おはなしこんにちは

「物語」のあらすじとか構造とかアウトラインなどを考えてみます
 (更新は月一回程度というブログの常識を越えたのろさ)

「帰ってきたウルトラマン」正義の味方に動機は必要か?

2005年07月25日 | TV
 最近、ファミリー劇場の「帰ってきたウルトラマン」を熱心に観てます。子どもの頃、夢中になって観ていた番組ですが、内容はほとんど覚えてません。はたしてどんな話だったのか、興味津々というわけです。

 ところがそこで、あることに気がつきました。主人公に動機があるのです。「正義の味方に動機は必要か?」それが今回のテーマです。



●「帰ってきたウルトラマン('71)」とは?

 説明するのも馬鹿馬鹿しいので、一般常識として、これらのサイトを見てください。

 これらのサイト↓
 こことか
 こことか
 こことか
 ここなんか真面目な論文が多いです。


●初期作品との違い

 ここで言う初期作品とは「ウルトラマン('66)」「ウルトラセブン('67)」のことです。これらの作品については「新マン」以上に一般常識ですが、一つだけ特徴をあげると、怪奇幻想色が強いということです。セブンについてはSFという点から語られることが多いと思いますが、実際のところは怪奇幻想のイメージが作品全体を覆っています。そして、『主人公のなまじなドラマ』はすぐに陳腐化しますが、怪奇幻想についてはなぜか古くならないのです(もちろん例外もあります。マタンゴをいま見ると笑うかも)。それが初期作品が今もなおファンに傑作と支持され続けている理由ではないでしょうか。

 では、「帰ってきたウルトラマン」はどうでしょうか。これが『主人公のなまじなドラマ』なのです。初期作品では主人公の個人的な事情などほとんど描かれませんでした。――ないわけではありません。様々な話をバランスよくブレンドしてあるのが、初期作品の特徴です。しかし、『主人公のなまじなドラマ』を前面に押し出したのは、「帰ってきたウルトラマン」が最初らしいのです。



●主人公

 新マンの主人公の名前は「郷秀樹」といいます。すごい名前です。
 変身アイテムとか変身ポーズとか変身掛け声とかは、特にありません。基本的な変身方法は「とことん努力したあげく死にそうになる」というもので、このへんは、「特撮タワゴト」というサイトが詳しいです。レビューを読めばツッコミに笑いころげるでしょう。
 死にそうになった郷は、戦いが終わったあと奇跡の生還を果たすことになっており、「お~~~~い!」と手を振ってみんなの前に現れるのです。昔の話ですが、ビデオの編集に凝っていたある大学生が、この、「お~~~~い!」というシーンだけ集めたビデオを作り、「郷おーい編」と名付けて公開したことがあります。



●スポ根?

 新マン以降の第二期ウルトラシリーズは、「スポ根」という要素が語られることが多いようです。確かに当時はスポ根が花盛りの時代でした。「巨人の星」のコミックスの解説で、この野球漫画をテクノクラートの物語であると主張した人がいました。テクノクラートとは単純に言えば専門技術者のことです。何かの技術――日本風に言えば「道」を極めることで人間的成長を歩む、それが「スポ根」です。

 「帰ってきたウルトラマン」は”ウルトラマン”という道、「ウルトラの道」を極める主人公、郷秀樹の人間的な成長ドラマだと、まあ言えるっちゃ、言えるでしょう。そのあたりは私にとってはどーでもよろしい。



●人間ドラマ

 問題なのは「人間ドラマ」を描いているという点です。それも、第三者の……ではなく、「主人公の人間ドラマ」です。必然的に新マンは人間くさいヒーローになってしまうわけです。そして新マンの脚本家は、毎回毎回主人公に戦う動機を与えています。正義の味方に動機は必要なのでしょうか?



●正義の味方の動機

 いよいよ本題です。郷秀樹にどのような動機が与えられているか、具体的に見ていきましょう。といっても子どもの頃の記憶など全くないので、CSで放送が終わった初期の話だけを考えてみます。なお、トータス砲のHomePageというところであらすじを再確認しました。このサイトではあらすじが11話まであるようです。ウルトラ解釈大作戦というサイトもありますが、こちらのあらすじ紹介は現在29話までです。意外と全話のあらすじが紹介されているサイトはないものです。


 第2話 タッコング大逆襲 では、特殊能力を身につけて隊員の中で誰よりも優秀になってしまった主人公が、慢心して先走ってしまい”ミス”をします。そのために同僚にケガを負わせマットを首になるというシビアな話です。首になった郷は居候させてもらっていた坂田氏にもあしらわれ、本当に行き場がなくなってしまうのです。子どもは見ててかなりつらいんじゃないでしょうか。しかし、動機としては強烈です。

