「ビッグバン」(日活興業、2号機)というレトロパチスロ台をご存知だろうか。
発売当初はごく普通のAタイプ(小役の集中付)パチスロとして認知されていたが、あるとき攻略雑誌の特集で「通常時にリールを逆押しすることで、すべての小役を取り切ることが可能」という攻略法が発覚して、一躍脚光を浴びることになった。
リールの特定箇所を狙うことで、成立した小役を取りこぼさないDDT(KKK)打法というものは、現在でも一般的に使われているが、この機種に関する小役狙い打法の威力は、当時かなりのものであった。
リール配列や制御の関係で「取りこぼし」が多発する本機であったが、この小役狙い打法によって最低設定1の台でも、終日稼動で機械割が100パーを超えた。つまり、等価無制限の店で打っている限り負けないという、効果絶大な攻略法だったのだ。
私も、当然雑誌を読んで攻略法を知ることとなったのだが、実際に大きく儲けることができたかといえば、答えはNOである。そこには、当時のパチスロ店におけるある種の「理不尽さ」があったのだ。
このビッグバン小役狙い打法を頭に詰め込み、新宿へと向かったのが・・・えーと、いつだっただろう・・・
新宿駅の中央東口を出て1、2分の所に位置する「メ〇ロ」という店は今も存在するが(今はスーパーメ〇ロだったか・・・)、この2Fに当時、ビッグバンとセブンボンバーの2機種が設置してあった。ということは、少なくとも3号機セブンボンバーの登場後ということになる。セブンボンバーは1991年1月の登場なのでおそらくその頃だが・・・あれ、ちょっと待てよ?ビッグバンが登場したのは1990年の1月。つまり設置開始から1年も経っていることになる。
うーん、攻略法が出たのが相当後だったのか、それとも私の記憶違いか・・・。しかし、あの店でビッグバン攻略をした後、裏のセブンボンバーのシマでペシペシやったことは、今もはっきり覚えているのだ。まあ、この辺りの記憶は、いつか整理しなければなるまい。
さて、ビッグバンのシマに陣取り、早速雑誌で覚えた手順通りに打ってみると、なるほど小役が良く揃う。とりわけ、順押しでは単独でしかとれないようなピーチやプラム、ベルが、この逆押し打法ではチェリーとの複合で揃ったりするので、通常時のコイン持ちが格段に良いのだ。
根気良く継続していけば、後はビッグがかかるのを待つだけ…一体、終日でどれほどのコインが出るのだろう・・・とワクワクしていた矢先、突如背後から声をかけられた。
「兄さん、そのやり方雑誌で覚えたの?」
しまった、店員か?と思い振り返ってみると、そうではなかった。年の頃は30代前半、軽いパンチパーマを当てた中肉の男が、親しげな顔でこちらを見ている。雑誌で覚えた…そう、私の足元のバッグには、停止出目に応じた詳細な小役抜き手順が書いてある攻略誌が入っていた。ついさっきまで、新宿に向かう電車の中で、手順を確認したばかり…。
不意を突かれてドギマギしたのだが、冷静を装い「いや、ちょっと友達から教えてもらったんだけど…」と、無意味な嘘を付いた。
すると、男は「この店で、その打ち方されるとちょっと困るんで、やめてもらえないか?」と続けた。さらに、その男の横にもう一人、ひょろっとした長身の男が現れて「この台打つんなら、悪いけど普通に打ってくれる?」とやんわりとした調子で話しかけてきた。
店員でもない一般客に、なぜこんなことをいわれなければならないのか・・・私はなんとも言いようのない理不尽さを感じた。しかし、その男達はどうも単なる常連という感じではなく、よそ者が攻略法を使わないように監視する、地回りのヤクザのようでもあった。
新宿という土地柄、あまりトラブルになるようなことは避けるべきと考えた私は、潔くその台を諦め、裏手のセブンボンバーへと移動した。すぐに単発の大当りを引いたが連チャンせず、あえなく全ノマレ…忸怩たる思いで、店を後にした。結局、この新宿の店でビッグバン攻略の恩恵をうけることは、まったくできなかった。
その後、高田馬場の駅前の「白鳥会館」という店の1Fでビッグバンを打つことになったが、台の競争率が激しすぎることと、良い設定がそれほど入っていなかったことで、ビッグバンを積極的に狙うことはなくなった。さらに、末期には貯金タイプの裏モノが増殖し、これはセコセコ小役狙いをするようなタイプではなかったので、ビッグバン攻略法は私の中で自然消滅していった。
当時は、現在と違い、小役狙いや止め打ちなどの「小技」を禁止するホールも数多く存在したので、このような理不尽な体験をした方は、多く存在するのではないだろうか。まぁ、そんな不条理の中で打つ当時のパチンコ・パチスロも、陰でこっそりと攻略法を使う緊張感などが、逆に面白かったのではあるが・・・。