goo blog サービス終了のお知らせ 

つよぽん時々HYDEな日々

草剛とHYDEが好き。の~んびりと更新予定。。。のはずだったのに、ほぼ毎日ですね。

袖ヶ浦、そして蒲郡の衝撃。そして「MY FIRST LAST」。

2012-06-17 21:50:38 | L’Arcとつよぽん
そうか~。
そうだよね~~。

ガゼットが出て、金爆が出て、VAMPSが出るのに、kazueさんやA子ちゃんが行かないわけない~~。

いいなぁ~~~。
もう、しっかり楽しんできてね~~~。


仙台でのHYDEさんのMC。
レポ読むだけで泣けてくるんですけど。
悲惨な災害を乗り越えて、未来を見ていこうと。
ともすれば離れている私たちが忘れかけてしまう、まだ続く悲惨な状況を今一度思いを寄せることで呼び起こす。
話が既に被災地復興から原発再始動に移っていようと、想いはもっとナイーブな場所にあります。

ボランティアに行っていた次女が「もう復興したんだろう」と勝手に決めないでほしいと現地の方がおっしゃっていたって言っていたっけ。

そして昨日ツイッターで椿さんがサンサーラからの「MY FIRST LAST」のことについて語っていらっしゃって、私もhydeさんの書く詩の世界に想いを寄せたのでした。

私はhydeさんの書く「人の生と死」もしくは「その人生」についての考え方とか、例えば「I'm so happy」みたいに、正しく今、旅立とうとする人の言葉として、枕辺にいる人たちには伝えられないのだろう心情の吐露のような詩には心酔しています。

言葉を紡ぐ人は、こんな風に簡潔でいながら深くえぐるような迸りをも伝えることができるのだな。と。
それは「今」死に逝く人の言葉であり、エバグリのように(もうすぐお迎えが来る事を感じて)残さざるを得ない愛しい人への言葉であり、アロンのような自身の人生に対する壮大な郷愁の言葉のようでもあり。

彼は非科学的な輪廻もあの世もないと言い切っているけれど、端々に生まれ変わりを願っていたり、生まれ出ることを躊躇っていたり、その哲学とは相反している想いを多々詩の中にちりばめているのです。

信じていないけれど、信じたい

長い人生の中ではそういうよすがが必要なのだろうなとこの頃よく思います。

いかに1人1人の『そのとき』がこんなに大きくて深くあろうと、一瞬にしてあれだけの人生を終わらせてしまうような災害を見てしまうと。。。。。

その詩の中に『死に対する憧れ』のようなものも受け取れ、「THE HYDE」で裏打ちされていることを感じました。

しかし、そうありながら、年齢を重ねてて「死」に対する考え方がどう変わろうと、スイドリや未来世界に見るこの人の『生』に対する慈しみみたいなものの瑞々しさは変わらないのだなと思ったのでした。

『死』を感じるからこそ『生』に執着する。
『人生』を愛おしく思うのです。


ああ、まぁ、勝手にそう思っているだけです。

で??
何がおっしゃりたいのですか???と聞かれると実はすごく困ってしまうのです。

私はHYDEさんの「MY FIRST LAST」に見る世界観がすごく好きだって事に落ち着くんでしょうね。

とりとめのないことを書きました。
すいません。


さて、話を変えて。
先日会社で「VAMPSが蒲郡に来るんだよ~。」と言ったら

すごいっすね!すごいっすね!!蒲郡!!
と、何故か「蒲郡がすごい」って感動されましたけど。
ラグーナのその時期は花火もありますし、常は閑古鳥でもお盆前後は激混みのようですし、そんな時にVAMPSが行ったらどうなっちゃうのか、ちょっと心配になりました。

横須賀美術館のL'Arc起用もファンの情熱を甘く見てないか??と思ったけれど、ラグーナ蒲郡も甘く見ていないか不安になりましたよ。
地方巡業の一発屋じゃないんですよ~~~。彼等は。
分かっていらっしゃいますよね????

う~~ん。。。
チケット取れるかどうかの方が怪しい感じもしてきて、いけるかどうかも不安になってきた~~。
いかん。ネガティブな言葉を言い続けると言霊に持って行かれるんだった。

私は絶対蒲郡の土日に行く!!!
これでどうだ!!。


  
 

拍手コメお返事

巧さん:
わっついんは買いですよ~~~~。
購入できて良かったです。私もう一冊残っていたら買ってしまうわ。きっと。(笑)
はい。
信じられない近場ですから、何とかチケット取っていきたいです。
行ってきます。絶対。
エールをありがとうございます。

   