 第3話 恐怖の怪獣魔境 では、特殊能力で怪獣を察知する郷と、信じようとしない隊員たちの間で亀裂が生じます。一人で事態を収拾しようとした隊長を郷は救出するのですが、この”信じる? 信じない?”というのは、動機でよく出てくるものです。第7話 怪獣レインボー作戦 では、子どもの撮った写真に写っている怪獣を、誰もが特殊撮影のいたずらだと思うのを、郷だけが子どもを”信じて”捜索します。

 第8話 怪獣時限爆弾 は、”ミス”と”信じる? 信じない?”が一緒になった話です。ユーモラスな怪獣を見て油断した郷は、新型ミサイルを”間違って”時限装置つきで発射してしまいます。文字通り、爆弾を抱えた怪獣が都市部へ、それもダイナマイト工場へと向かって行きます。郷は怪獣が音に敏感なことに気がつきますが、誰にも”信じてもらえません”。マットの作戦が不調に終わる中、郷は単独ジープに乗ってサイレンを鳴らしながら怪獣を誘導するのです。

 第9話 怪獣島SOS では、”私のためにこんなことに”という、ドラマでは定番の動機が登場します。次郎少年の誕生日に郷に休暇を与えるため、南隊員は誰にも内緒で郷の任務(太平洋横断飛行?)を代わってやります。ところが南の機体は操縦不能となって失踪します。当然郷は責任を感じるわけです。

 第4話 必殺!流星キック は、キングザウルス三世が出てくるスポ根の怪作です。序盤でウルトラマンは怪獣のバリアにすべてのワザを跳ね返されて敗れます。郷は特訓してジャンプ力を鍛え、(ここが笑いどころなのですが)ウルトラマンではなく自分の足でバリアを飛び越えようとするのです。もちろん死にそうになって変身、今度はウルトラマンとしてバリアを飛び越えて怪獣を倒します。そうです、この話の動機は”リベンジ”なのです。

 第12話 怪獣シュガロンの復讐 は、ド田舎の山中に美しい娘がたった一人で暮らしており、その娘を救おうとするファンタジックな話です。”誰かを助けたい”という、動機の王道です。ところがこの話、結局娘は死んでしまうんですよ。美しくまとめようとしたんでしょうが、ある意味、掟破りです。

 第5話 二大怪獣東京を襲撃 第6話 決戦!怪獣対マット これは高密度の続き物です。グドンとツインテールの出てくる、あの話です。物語の基本は”対立”だという説がありますが、その基本にのっとって描かれています。冷徹でエリート志向の強い岸田隊員と、熱血な郷の対立から話は始まり、作戦面でのマットと上層部の対立、傷ついた恋人(アキ嬢)のそばに居たい郷とマットに戻そうとする上野隊員の対立、スパイナー爆弾を使うことになって都民を避難させようとする岸田隊員たちと東京大空襲でも避難しなかった話を出して動こうとしない市民(坂田兄弟)の対立、隊長が任から外されそうになり上層部と対立する隊員たち、そしてそもそも二匹の怪獣が対立しています。
 動機のほうもにぎやかなものです。岩石が怪獣の卵ではないかと騒ぐ子どもたちとそれに同調する郷ですが、岸田隊員には”信じてもらえません”(でも一応熱線で岩を焼いているから岸田に落ち度はないと思う)。グドンをMN爆弾で攻撃しようとした郷が、虫取りしている少女を見て攻撃のタイミングを逸したときも、少女の存在を”信じてもらえません”。アキ嬢が郷へのプレゼントを買おうとしてショッピングセンターに行くと、大地震で地下に閉じ込められます。郷はマットを飛び出して救出に行きます。”誰かを助けたい”、それも恋人ならなおさらです。アキは救出されますが重態となり、今度は”私のためにこんなことに”となるわけです。二大怪獣に挟撃されたウルトラマンは一度は敗北します。”リベンジ”です。スパイナー爆弾が使用されるかも知れないと知った郷はマットに戻ります。――ここが、本編全体の動機となります――”誰かを助けたい”。そして隊長が任を外されそうになりマットが解散をせまられる。これは”仲間の危機”という動機です。



●正義の味方に動機は必要か?

