた名物ホール。いい台を狙って朝一に並んでも、ガラの悪い常連達が横入りするので、実戦は午後からが多かった。)

 

(M.747…コマ劇中央通り沿いの小店。地下階段を下りた所にあった。)

 

(N.金時新宿ホール…路地裏の綺麗なパチ屋。ワイルドキャッツ(貯金Ver)が人気だった)

 

(R.ニューメトロ…新宿区役所裏、あずま通り沿いのパチ屋。怪しい風俗店に囲まれたエリアで、ポン引きも多発した為、近づくのに勇気が必要だった。タイムショックやダブルエースといった権利モノや、一般電役のアニバーサリーなどが人気だった。)

 

(S.パチンコ大番…ストリップ劇場「ニューアート」隣、新宿区役所前カプセルホテル下のパチ屋。奥村の台が多く、ドリームXやマーブルXなどを良く打った。⇒後に「ニューヨーク」となる)


(1991年当時の新宿・歌舞伎町で思い出される事)

★西口を出てJRの大ガードに向かう途中や、コマ劇前の中央通りを歩いていると、何ともやかましい有線放送の宣伝が良く聞こえてきた。テレクラ「リンリンハウス」の「入会金無料!一時間、800円!一時間、はーっぴゃくえん!」という若い女のキンキン声や、日拓3号店並び「活魚料理・勇駒本店」の「勇駒、いさこま、イサコマへ。ご宴会なら、勇駒へ。」という来宮良子張りのアナウンスなどが、今も耳にこびりついて離れない。コマ劇「コパボウル」の宣伝もあったな…。

★その大ガード付近には、夜になると磯辺焼きを売る屋台が良く出ていた。香ばしい醤油の香りが辺りに漂い、空腹を刺激した。そんな時は、しょんべん横丁の「かめや」(立ち食いそば)や「ふじしん」(ラーメン屋)などに立ち寄り、空腹を満たしてから帰宅した。

★歌舞伎花道通りの界隈では、当時発砲事件や刺殺事件などが多発していた。パチ屋を移動する為に花道通りを歩く時は、「いつ事件に巻き込まれるか」といつもドキドキしていた。

★さくら通りやあずま通りでは、風俗店のポン引きに良く声を掛けられた。「兄さん、ちょっとどうだい?」と、気さくなオヤジ。中には、馴れ馴れしく、肩に手を回してくる奴もいた。無言で通り過ぎるか、「結構です。」と断れば、それ以上つきまとう事はなかった。しかし、「ああ、また今度ね」など軽くあしらうと、凄い形相で背後から「今度って、いつだよ、この野郎!」と怒鳴り散らす事も。「トップス」の店の前は特にポン引きが多く、特殊景品を持っていると確実に声を掛けられた。

★歌舞伎町でのパチ・スロ勝負でやられた後、靖国通り沿いのゲームセンター「スターダスト」で遊ぶ事が多かった。かなりゲームの台数・種類が多く、メダルゲームなども充実していたが、今思えば「テトリス」ばっかりやっていた気がする。