与一から出て来た生き物の記録

奇妙な生き物。早朝の自宅ガレージ奥の「与一」の中から、様々な働きをする者たちが生まれています。その有様と効能の記録です。

「路上演劇祭」!!!

2011-04-27 04:58:32 | 井川 WORKS!!

ああああああああっ!!!


 


なんと!!


 


「生き物たち」が・・・


 


東京にあらわれた???・・・・


 



 


「 路 上 演 劇 祭 


Japan 2011」 


 


これは何を隠そう、来る5月7日・8日に、東京都 世田谷区の「鳥山区民センター前広場」で開催される「演劇祭」のポスターなんです!!! 


Blog友達の「おっちーさん」より声をかけて頂いて実現しました。 この「路上演劇祭」、すごい話題性が強く、TVニュースなどでも様々に報道されるなど注目のイベントで、今回もどんな劇や音楽、パフォーマンスが飛び出すか目が離せません


ニュースの模様はこれ!!!


http://www.youtube.com/watch?v=cdU41ff85nA


 


 


で、昨年の「路上演劇祭」の模様はこれこれ!!


http://www.youtube.com/watch?v=G1O2hzel6Pg


 


制作裏話ですが、昨年末よりお話を頂いて、水面下でゴソゴソと準備を(僕は生き物たちの画像を送っただけなのですが・・)する中で、この「路上演劇祭」の”ロゴ”も、「井川文字(笑)」で、という話しもあり、このポスターの中のアクセスマップの所に入れて頂いてるんですよ


この「路上演劇祭」の「井川文字バージョン」の”原本”はこれ


  



”書”です(笑) たまには良いでしょう? 書体はやっぱ、”井川くずし


 めっちゃ「読みにくい(大笑)」・・・・・。


「ちゃんと書けよ」って突っ込まれそうです


このポスターは2種類あって、先に紹介したのが「ヤルよポスター」というもの。で、出演者・団体募集のポスターが下。


 


どちらとも「生き物たち」が所狭しと「わあわあ」言ってる・・・。で、しかも必要な情報もシッカリとわかりやすくデザインされています。 このポスターのデザインを担当されたのは「Just4uさん」という方。 うん、お見事です!! おっちーさんのBlogで紹介されています。


この「路上演劇祭」の中で、おっちーさんご自身も実行委員長を務めておられたり、なおかつ「www,co.jp」という作品(13分程度)も出展されていたり、何やら演劇祭全体の総合司会までされるとの事で、すっげえエネルギッシュ。 ポスターのレイアウトの打ち合わせの為、何度か電話でやり取りをしたのですが、そんなパワフルさとは裏腹にとってもやわらかな感じの話し方をされる方で、レイアウトの打ち合わせ以外の笑い話で盛り上がったりもしました(笑)。 たぶん今頃は本番を前にバタバタされている事でしょう(他人事のように言うな(笑)??)。


僕がおっちーさんと知りあったのは、おっちーさんの「詩作」に引かれた所からでした。 どの「詩」だったか、コメントしたりもしたような、しなかったような(笑)・・。小説も書かれています。 これが結構おもしろいんですよ


「ONE EYES」


http://blog.goo.ne.jp/t_oti/c/2e913995c038b8d5d81e894fb2335c5f


「軽いタッチで描かれた青春群像のような・・」とご本人は言っていますが、結構考えさせられる様な登場人物の葛藤が描かれていたり、もともと劇作品としての下地があっての作品だからか、「登場人物の動き」と「場面展開の仕方」がお見事なんです!! それと「会話」ですね! 会話のテンポに注目です。 


 


今回紹介しました「路上演劇祭」、お近くの方は、ぜひぜひ遊びに行ってみて下さいね


実は、「井川ファミリー」も行こうかな?・・・・・とかも考えてるんです。 まだ未定ですが・・・・。 行きたい・・・。 めっちゃ・・行きたい・・・。 とっても 行きたい!! うん、良く良く考えます(笑)・・・。 行きてぇぇぇぇぇ~!!!


 


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そらの物語・55 「”取り”はHiたかお」

2011-04-23 03:13:46 | そらの物語


 


55


「”取り”はHiたかお」


 



いったん騒然とした場内は、一拍あけて言葉を継ぐ「FA637」に集中した。


「この”希崎”という人物が、”発病した”と言っている年月日なのですが、何か記憶にありませんか?そう、この協議会の開催直前に”おがたの尻”から出てきた「ファイル」の中にもこの”1990年代”があり、気になる記述があるんです。 では、もう一度、”あのファイル”をご覧ください。」


 


月の者256N    不定期・発信




 




1900・06・22  初起動 確認




1919・03・01 返還拒否 確認




1920・12・07  生き物バージョン5220076mbpより離脱  確認




1920・12・08  再度 返還拒否  確認




1940・05・21  誤作動頻発 進化の可能性  確認




1951・01・20  生き物バージョン0008099mbpより離脱 データ解凍に失敗  確認




1953・04・?  誤作動  確認




1962・10・06  全てのバージョンから離脱  未確認




1966・?・?  動きアリ  未確認




1990・?・?  動きアリ  未確認




199?・?・?  他生命とのリンクの可能性 検知  未確認




2004・?・?  「おがた」への発信  確認


 


