老中の市井日記

理想を失うことなく老いの中を楽しみながら、日々発見、日々刺激、日々出会いを大切にしていきたいと思っています

まことの花 御算用日記 六道慧著

2010-03-12 06:03:23 | 読書
今回の東京行きかえりで読んだ本は、実用書ではなく御算用日記の第3弾「まことの花 
六道慧著」を読みました。

第2弾 天地に愧じず 御算用日記 六道慧著

第1弾 青嵐吹く 御算用日記 六道慧著

内容(「BOOK」データベースより一部抜粋)
主人公の生田数之進は、不審のある藩を調べる幕府御算用者。今回は無類の狂言好き、
若狭守村芳が治める吉田藩に潜入しますが、前藩主の亡霊騒動、姿を見せない奥方の謎など
次々と事件が起こります。東京、大阪間が近くに感じるほど時が経つのを忘れさせてくれます。

表題は世阿弥の「花伝(かでん)書」、又は「風姿花伝」(室町時代の能楽論集)の中の
有名な言葉の一部です。

「能」は、日本の代表的な伝統芸能であり、室町期に観阿弥・世阿弥によって集大成された
と言われています。世阿弥は、能の姿を【花】にたとえて「風姿花伝」(一名花伝書)
を著しました。この書のはじめにあたる「年々稽古条々」では、世阿弥が自分の半生を
回顧しながら、一人前になるためには、どのような過程を経るかを示しています。
これは今の時代にも通じるものがあります。

○ 一期の堺こゝなりと、生涯かけて、能を捨てぬより外は、経過あるべからず。
(年々稽古条々・十七八より) 17,8歳になったら、一生の運命を決する境目は
ここにあると、大いに勇猛心を奮い起こし、どんなことがあろうと一生能を捨てない覚悟
と努力がこれからの一生を決する。

○ 時分の花をまことの花と知る心が、真実の花に猶遠ざかる心なり。
(年々稽古条々・二十四五より) 一時的な珍しさ、面白さによって賞賛される「花」に
すぎないものを、本物と評価し錯覚する心が「真実の花」からいよいよ遠ざかることになる。

○ 花は心、種は態(わざ)なるべし。(問答条々)
生涯保ちうる「花」は、ただ「心」の養いの中にあり、その「花」の種が演技や技術で
あって、幅広く身につけた芸域の広さ、確かさの中にある。つまり、稽古によって芸を磨き、
技量を高めていくことは、種となって未来に花開くもとになる、しかし、本当に生涯の
「花」として行く工夫は、ひとえに演じる者自身の「心」、演者の主体的な在り方に
かかっている。

申楽を舞う若い美しい姿を今を盛りに咲く花に例えた「時分の花」に対して、「まことの花」
は修練を積み、芸に深みを加えた時に現れる姿です。

一般に日本の文化は時を経、修練を積むことに価値を置き、評価されます。
「道」と言う言葉をつけることにより、「道」の意味に、条理や道理、分別を含め、
人生の目標にしてしまう。日本人として生まれて来て良かったと思う瞬間です。


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