停年後の生活を楽しみましょう。

常識を脱して、新しい目で停年後の生活を考えましょう。定年後は自分のために楽しむ時間です。

働く女性の権利の保障と男女平等(パート4)

2018年09月29日 | 親父の呟き
 それらを総て解消するためには大変難しい事でもあります。 
保育園を拡充させ、出産・育児休暇を与え収入を一部で有っても保証する。これには国や自治体だけで無く企業にも金銭的負担が増えます。
更には出産・育児休暇中の職場には他の職員への追加労働の負担も出て来ます。
 これは文化とは違う意味で発達した事ですが、20世紀の初めにロシア・ソビエト連邦社会主義共和国が誕生し、共産主義社会が成立しました。この国の理想とした旗印は「国民は皆平等・格差は無し」でした。色々な見方も出来ますが、結果としては「格差無し・国民平等」と言うのは国民は等しく低所得者で男女共に働く社会でした。働かなければ食べていけない「働かざる者食うべからず」です。

 夏休みに成ると子供の生活リズムが崩れるので、ボランティア団体が子供を預かって学習する場を作っています。お昼ご飯も晩ご飯も提供しているようです。
 インタビューでは母子家庭の子供のケアーをしていましたが、それだけでしょうか?就労女性の犠牲者はこんな所にも居たのでは?昔よく問題視していた「鍵っ子」と同じ子供がまだ残っているのでは?
 働きたい人が居れば、その環境を守って上げる、造って上げる、助けて上げる。これが普通の社会です。でも私は働きたいから環境を整備しろ。その為に必用な金は国民全員で負担しろ。それは無いでしょうね。
 困っている人が居れば助け合うのが「共助の社会」私を助けろと命令するのは「恐喝の社会」助け合いはお互い気持ちの問題で、命令するものでも無ければ強要するものでも有りません。

 働きたい時に働いて、働くのが困難なときは働くのをお休みして、また働ける状態になれば働けば良い。働く場所をシェアーしあう。これも素晴らしい共助の社会です。私が働けない間も私の働く場所を確保しておいて、私が働けるようになれば何時でも働けるようにしておきなさい。これはもう脅迫の社会と言っても良いと思います。
 働けなくなったら他の人に職場を譲る。働けるようになったら他の働けなく無くなった人の働く場を譲って貰う。
 これが「最高の共助の社会」と思います。こんな共助の社会では「誰にも迷惑をかけず」「誰からも非難されず」充実した産前産後そして育児に時間を使えます。

 今回の私の主張は「男女平等は夫婦間の男女平等から」と言う事で、夫婦間の男女平等も出来無いのなら社会に男女平等を言う資格は有りません。
 働きたいので女性差別をしないで下さい。と言う人は先ずご主人に家庭の仕事の半分はして貰って下さい。家庭のことを全くしない・出来ないご主人との夫婦なら、それは外に向かって男女平等など口にする資格は有りません。

へそ曲がり親父の屁理屈⑧ 次の屁理屈的検証は「勝敗競技と採点競技」は同じ土俵で事の良否を議論出来ますか?難しい問題ですね、難しいと思わないのは一部の人だけでしょう。
 「勝敗競技」は勝つ事が目的ですから「勝つための技と技術」を高めるのが練習の主眼です。
 一方「採点競技」では、一目でわかる勝ち負けはありません。「如何に高い点数を付けて貰うか?」これが総てです。ですから本人が美しい演技と思っていてもそれは自己満足に過ぎません。「外から見て演技が美しいか?」それが総てです。
 練習も選手とコーチが触れ合いながらの練習が主眼になるでしょう。当然きつく教えるための暴力的指導が起こり得ます。
 そして、試合に勝つためにも、また代表に選ばれるためにも「協会理事や審判への忖度」する心を無くすことは出来ないでしよう。
 そこに協会理事などによるパワハラが起こることも十分有り得ることです。今日言いたかった事は、「勝ち負け競技」と「採点競技」は同じ練習方法で無ければ、勝ち負けのルールもまるで違うと言う事です。為に「違う競技の競技者やコーチを1つのルールで善悪を付けることは難しい」と言う事ですが、一部の人は1つのルールで総ての善悪を判断している。と言う事です。


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