「赤線の部分です。 月の者は”与一発足”の百年以上前の1900年に初起動を起こし、いく度も”返還”を拒み、その後も”誤作動”を繰り返しながら進化し続けた、そして199?年に”他生命とリンク”した。 この「他生命」とは「人間」ではないでしょうか? わたくしの憶測ですが、「リンク」された”人間”が希崎であって、それを希崎は”病気が発病した”と認識し、診察を受けた。 その「リンク」によって何んらかの症状があったのかも知れません。 医師がどう診断したのかはわかりませんが、「致死に及ぶ病」であると診断し、年月日も切って希崎に告げた。 そして、どの様なとらえ方なのかも全く分からないのですが、”告白”の中にあった”同義的に許す事のできない犯罪”を犯し、滅びる事を切望している。 これは、あくまでわたくしの飛躍した憶測かも知れませんが・・・。 しかし、 「返還」などという単語が普通に出て来るはずはないですし、ましてや「月の者256N」という名称に至っては・・・。


今の所、この希崎からの出し抜けのメッセージに対しての返答はまだ何もしていません。 ただ、メッセージの中の”同義的に許す事ができない犯罪”というのが何を指すのかは分かりませんが、”今年”と期日を限定しているからには、わたくしたちの対応もあまり悠長な事は言っていられないと思うのです。 皆さんの意見をお聞かせ下さい。 わたくしからの報告は以上でございます」。


 


場内は静まりかえった。 誰もがこの報告に対してどう対処したら良いものか、困惑し、思案していたのだ。 静まりかえった場内に、帰って間なしに眠ってしまった「一の妄」と「ケリー・糸3番」の”いびき”が小さく聞こえている。 「希崎」という人物の出し抜けの「告白」に対しての「FA637」の”飛躍した憶測”は、それを聞いていた全ての生き物たちにとって”飛躍している”ようには思えなかった。 ”飛躍”どころか、おおむね”その線”で正解ではないか? 皆、「よも清さん」の返答を待った。 しばらくの沈黙ののち、全ての生き物たちと同じく、長い首を折り曲げて深く思案していた「よも清さん」が、顔をあげた。


(よも清さん) 「・・・・・・・・見つけましたね。 この人物は恐らく”月の者”です。 ただ・・・その確証が何もない。 「希崎」という人物に「月の者」が”憑りついている”様な状態なのか、それとも「月の者」そのものなのか?・・・・。 いずれにせよ、まずはしっかりとした情報を集める事です。 その上でないと正しい判断はできませんし、もし私たちが判断を誤ってしまえば多くの人々が被害を被る事になってしまいかねません。 すでに「告白」の中でも、強く「犯罪を志向している事」をみずから述べています。 それに、この「告白」という”かたち”を取っての文書も、単純に”急に告白をしてきた”ととらえて良いものなのかどうなのか?・・。 自分自身の態度をハッキリと示しておいて、その上でこちらの”出方”を見ている様にも思えます。 いずれにせよ、不明な点が多すぎます。 ただ、「サソリ」や「カマクイ」たちとは「犯罪を思考している」という点では似ているようですが、少し違う次元で物事を思考する人物であるという事が、この文書から伺えます。 


私たちの「大調査」において大切な事、それは、「調査の範囲」をどんどん”限定”し、狭めて行く事です。 もし違っていれば、「はじまり」にもどればいいのです。 この人物を「月の者と限定」し、今後の「大調査」を進めましょう。 「FA637」一名だけでは危険が多すぎます。 もしもの時を考え、誰か”相方”を連れて行って下さい。 そして、その人物に対しての返答は


”はじめまして。 私たちはあなたを「止める者」であり、あなたの「末裔(まつえい)」です。


 今後ともよろしくお願い致します。”


としておきましょう。 送信名は ”与一” でいいでしょう」。


(FA637) 「わかりました。 では相方については熟慮の後にお伝えいたします」。


 


全ての生き物が緊迫していた。 しかし、今すぐに何かができる訳ではない。 どこまでも続いて行きそうなこの「協議会」の、ちょうど良い切り上げ時だと思った司会・生き物が、「協議会」の閉会の言葉をのべようとした時、会場の外側に位置する所から、慌てた口調の大阪弁が響いた。 「まいどまいどまいど~!!まだやってんですかぁ??お~疲れぇ~~ッス!!もう、終わってる思てましたがなぁ~!!!」。 「Hiたかお」が帰って来たのだった。 会場のあちこちから「たかおくんだ!!」というどよめきが起こった。 いつもなら「Hiたかお」は皆に愛想をふりまいて一つ二つは”おもろい事”を言っては盛り上げるのだが、勢いはいつもと変わらないのに、何か様子が違っていた。 居並ぶ生き物たちの中央突破をする様に、真っ先に「よも清さん」の前に進み出て、こう言った。 



(Hiたかお)「よよよよよ、よも清さん!!!」。 (よも清さん) 「ああ!!たかおくん!!!お疲れ様でした!!本当にお疲れ様でした!!」。 (Hiたかお) 「よも清さん!!”そら”についての新しい報告なんですが・・・」。そこまで言って、なぜか急に言葉に詰まってしまった。 (よも清さん) 「??そらくんの新しい報告ですか?」。 (Hiたかお) 「はい、斎元さんへのメールがあまりに”ひつこくて”・・・で、やっと寝てくれたと思ったら・・・・」。 (よも清さん) 「思ったら??・・・」。 (Hiたかお) 「・・・思ったら・・・ですね・・・」。 と言うなり、「Hiたかお」は又言葉に詰まってしまい、その”鳥”を思わせる丸い瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。 (よも清さん) 「思ったら・・・たかおくん、どうしたのですか?何か起こったのですか?!」。 「よも清さん」だけではなく、そのやり取りを聞いていた全ての生き物たちが身構えるふうだった。 ”私たちのそらくん”に何があったのか??もし、何かあったら、どのような対応も厭わない・・・そんな思いで、皆が身構えていた。 (よも清さん) 「どうしたのですか?もしかして、神経的な新しい症状が・・・・・」。 (Hiたかお) 「いえ・・・ちがいます・・・。 泣いてるんです・・・」。 (よも清さん) 「んん??泣いてる?」。 (Hiたかお) 「はい。 眠ってからしばらくして・・嬉しそうな寝顔で、で・・・泣いてるんですよ・・」。 感きわまった「Hiたかお」の感涙は、”感きわまりすぎて”、「Hiたかお」の報告を困難にする程の勢いで、とめどない。 