最新の画像もっと見る

5 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
そうか! (ちさとん)
2012-06-17 22:50:38
椿さんとおっしゃるのですね。不勉強でスミマセン。
そう、私も「眠りによせて」「heavenly」そして、残される側の「花葬」と、輪廻転生の世界観が気になっていました。
そして、My First Lastは一番といっていいほど好きなんです。Vampireの最期なので、300年くらいかなと、キングポーのような方を連想してましたが。
死の間際に、ホリスティックな世界というか、悟りというか、そんな超越したものを感じながらも、最後の最後には、やはり愛する人の笑顔を思い、これが生きる意味だったと、凡人にも理解できる人生の意義を語り、そしてまた宇宙と一体になるといったスケールのデカさへと移っていく。
起承転結でいえば、転の部分だけがとても人間くさく、青い。
渋い渋いときて、青い、そして渋い。
だから、この青春のような笑顔や歌や優しさの部分が、際立っていると思う。
それが、せいらさんや、椿さんのいう、生と死の関係性なのでしょうか。大切な意義があったからこそ、死に重みがある、ということなのでしょうか。
死なないバンパイヤは、生きた証しを残さないようにするかもしれない(魔法使いの帽子)
だけど、あなたに会えたことが私の人生だったと言ってるのかな。あなたは残される人であったり、先に逝った人であったり。
そんなことを考えると、泣けて泣けて、視界が悪くなるので、運転中には聴けません。
とりとめもなくゴメンナサイ、長くなってすみませんでした。失礼しました。
返信する
ちさとんさん (せいら)
2012-06-17 23:26:02
それでも信じていないと言い切るのですよ。彼は。
色んな矛盾を詩を読む度に感じるんですが、詩がすなわちその人そのもだと思うのは違ってるのかな~とも感じてしまうんですね。
ただ、彼が心底何をどう思っていようと、こういう詩が書き上げられると言う部分に狂信できる魅力を感じちゃうんですよね。。。。

どんな人生であれ、最期を迎えるのも最初を迎えるのも孤独なものなんだなとおもうし、例えば自分の最期の時何を思っているだろう??なんて想像させてもらいました。
よく思うのは『我思う、故に我有り』ってやつで。
例えば私が死んでしまったら私の思考や私の感情は無になってしまうのだろうか??ってこと。
今私は色んな事を考えている。感じている。
だから存在している意味があるのだとしたら。
避けられないけど避けていきたい。
始めがあって終わりがあるから人生なんだよと。
その1度しかない短い一生にどれだけの思いを残せるのかな。人に対しても、物事に対しても。

まぁ、そんなとりとめのなさなんですよ。
こういう虚無感とか空虚感とか、彼はどうやってやり過ごしているのかな。
こういう詩を書いて自問自答なんだろうか。。。
私もアロンは泣けます。
スイドリはそのあまりの慈愛にライブ中号泣しました。
My First Lastはアロンに通じるところがあって曲調が異国故に切なさが倍増し。
HYDEさんの声があまりに心地よくて泣けると言うより鷲掴みされて身動き取れません。
英語詩で良かった。ちゃんと聴ける。
こんなんでお返事になっているでしょうか??
返信する
ありがとうございます。 (ちさとん)
2012-06-18 09:53:27
より突っ込んでの内容で、とても誠実なお返事だと思います、ありがとうございます。
こうしてせいらさんの文章を読んでいて、自分の中の混乱がちょっと解けたような気がします。
THE HYDEでの「死んだら無」発言と「輪廻転生」は、じつは矛盾ではないのでは?と。だから、狂言かもしれないが、そうでもないのかもと。
というのは、この「無」の捉え方が、まったくの虚無や空虚ではなくて、My First Lastで死に行く人が理解した宇宙の構築というものではないかと。
それは、「HYDE」でもなく、「波」でもなく、固有名詞では表せられないものなのかなと。(あやしくてゴメンナサイ、私、宗教はやってないですよ~)
今の私の凡人の頭で変換するならば、「エネルギー」とか、「科学では解明できないもの」(笑)
とか、そういったものに還元されてゆく、それを、何もない無だと表現したのかな?と。
ここからは私の持論ですが、人生は修業(宗教やってないですってば)だと思っていて、より高いエネルギーへと向かう修業や、安定したものへ向かう修業など、それぞれ自分の課題があると思っているんです。
そして、「ちさとん」が死んだとき、なりたいエネルギーになるように。それが、次に有機化合物となり生命となったとしても、それは「ちさとん」ではないので、生まれ変わりと呼んではいけないのかもしれません。
私であるうちに宿題をやっておかなければ。宿題は人生を楽しむことです。納得いくようにごまかさずに。
私は穏やかでも力強いエネルギー(仮)に向かっていきたいと思います。
とりとめなし返しをしてしまい、ゴメンナサイね。
でも、だいぶスッキリしました。いつも、ありがとうございます。
返信する
あ!スミマセン (ちさとん)
2012-06-18 09:58:32
狂言でなく、狂信でしたね。
何度も読まずに、突っ走ってコメントすると、色々と誤解もあって、ごめんなさい。
バベルの塔ですかねー。おっちょこちょい(死語?)な私をお許し下さい。
返信する
ちさとんさん (せいら)
2012-06-19 08:49:41
突き詰めるととてもナーバスになっちゃうんですよね。
今生きているから『考える』んであって、死んだらそれでおしまいなんだよなぁ。
って事なら『無』に違いはないわけですよね。
その後のエネルギーとか考えるのはちょっと私の感覚とは違っていて『想い』はどこに行くのだろう??ってのが私の中の不思議なんですよ。
脈々と受け継ぐものを何か残したいと本能で感じるのかもしれない。
その想いが果てなく広がって解放されていくのであれば宇宙に違いなくて、私の考える宇宙ってのはサイエンスの分野なんですが、きっとちさとんさんの言われる宇宙はもっと心理の中の大きなくて深い空間なのだろうな。なんて想いながら読ませてもらいました。

もし人生が修行なら。
こんな楽しい修行は無いと思って生活したいですよね!!。
返信する

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。