上野・御徒町 懐かしのパチンコ店マップ(1992年9月)
A:パチスロ21、B:デルンダー、C:丸善、D:ニューセブン、E:スプラッシュ・ニューセブン、
F:ライジング・ニューセブン、G:エンジェル、H:東京会館、I:オリエンタル、J:ラスベガス
K:ニューセンチュリー、L:チャンピオン、M:エッグ、N:グッドラック、O:ビクトリー、
P:アドベンチャー、Q:アラジン、R:ダイアモンド、S:チャンピオン・パート2、T:宇宙会館、
U:マカオ、V:スター会館、W:アップル、X:スターホール、Y:百万弗、Z:オスカー
1:てんとう虫、2:てんとう虫・パート2、3:ジャンボ、4:スーパーラッシュ、5:みとや、6:ひかり
※1991年8月の時点では、青文字で示したαの位置に「サンポパイ」(スロ専)、βの位置に「ローマ」(スロ専、個室ビデオ店から鞍替え)がそれぞれあった。当時、「サンポパイ」はリノとスーパーバニーガール、「ローマ」はコンチネンタルIIIを設置。
※中央通りの「ニューセブンV」、丸善隣りの「ピア上野」は、1992年9月の時点では開店していない。
(コメント)
上野のパチ屋に初めて足を踏み入れたのは、確か1991年の事だ。きっかけは、テレ朝の人気情報番組「素敵にドキュメント」のパチンコ特集であった。キャスターの故・逸見政孝氏が、ガード沿いの「東京会館」の地下フロアから、現場レポートを行っていたのだ。
無制限営業の旧要件デジパチ「ダービー2」(京楽)のシマで、隣で打っているOLに「パチンコの魅力は?」と尋ねる逸見氏。その若いOLは、「いつ出るか分からないところ」と答える。その後、逸見氏もハンドルを握ってダービーを打ち始めた。
この映像を見た私は、「上野」というパチンコのメッカに、是非とも行ってみたくなった。そして、番組放映から暫く経ったある日、思い切って授業終わりに反対方面の電車に乗り込み、現地に出向いたのだった。
全く土地勘のない上野で、無数に散らばるパチンコ店を探し回るのは、かなり大変だったが、何とかTV番組で逸見氏がレポートを行った「東京会館」にも辿り着くことができた。早速地下コーナーの京楽「ダービー2」を打ち、無事に大当りを引く事にも成功した。
しかし、勝手知ったる地元店の初代ダービー(2.2円、7揃い以外は一回交換)が、大当り時に2800個程の出玉があったのに対し、東京会館のダービー2は、無制限用の釘調整で2000個程度しか出玉がなく、そのあまりの違いに、激しいカルチャーショックを受けた。
その後、1991~1994年の間に幾度か上野の地を訪れる事となった。とりわけ足繁く通ったエリアではないが、行く度にちょっとした「旅打ち気分」を味わう事が出来て、何かと新鮮だった。
ある時、御徒町駅で下りて、足の向くままに昭和通りを歩いていると、「デルンダー」に尚球社の3号機「ミラクル」が設置されていた。当時、ミラクルといえば、新宿西口の「アラ〇ン」で打つ事が多く、そこは低設定台がゴロゴロしていたが、デルンダーのミラクルは出玉も良く、客付もハンパなく良かった。いかにホームの新宿が出玉のシブい所だったかを、痛感させられたものだ。
また、タイヨーの3号機「トライアンフ」を初めて打ったのも上野であった。御徒町寄りのガード下近く「スターホール」で、入口の小さなエスカレーターだか階段を上がると、突如目の前に現れたのが、トライアンフだった。客付きはそれ程良くなかったが、一人の客が大連チャンの真っ只中。「よし、自分も…」と意気込んで実戦を開始したが、安ゼニでビッグは引くものの、単発ばかり。「遠征で大敗は出来ない。電車賃まで使ったりしたら大変だ」と、一万ばかり献上した所で引き上げたが、あの台が後で連チャンしたのか、いまだに気になる。
パチ屋密集地帯にあった「オリエンタル」では、爆裂権利物の「びっくりマン」(マルホン)に挑戦、財布の中身に不安を抱えながらも、無事連チャンをゲットして箱を積む事が出来た。また、ガード脇、アラブ宮殿張りの真っ赤なネオンの「スプラッシュ・ニューセブン」(ギャンブリングホール)では、ニューギンのドット液晶デジパチ「エキサイトグランプリγ」をお座り一回転で3連チャンさせ、店内に設置された換金所(これも珍しかった)で札を掴み、逃げるように退店した事が思い出深い。
上野駅・不忍口を出て右手の上野公園階段付近には、当時おびただしい数のイラン人がたむろしていた。あの異様な光景は、これから先二度と目にすることはないだろう。このイラン人の中には悪い奴らがいて、偽造のテレフォンカードを大量に所持し、道行く人に「カード買ワナイカ?安イヨ」と声を掛けていた。偽造パッキーカードやスロの裏ROM作りなんかにも携わったりして、何かと治安を乱す不届き者だったが、最近はめっきり見なくなったな…。
自分は当時学生だったのですが、休日にアップルでキューティーバニーで打ち、4~5週連続で3万以上の大勝ちを収めてから味を占めてしまい、それからは学校がある平日でバイトがない日は駅や丸井のトイレで鞄に潜ませていた私服に着替えるのが日常と化し、バイト代や親からもらった小遣いを散在したものです(笑)
そうこうしているうちにパチスロにも興味を示してしまい、表通り?にあるオリエンタルやアドベンチャーでソレックスやトリプルウィナーを打つようになりました。
アップル閉店後\100ショップが入ったのですが、スタッフ通用口に「警察官立寄」のステッカーと交換所の窓が塞がれてた跡があり、往時を偲びました。
たまたま「上野 アップル」でググったら此方に行き着くことができたので、余りの嬉しさに長々と書き込んでしまいました。
隣のアドベンチャーも最近潰れましたよ。
大学生だったので毎日並んで上野の店で裏機打ってました。
モーニング取れないと学校へ
今考えると20分しか並ばないで、1000円で裏機が出る
良い時代でした。