(Hiたかお) 「嬉しかったんですよ!きっと!・・・。斎元さんと手をつないだ事、それからメールのやり取りができるようになった事、親しくなれた事・・・・。よっぽど嬉しかったんですよ!!呼吸は完全に睡眠の状態でしたから、熟睡していました。 あんな・・・あんなに嬉しそうな笑顔で眠るそらは初めてなんです!!ボクはもう・・・あの子の気持ちを考えると、嬉しくて、嬉しくて・・・もう・・・もう・・・」。そこまで話して、ついに”オイオイ”泣き崩れる「Hiたかお」のオーバーな報告に、同感の涙を浮かべる生き物たちもいれば、笑いながらも賛同の拍手を送る生き物たちもいた。 場内は急にあたたかい空気が流れた。 (よも清さん) 「たかおくん!!それは、最高じゃないですか!!この協議会の最後を飾る、とても素敵な、そして何より素晴らしい報告でした!本当にご苦労さまでした!!たかおくん、あなたの真心からの”奉公”が実を結んだのです!!この任務をあなたにお願いして、まさに大正解でした!!たかおくん!あなたでないとできない、とても素晴らしいお仕事です!!皆さん、そう思いませんか?!!」。


満場の大拍手と喝采が爆発した。 しばらく続く全ての生き物たちの「大はしゃぎ」が収まるのを待って、司会・生き物の閉会の挨拶が響いた。 


「それでは皆さん!、本当に長時間の協議、本当にお疲れ様でした!”希崎”について、そして”サソリとカマクイ”について、その他にも様々な新しい課題も多々出てきてまいりましたが、「協議会」としては、以上をもちまして閉会とさせて頂きます!!本当にお疲れ様でした!!!」。


       


 


波乱に満ちたこの「協議会」は、更なる波乱を約束するように終わった。 「協議」の中で、「分解えら子」や「メジ式」の新たな人事も行われたが、「Hiたかお」についても「24時間態勢で「そら」のもとに常駐」と、シフト変更がなされた。 もとよりこれは「Hiたかお」自身が望んでいた事でもあり、「そら」の今後を考慮しての事でもある。 「大調査」そのものも24時間態勢となり、城東区内全域と京阪沿線の各定点に散在していた全ての生き物たちについても、その全てが「希崎」のいる「やさしさ倉庫」の所在地でもある「鴫野町と、野江付近」にさらに範囲を限定し、進める事となったのである。 


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そらの物語・54 「FA637の報告」

2011-04-16 03:35:12 | そらの物語


 


54


「FA637の報告」


 



 


朝方まで続いた「そらメール」のおかげで、


遂に一睡もできなかった「斎元」が、徹夜の決意を固めた午前5時。


「そら」が熟睡したのを確認した くたびれ気味の「Hiたかお」と「ゆきりん&ぽち」は、


「協議会・本体」へ向けて、待ちくたびれた「おがた」に乗って出発した。


ちょうどその頃「協議会・本体」では、3人の帰りを待たずに、


「協議会最後」となる「FA637の報告」に移っていた。


それは、閉会予定時間をはるかに超過してしまっていた為でもあり、


「そら」と行動を共にしていて一番”心労”の多かった「Hiたかお」が帰った時点で、


生き物たち全員の拍手で3人を迎え、それをもって”閉会”とし、


特に、よくしゃべるわりに案外神経の細かい「Hiたかお」の労をねぎらい、


ゆっくり休ませてあげようという、生き物全員の共通した思いでもあったからだ。


私達は全員が全員とも、”がんばった仲間”を賛嘆し、


その労をねぎらう事が 何よりも大好きなのだ。


「一の妄」と「ケリー・糸3番」などは「協議会・会場」に帰るなり、


”撃たれて死んだように”眠りこけてしまったのだが、


会場の隅の方に誰かが丁重に運び、


そして風邪などひかぬ様に、誰かが”ふとん”をかけている。


「協議会」に参加する全員も、この波乱に満ちて長時間に及ぶ「協議」に、


疲れない訳がないのだったが、


「誰かが誰かの為に、何かをする」事で、


その”疲れ”は半減する事を、皆、熟知しているのだ。


(司会・生き物)「さて!この協議会最後となりました、FA637からの報告に移りたいと思います!!それでは、FA637、お願いします!!」。 



(FA637) 「長時間の協議!!本当にお疲れ様でございます!!そしてまた、最後の”取り”を頂き、本当にありがとうございます!! とても重要な報告でありますので、順を追ってご報告いたします。まず、この”NO.3”という業務用のPCについてですが、「よも清さん」とのやり取りの末、”静観”の態勢でのぞんでおりました。 ”静観の態勢”に至るいきさつについて、知らない方も多いかと思いますので、簡単に説明いたします。 