 ここで比較のために、正義の味方の元祖、「スーパーマン」を考えてみようと思ったのですが、資料がないために代わりに「パーマン」を考えてみます。といってもパーマンはくだらないことをして遊んでいることの方が多いのですが、悪と戦ったり人助けをしたりもしますから、その時の動機についてです。

 「ニセ札犯人を追え」では新聞に載りたいという”功名心”から犯人を捕まえています。ただしこれはパーマン2号の話。「怪人千面相」ではママに化けた千面相に”からかわれ挑戦されて”ます。もっともこの話はひとひねりしてあって、ミツオが自力で犯人を捕まえようとします。「生き埋めパーマン」では悪人に”買収をもちかけられ”怒ってます。「パーやんですねん」ではパーマン自身が不当契約にだまされ、「コソドロコンクール」ではミツオ自身が人質にされ、「通り魔は二度出ない」ではミツオのパパが通り魔に殴られてます。これらは”本人や家族や友人が被害者”という動機です。そもそもパーマンはやたらとマスクやマントを狙われる話が多い。「母恋いパーマン」は”自分と似た(?)境遇の人を助ける”という力作です。

 しかし、圧倒的に多いのは、”パーマンだから”という動機です。正義の味方が戦うのはそれが仕事だから、正義の味方だからなのです。
 パーマンの本質を描いた話として、「パーマンはつらいよ」があります。パーマン業と毎日の生活に疲れ果てたミツオがパーマンをやめる話です。しかしある地方で水害が起こり、行くまいと思ったミツオは結局でかけて行きます。『なんのとくにもならず、人にほめられもしないのになぜいくんだい?』とバードマン聞かれたミツオは、『わからない…………。でもいかずにはいられないんです。わけはあとで考えるよ。』と答えます。



●「エスパー魔美」について

 そこでまたまた別の作品に登場してもらいます。「エスパー魔美」です。このマンガは私のバイブルのような本ですが、そのわりに押入れから引っ張り出して調べてるんですが……、「エスパー魔美」は悪人と戦うより人助けをする話です。

 個人的な動機だらけのマンガで、友だちを助けるのはしょっちゅうだし、気に食わない人に超能力でいたずらしたり、予感だけで無責任な口約束したり、非常ベル(被害者の思考波)の音を無視してミスったり、ウソをついてひっこみがつかなくなったり、電話魔に悩まされたり、きまぐれにサンタになったり、空腹で苦しんだり、信じ込んだ預言者がニセものだと知ってトサカにきたり、大蛇に襲われたり、”あんたのせいだ”と責められたり、”巻き添えを食ったり”、お金のためならなんでもやるとアルバイトしたり、超能力がバレそうになるのはしょっちゅうで、自分が被害者になるのもしょっちゅうです。

 もちろん、言論の自由のために戦うとか真面目なテーマもあります。シリーズも安定してくると、魔美の救助も「仕事」みたいになっていき、被救助者と魔美の事情をシンクロさせる話が多くなります。それが限界にきたあたりで連載は終了しています。

 藤子Fのヒーローものは、ドラマの中心から主人公が離れないのが特徴です。本来ひとごとであるはずの「他人の危機」を、それを助ける「主人公の危機」にたくみに『すりかえる』のです。とにかく事件を解決せずにはいられない状況に主人公を心理的に追い込むわけです。そうすれば物語に説得力が生まれ、日常を描くという作者の特技も存分に発揮されるというわけです。



●もう一度考える

 正義の味方に動機は必要か? というテーマにもどります。
 被害者や被救助者など、第三者のドラマに力点を置くのであれば、主人公の個人的な事情による動機づけは必要ないと思われます。TVドラマにしろ漫画にしろ、物語を量産するには、そういった第三者の話を数多く作る必要があるのです。
 また、主人公のヒーローとしての仕事ぶりに力点を置いた場合も、特に動機づけはいらないようです。そこで重要なのは、”なぜ”よりも”いかに”活躍したかなのですから。

 しかしこれが映画だったらどうでしょうか。映画じゃなくても読みきり漫画とか、小説なら? どうしたって主人公の個人的な事情と動機を描かなければならないでしょう。してみると、正義の味方にも時に動機が必要であると言えます。そしてこの、『主人公のなまじなドラマ』というのは、たいへん基本的な物語であり、すぐに陳腐化するのは基本ゆえの難しさからくるものだと思います。異色な話の方が時の風雪に耐えやすいのです。

 基本的な物語があってこそ、異色な話が輝くわけで、『主人公のなまじなドラマ』を見ながら笑ったりツっこんだりする人は(私だ私)、そのことを忘れるべきではないと思います。