(白砂漠)
先日、昨年の夏に発表されたニュースで、とても興味深い記事を目にしました。
古代マケドニアのアレキサンダー大王の墓と見られる遺跡が、
ギリシャ考古学調査隊の手でエジプト西部の砂漠にあるシーワ・オアシス近くから
見つかったと、エジプト各紙が報じたものです。
エジプト文化省チームも現地で調査にあたり、
マケドニア風の建築様式や石板からも、
大王の墓である可能性が高いとし、
今後の発掘で大王の遺体や埋葬品が出てくる可能性を示唆したそうです。
これまで大王の墓は地中海に面したアレキサンドリアにあるとされていましたが、
墓自体は見つかっていませんでした。
アレキサンダー大王は、紀元前334年にペルシャ遠征に乗りだし、エジプトに入り、
ご存知の通りエジプトの地中海都市アレキサンドリアを建設いたしました。
その際にアメン神の神殿があるシーワ・オアシスを訪れ、
神の子としての神託を受けたとされています。
古代エジプト末期において、シーワ・オアシスのアメン神の神託は高い評判を得ており、
エジプトを征服したアレキサンダー大王は、
わざわざリビアとの国境に近いこの地までやってきて、
「アレキサンダーはアメン神の息子である」という神託を授かったそうです。
この場所は大王にとっての精神的な故郷で、
現在は行方不明になっている大王の亡骸は一度、
シーワ・オアシスに運ばれたという説もあります。
シーワ・オアシスにはアレキサンダー神殿もあります。
遺跡はカイロの西方約600㎞にあるシーワ・オアシスから25㎞離れた地点で、
4年程前からギリシャの調査隊が遺跡を発掘しており、
二枚の石板を発見しました。
石板の一枚には、大王の死後、エジプトを支配したプトレマイオス一世が刻んだ、
「私は神が大王に命じたことに従って、大王の遺体をここに運んだ。
私は秘密を隠し、彼の遺言を実行した」という碑文が残されています。
遺跡は10㎞四方で、幅2mの塀で囲まれ、奥に2mの礼拝室、
さらに長さ35mの廊下の奥に三つの部屋があり、
その三室のうちの一つが大王の墓である可能性があるそうです。
今秋には、新企画として「エジプト西方砂漠とサーン・イル・ハガルの旅」を
企画しております。
アレキサンダー大王が神託を受けた「アメン神殿」(シーワ・オアシス)、
考古学的にはまだ解明されていませんが、
エジプトで唯一アレキサンダー大王のカルトゥーシュが
発見された神殿(バハレイヤ・オアシス)と、砂漠の中に大王の足跡を追います。
(西川 太陽)
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