わたくしの調査におきまして、個人のPC内部や企業のデータ・ベースに入り込む際、まず始めにウイルスの類か新種のスパイ・ウェアと感知され、入り込む前に排除されますので、こうしたセキュリティを解除した後でないと調査が始まらないのは、皆さんもご存じの事と思います。 ところが、この”NO.3”だけは簡単に入り込めた、というか、”わたくし以外のウイルスの類はキチンとブロックし、わたくしのみ、入り込めるようにしてあった”という所から始まります。 恐らく、何らかの仕方でわたくしの存在を認識していて、その上でわたくしの正体をつきとめようとしているのか、もしくはコンタクトを取ろうとしているか、そのどちらかではないか? という所で、しばらくはこちらから「動作」は起こさず、”静観”の態勢でのぞんでいた訳であります。 しばらくは何の動きもありませんでした。 その間にこの”NO.3”の社内での役割について、いくつか調べてみました。 「優しさ」という”商品”を取り扱うこの企業の中で、”NO.3”は主に「ダメージ・在庫」や、「不明品番の管理」、あと「イレギュラー・入出庫」などの、通常業務以外のトラブルの対応に使われている事がわかりました。 また、この”NO.3”を使っているのは「希崎」という人物で、この社内でかなりな重要ポストにある事もわかりました。 この「希崎」の動向の中にこそ、私達の「大調査」の全ての結論があるのです。 その理由ですが、”静観”の態勢のわたくしに対して、ついに”発信”をして来たのであります。 この”発信”は、間違いなく「希崎」なのです。 この「希崎」、まだまだ不明な点が多いのですが、大変な人物です。 なぜなら、その”発信の内容”そのものが、あまりに不可解である、としか表現できないのです。 では”発信”の内容です。(とのFA637の言葉に合わせて、協議会・中央のPCが作動し、FA637の説明に合わせて、その”発信”の内容を映し出す。)


wwwwww    @@@@@


「始めのうちは、このような”試し打ち的”な発信でありました。 考えてみるとそれもそうです。 向こうからして見ると、自分の使うPCに何かが入っている、ウイルスなどではない何か、でも、それが何かはわからない。 わからないけれども、”出て行った形跡”はないので、入り込んだまま、じっとしている・・・。こんな感じではないでしょうか。 そして、数日の間、動きはなく、そして出し抜けに・・・これです。


はじめまして。 あなたは”何らかの生命”ですね。


あなたは言語を持つのでしょうか?


私はこうした日本語でのみ、発信いたします。


さて、結論を先に申し上げます。


告白です。


私を”裁いて”下さい。


それを私は強く望んでおります。


私は、同義的に許す事のできない犯罪を決行したいのです。


そして、極刑に相当する裁きをうけ、


この生涯を終えたいのです。


私の中で”返還”という言葉が重く、狂おしく、


そして甘美な旋律で響いております。


”極刑による裁き”こそが、私の望む死であり、


その事を”返還”というのであります。


 


1999年に、私の不治の病は発病しました。


そして、いよいよ本年が、最後の年となります。


病状が進行する中で、常に頭痛のように頭の中に響き渡る声。


 


””月の者.256N””・・。


 


これは、私の病の名称なのか? 私自身の”本当の名前”なのか・・。


いずれにせよ、荘厳な最後を遂げたい・・この実感こそが、私の真実であります。


ゆえに、 もう、時間がないのです。


あなたが、この”告白”に賛同する者であったとしても、


そうでなく、”私を止める者”であったとしても、


私のこの告白の意味する事が、認識できるのではないかと思い、


出し抜けに、告白してみたのです。


”アクション”を起こして下さい。日本語で、失礼いたしました。


希崎


 


以上がその内容です。


 


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井川美術館 「名もなき生き物たち(笑?)」

2011-04-12 04:59:45 | 井川美術館


井    


Young  man  be  not  for  getful   of  prayer  .


 


 



「名もなき生き物たち(笑?)」


と・・いう事で、今回の「井川美術館」は、「そらの物語」の”はたらき協議会”でかしゃがしゃ登場した「生き物たち」にスポットを当ててみようかと思います。 というのも、「そらの物語」では、集合写真的にしか載せる事ができず、でも結構お気に入りの生き物たちがたくさんいてるんです。 このまま放置しておくと埃を被ってゆくか「みなみ&すず」の”えじき”になるか・・・  なので、ここでそのうちの何体かをお披露目したいと思います


 この生き物、紙粘土の残りの形が「顔」に見えたので、「お耳」をつけて「生き物」として誕生しました。


 他にもこのパターン、つまり最初から「こうしよう」と思ってできたのではない「生き物」。


「井川 WORKS!!」のコーナーの看板に抜擢されています


 


この生き物も”残りかす”から誕生しました。 何かにもたれないと立てません


そして、つぎの生き物は「色付け」を息子のみなみがやってくれた(いやがる父を押し退けて塗った)親子の合作。 「黒いのおばけ(みなみ命名)」(笑)。


 


後ろ姿になぜか哀愁が・・・ないか(笑)



 


「そらの物語」の中で、”はたらき協議会”の司会を務める生き物。


  


このお二人、形状の”いびつさ”といい、表情の微妙な感じがとってもひょうきんで気に入ってます 


CGか何かで、本当に”動かして”みたい


 



ちょっと”童話チック”な生き物。 ”可愛い”くは・・・ないでしょうか・・・。 よくよく見てみると、「足」がみんな同じ形をしています。 これはちゃんと立たせようと思うと、必然的にこうなってしまうんです。 これはこれからの課題。 


 



「何でっか???」とか言ってそうな生き物。 この生き物は”小指サイズ”の一番小さな生き物。 何か「文句ありげ」な口元が何とも言えません(笑)。 ここしばらく、「文章」が多い記事が多かった”反動”か、何気に「写真だらけ」にしてしまいたくなって遊んでますが、ここまで書いていて、いったいこのBlogって、何枚写真が載せられるのか、ためしてみたくなってきました(笑)


 


じゃじゃ~ん


        



あ、この生き物は、よく見ると”子連れ”なんです  ほらほら



 


 


「パンク系」生き物&「何だかわからない系(笑)」の生き物。


   


 


 


おっ、まだイケる(笑)・・・。 では、集合写真


   


「写真」をblogに載せる時に、たいがい若干の編集をしているのですが、上の2枚はデジカメでとったそのままです。 ちょっと違うのがわかりますか? 「そのまま写真特集」で、次は我が家を徘徊する生き物たち。


  


  


そこらじゅうに”うようよ”しています


 


 


けっこうたくさん載せれました・・・。 ほとんど子どもの気分です・・。


お楽しみ頂けましたでしょうか? さてさて、次回よりは久方ぶりの「そらの物語」をUPして行きます。 話がものすごい途中なので、なんだかよくは分からないかも知れないのですが・・。 ”はたらき協議会”の流れで、「そら」くんと「斎元」くんの実質上の接点となるエピソードで、「サソリ」がそれに絡んでくる所でした。 「サソリ」は逃走に成功し、生き物たちは「サソリ&カマクイ」を見逃してしまう。 同時に「そら&斎元」のいろんな交流も始まった所。 出会って 間なしから「モード」の二人(笑)・・・。 話は”はたらき協議会”に戻り、「FA637」の報告に移って行きます。 今まで散々に”引っ張って”来た、「月の者」もいよいよじわじわ~っと姿を現わします。 


お楽しみに~



 


 


 


 


 


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げんてん・3

2011-04-06 10:59:06 | げんてん


 


げ ん て ん Youg  man  be  not  forgetful  of  prayer  .


 


 


5話 「手紙」


届いた救援物資にも様々な”送る側の戸惑い”が見受けられた。 被災地の状況についての情報の伝達が上手く行っていなかった事もあるのだろう。  食料品などでも、賞味期限ギリギリになってしまったものや、心づくしの手料理もあったが、被災された方に渡る前に、もう食べれなくなってしまう。 衣類にしても、新品についてはサイズの表示などが明快で、「どのサイズが欲しい」と言われてもすぐに渡せるのだが、先にも書いたポリ袋にバサッと入ったものについては、手渡す以前に仕分けをしなければならず、その時間と人手が間に合わないのだ。 しかし、そうした”送る側の戸惑い”すらも、現場の僕たちにはあたたかく感じられた。 場違いな救援物資、とんちんかんな贈り物、その全てに贈って下さった方々の心が入っている。 次々と到着するトラックやバイク。 「救援物資てんこ盛り」の軽トラックは地方ナンバー。 見た事もない地名のナンバーも。 ここに集う全てのドライバーたちはここまでの運送料がある訳ではないのだ。 知っているドライバーなど一人もいない。 しかし、皆の胸の内にあるものは全く同じ心だと、交わす視線でなぜか分かるのだ。 その上で、陸続と続くトラックの列を見るとたまらなく心が熱くなった。   


「おおきにぃ~!」。 「お疲れ~!」。 「気ぃ~付けてな~!」。 そこで交わされる、そうした何気ない言葉の数々が、人間が交わす最も美しい、”宝物の言葉”だと感じた。 想像もできない程のたくさんの人々の「熱く深い心」がここに集結している。 僕は、”油断”すると涙が溢れてしまいそうになるのを、忙しく立ち働く事でごまかすのに必死だった。 「生きようと戦う人々」、そしてその人たちの事を想って「無心に応援しようとする人々」・・・。こうした状況下での全ての人々の、全ての「言葉」や「行動」を、「人間の尊厳」なんだと言えば、言いすぎなのだろうか?     


そんな中、僕たちの作業は続いていた。 ペアーで一日を共にした、ご両親を亡くされて間なしからこのボランティアに身を投じている彼も、さすがに”笑顔”も失せる程の強い疲労感と戦っている。 もとより”へたれ”の僕は、時折休憩を入れていたにもかかわらず、腕と太ももを上げる事もつらくなっていた。 日が暮れると救援物資を受け取りに来られる人の数も減り、物資の搬入やその仕分けの方がメインとなる。 そんな夜半、来館者もまばらとなったゲートから「婦人服~~!!!」という大声が聞こえた。 救援物資を誰かが受け取りに来たのだ。 「仕分け」に集中していた僕は、「はああ~~い!!」と一応返事はしておいて、慌てて婦人衣料の所へかけて行き、次いで細かくサイズや種類をゲートの役員が聞き出し、又大声で伝えてくれたが、疲れた頭ではもう覚えきれない。 覚えれるだけの物は取り上げ、後はサービス、とばかりにいろんな衣類を抱えれるだけ抱えて、大急ぎで走って行った。 ちょうどゲートと僕の中間にいた彼が合図をしている。 「井川!中継するわ!投げろ!!」。 僕は抱えた衣類の全てを大きな手提げに放り込み、彼めがけて大きく放りあげた。 その時、一着の婦人物のコートが落ちてしまった。 慌てて駆け寄り、そのコートを拾い上げて、「これ、忘れ物~~!!」と放り投げようとした時、コートのポケットから折りたたんだメモ用紙と何かが落ちてしまった。 「んん?」。 もう一度それを拾い上げ、無造作に、でも丁寧に折りたたんだメモを開いてみた。


「あなたの無事を祈っています!!


新調はできませんでしたが、うちにあるものの中で一番ましな、


あたたかそうなものを送ります。


クリーニングはしてありますので、お役立て下さい。


テレビで見て、そちらの事が何度も映し出されています。


本当に恐ろしい事になってしまいました。


でも、私はあなたの無事を祈ってます。 絶対に負けないで!!!


上手くは書けませんが、私もあなたと一緒にがんばります。


風邪をひきません様に。 どうか、元気でいて下さい。


あなたの怪我が一つでも少なく済みます様に!


私も絶対に、あきらめません!


あなたと同じ心で、


あなたと共にがんばります!!


私の好きな言葉は、”冬は必ず春となる” です。


この言葉を、あなたに贈ります。」


「これは・・・・・」、それしか言葉にはならない。 手書きで年配の方らしい、謹直な筆跡。 ”感電”したような震えが走った。 なぜだろう? 動けない程の感涙がこらえ切れずに湧きだした。 これは僕には「とどめ」に等しい。 誰が書いたのかわからない。 誰に届くのかもわからない。 ただ、うれしくて、うれしくて。 それだけが心の中にいっぱいで、噴き出して止めようのない涙はもう、どうしようもない。 十数年の間、自身の中で凍りついてきたものが一気に溶けだすように、どう頑張っても、もう無理だ。 まるで泣きだした子どもがしゃくり上げてもなを、止められぬ様に。 その手紙と一緒に、折りたたまれた小さなポリ袋が出てきた。 ”何包かの風邪薬”だった。 


 僕の中で、今まで整理の付かなかった全てバラバラのキーワードを、一挙に一本の線がつらぬいた。 「優しさ」・「真心」・「励まし」・「人のあたたかさ」・「祈り」・「人生の目標」・「希望」・「夢」・・・・・そして、


「ありがとう」という言葉。


激しい嗚咽はもう止めようがなく、体中でむせび泣く様だった僕の異変に、彼が気づき駆け寄って来た。 「井川!!どないしてん?大丈夫か?」。 僕は、無言でその手紙を彼に見せた。 手紙を開いた彼は少し読んだだけで慌てて手紙を閉じ、後ろを向いてしまった。 その肩が激しくふるえている。 自然に僕は彼のふるえる肩に手をやったが、僕の方もとめどなくこみ上げる”熱いもの”をどうする事もできず、容量オーバーの感涙にむせぶ以外、何もできない。 「ふ・・冬は・・かならず・・」その先は言葉にならず、心の中だ。  こちらを振り向いた彼は、僕の涙のみならず鼻水まで垂れ流しの姿に、同じく嗚咽は止まらぬままに、笑いだしてしまった。 しかし、僕以上に彼もぐじゃぐじゃになっている様に僕も吹き出してしまった。 たいがい”おかしな顔”で笑っているのか、泣いているのか、二人ともわからない。 そしてお互いの顔を指さして嗚咽混じりに笑いあった後、そのコートに「手紙」と「かぜ薬」を大切になおし、待たせてしまったご婦人に丁重にお渡ししたのだった。


ご婦人は「こんなにいっぱい、ありがとう」。と言った。


僕たちも大きな声で「ありがとうございました」。と言った。


この「ありがとう」を、僕は生涯忘れない。


 


 


陽己と珠月へ


僕はおまえたちを尊敬し、感謝する。


僕たち夫婦のような者どもを、おまえたちは「親」として選んでくれた。


これは、あの時の「ありがとう」があったからに他ならない。


だからこそ、今の毎日の「普通の暮らし」は、


本当の意味での”奇跡”なんだと思う。


そしてもしこれが”奇跡”というのであれば、


あの、誰から誰に渡ったのかも分からない、”一通の手紙”こそが、


この4人の命を結び合わせてくれたのだと、


信じて、疑わない。


 


そして、もう一つ、信じて疑わない事。


それは、このような幸運な”奇跡”は、僕たち4人だけでなく、


全ての人に有る、という事である。


日常の中に訪れる、”幸運な奇跡”。


それは、現に今東日本で、仕事も住まいも追われ、


あるいは家族をも奪われ、想像を絶する苦渋の中で、


それでもなを、懸命に”命”を繋ごうと戦い続けておられる方々の、


今の労苦の中に、もうすでに芽吹いている。


そう、堅く信じ、そして


決して、決して、疑わない。


 


陽己と珠月、


おまえたちが今、どんな状況でこれを読んでいるのか、


それはわからない。 しかし、


おまえたちが今踏みしめている大地は、世界は、


おまえたちが顔も知らない日本中の家族と、


世界中の家族のみんなで、


「いっしょうけんめい」に創り上げたものだという事を、


心に刻んでほしい。


 


父より。



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げんてん・2

2011-04-03 05:32:51 | げんてん


 


げ ん て ん Young  man  be  not  forgetful  of  prayer  . 


 


 


3話 「1・17」


16年前のこの日、大きな地震が「阪神・淡路」を中心に関西全域を襲った。 僕の「原点」である。 当時僕は20代後半で、先に述べた思春期の頃の傷跡も薄らぎ、社会人としてもそれなりに成長してもいた。 先に記述した”情緒のバラバラさ”はそのままに。 恐ろしく長く感じる揺れが収まった後、すぐに気になったのは当時勤めていた会社と、当時付き合っていた彼女(前・嫁)だった。 大阪への影響は若干の停電や、京阪電車が途中で止まってしまった・・というくらいで、まさか、そんな”大惨事”となっているとは思いもよらなかったので、止まってしまった電車に代わって、自転車で通勤したのを覚えている。


TVや新聞を通じ、時々刻々に明らかとなる被災状況。 今とは違って、「自衛隊が入れない」だとか、「政府の対応がまったく間に合っていない」等のニュースが報道されていた。 「救援」そのものの全てが後手になってしまったのは、この「震災」が未だかつてない規模の都市直下型の地震であった事も含め、あらゆる場面において専門家の想定をはるかに超えた規模だったからだろう。 したがって「その時」のシュミレーションなど出来ているはずがない。 そんな中、「後ろ向き全開」からは幾分か”人としての成長”を遂げていた僕も、自分に何ができるのか・・と”いっちょまえ”に思案したりもしていた。 その感情と心の奥にあった人に対する不信感は、まさに名実共に”バラバラ”だった。  いてもたってもいられなくなった友人の何名かは、「ラジオと懐中電灯」、そして積めるだけの「救援物資」をバイクの荷台に積み込んで出発していた。 「自分に、何ができるのか?」・・・この自身に対しての問いかけは、”バラバラ”のままで、しかし、切迫していたのだ。


各本部単位で、”バイク隊”と”物資の搬入作業”に別れ、救援隊を「オール・関西」で組織し神戸に行く、との連絡を受けたのは1月18日、震災のその日の真夜中だった。 そして僕の参加はそれから一週間後ほどだったと記憶している。 すぐにでも向いたいメンバーもたくさんいたが参加人数を組織割の日割りにしての緊急の取り組みに、文句をいうメンバーはいなかった。 青年部のこの対応の速さと、細やかさは「参加メンバー以外は、個人で被災地へ向かわないように。 自衛隊を始め、その他のボランティアや、救援物資を積んだ車両が現地に入る妨げになってしまうからです。」という趣旨にも明らかだった。 この「バイク隊」について、現在ネット上ではさまざまに取りざたされている。 大多数が「批判」の数々で、「バイク隊そのものが被災者救助の妨げとなった」、「学会の会館を避難場所に提供した、というのは実は真っ赤なウソ」、「学会の会館に避難すると、”入会させられる”」、「どさくさに紛れてバイク隊の青年部が被災した女性をレイプした」等々。 そこにはおびただしい数の、見るもおぞましい「創価学会像」が描き出されている。 事の真偽については、実際その場にいた方々に聞いてみるのが一番だと思うので、ここで云々はしない。 ただ、僕は、僕が体験した事と、自身の心の中に起こった事のみを、そのままに記述するだけである。


「西宮」の朝は、大きな火災が沈下したあとの焼け焦げた様な臭気が残っている。 足でいくら蹴ってもびくともしない巨大なアスファルトの残骸は、間違いなく”ほんの数日前までは道路”だった事の悲しみと、自然の力の強大さを見せつけている様だ。 倒壊してしまった家屋。 街並みは、未だそこかしこに燻ぶる小さな炎(火事の後?)と立ち上る黒煙に満ちて、人の気配はまばらだ。 消火栓から疲れた様にしみ出す水は、もう吐くものも無くなった後の地面の嘔吐の様に苦しげで、所々に乗り捨てられた乗用車がひっくり返っていても、不自然ではない。 その光景を見て「映画のセットの様だ」と僕は感じて、すぐにそんな自分の軽率な想像力を恥じた。 4~5名一組みでの「物資の搬入」に、後ろの方で参加していた僕だったが、実際に、こうした被災地の光景を目の当たりにしたショックはあまりに大きく、どこにもぶつける事の出来ない深い怒りと大きな”無力感”は、誰もが同じだった。 ”無駄に繊細”な僕の「軽率な想像力」は、そこに広がる「大震災」の”現実”の、あまりの”生々しさ”を受け止めきれない為の反動だったのかも知れない。 


もう一つ、ショックを受けた事。 それは、(駅の名前を忘れてしまったのだが・・・)現地付近まで電車で向う途中で、「これより先は地震の為運行できなくなっております。●●駅以降へお越しの方につきましては・・・」とのアナウンス。 TVで報道されていた”ねじ曲がってめくれ上がってしまった線路”の恐ろしい光景がよぎる。 そして、自分が今乗っているこの車両でも、多くの命が亡くなったのでは・・・。 そうした災害の現実的なリアリティーは、ここにイソイソとやって来た僕たちの「応援」など、「何の役にも立ちません、何を遊びに来たのですか?」と、嘲笑うかの様に、強烈に迫るばかりだ。 


そしてまだ驚いた事がある。 倒壊してはいなかった、僕たちが降り立った「●●駅」は健在で、背中にリュックを背負った多くのボランティア(大多数)の方々が行き来していた。 「お疲れ!!」。 「お早う!!どこ?長田??ちょっと遠いで~!!」。 「今から? ”××は水がないらしいで”!!」。 「気ぃ~つけてな~!!」等々の、全くあかの他人どうしが普通に会話する光景。 僕たちにもボランティアの方の誰かがこう言ってきた。 「おはよ~!!」。 「おはよ~ッス!!」。 「兄ちゃんら、アレか? ”学会さん”か?」。 「はい!そうです!」。 「西宮の会館に行くんか?」。 「はい!そうです!」。 「お疲れやな!!今、めっちゃ並んどったで~!救援物資のトラック!!早よ行って”捌(さば)いたって”や(笑)~!!」。 「あっ!わかりました!急いで行きます!!」。 「兄ちゃんら、がんばれよ~!!」。 「はい!!ありがとうございます~!」。


こんな感じで、まったくの”あかの他人”が他人で無くなってしまう。 「大震災」による衝撃は誰もが受け止め得る限界を超えていたが、しかしそんな時人間は、誰に言われるともなく、本能的に”心を共にする。 宗教や思想、立場や身分の違いは、ここでは関係無くなってしまうのだ。 「復興」という一点において、全ての人が仲間であり、同志であり、ある意味「人間という家族」のような、あたたかな「共有感」を分け持つ。 僕の気持ちの中で「普通の挨拶」が、これほど熱く、そして尊く感じられた事は今までにない。 そこに広がる現実も衝撃だったが、それ以上に自分の内に唐突に湧きおこる「人間という家族感」の方が衝撃だった。 西宮の会館に着くまで、かなりの距離を徒歩で進んだが、僕は終始、黙り込んでしまっていた。 目頭の奥に、心の中心に、今まで体験した事のない、自分では整理のつかない”熱いもの”が湧きだしていたから。 そう、本当に「整理」などできない。


 


4話 「作業」


会館についてすぐに役員の幹部より「現在の会館の使用状況」の説明がなされた。 会館入り口のゲートでは、会館に避難してこられた方の名前を書いて頂く事。 学会の関係で無い方の入館も多いので、もし、”人を探している”という方が来られた時にそれが誰なのか、館内で避難生活をされている人々にすぐに館内放送で名前を呼んで確認できるから。 便所はなるべく数名ひと固まりに。 流す「水」が不足しているからだ。 婦人部の方がバケツで流してくれるので、声をかける事。 救援物資は全て駐輪場&駐車場に、「男性衣類・女性衣類・子ども衣類・薬品関係・寝具・生理用品・簡易食料・「水」・電化物関係(ほとんどがラジオ)・燃料関係」に大別して置く。 被災された方が「物資」を受け取りに来た時、ゲートの役員がそれを確認し、大声でそれを伝え、「物資」の中にいる役員がそれを探しだして大急ぎで持っていく。 特に学会員は平気で中に入って来るが、一般の方は抵抗がある為、なかなか館内には入りにくいし、「何が欲しいのか」も言い出せない方も多い。 だから役員の方から「何が必要なのか?」を話しかけて聞く事。 怪我をしている方や、病気の方については青年部で下手な処置はせず、ドクター部(医師のグループ)に速やかに来てもらう。 「救援物資の搬入トラックの動線は・・」等々・・・。


僕は、「物資の中に埋もれる役」だった。 女性・男性衣類の所だ。 僕とペアーのメンバーはここ現地の青年で、被災した次の日からここでのボランティアを毎日続けているという。 「衣類コーナー」は、結構忙しい。 「水コーナー」の次によく”お呼び”がかかったのではないか? ペアーになった現地メンバーと、待ち時間にちょっとした会話をしようものなら、すぐにゲートのメンバーの大声、「お~~~い!!婦人服~!!それと、婦人もののこぉぉーーとぉぉぉ~!!!」。 休憩もそこそこに、次から次に押し寄せる救援物資を求めて来る被災された方に合わせて、探しまわったり走りまわったり、新たに到着する救援物資の置き場所の確保にと、1月だというのに汗ばむ程の忙しさだ。 半日も過ぎると僕もそのペアーのメンバーもヘトヘトだったが、お互い「しんどいな」とか「大変やな」などの言葉は無く、「まだまだやるで!!」といった”強気な笑顔”を交わした。 ゲートの方を見ると、もう次の救援物資を取りに来られた方の姿が見える。  


そのメンバーと交わした会話らしい会話は二つ。 届けられた「衣類」の中に、幾つかの大きなポリ袋と、その中には男性、女性の衣類がぐしゃぐしゃに入っていて若干の生ゴミの様な「匂い」がしている。 どの地域のどんな方がこれを送って来たのか? もしこれを被災者の方に渡したとして、何を感じるだろう? 僕とそのメンバーはその幾つかのポリ袋をとっさに掴んでしまわない様に、置場の隅の方へ押しやった。 「届けられへん・・・」。 「そやな」。 そんな会話の後、彼が言った。 「でも・・でも、めっちゃ・・ありがたい・・」。 


もう一つの彼との会話。 それは僕が不用意に聞いた事に対して彼が応えたもので、間断なく到着する救援物資の対応の為、尻切れトンボに終わってしまった。 「ご両親も会館の役員なん?」と僕。 「・・・・いや、あの下」と、会館のある位置の遥か向こうの遠くに威圧的な黒煙が立ち上っている地域を指差す彼。 「ええっ?」。ちょっとまずい事を聞いてしまったのか・・僕はそう思い、一方的に気まずくなった。 「おれも結構やられてるで」と彼は屈託のない笑顔で上着を少し上げて脇腹に荒々しく巻かれた包帯を見せてくれた。 「わっ!エぐっ!だ・・大丈夫なん?」と僕。 「全身火傷だらけの怪我だらけやな(笑)!取りあえず、おれは”生き残った”から、おとんの分もおかんの分も、ここでもっと困ってる人らの為に、がんばらんとな!!」。 


「そっか・・・・」。


そうとしか言葉が見つからない。


 彼は僕の気遣いを感じたのか黒く汚れた顔をくしゃくしゃにした”笑顔”で、「!!」。 彼の人懐っこい笑顔につられ僕もこわばり気味だが、笑った。


 


自分の「心」の中の事でいっぱいいっぱいの僕には、あまりに衝撃が強すぎた。


ここに到着してからのほんの半日の間、


自分の中で、ここ10年近く、絶対に変える事は叶わないと思っていた事が、


一気に変わり始めていた。 根本的な事。


僕はずっと長い間、人と「心」で交わる事を避けて生きてきた。


しかし、この時の彼の「」に、なぜか心は震えた。


自分の中で、今 起こっている事が、全く理解できない。なのに、


湧きあがる感情は、こらえ切れないのだ。


戦っていたのかも知れない。


”腐って行こうとする心”と、”立ちあがろうとする心”が。


 


つづく