日本の暮らし文化・デザイン・アート探求記

日本文化から茶道・工芸に建築・布や着物・器と料理
心地いい日本の暮らし・日本文化・新日本様式とは何か?

綺麗さびを探しに 「小堀遠州 美の出会い展」

2008年01月11日 | 茶道~日本文化
                            小堀遠州 美の出会い展

久しぶりにお出かけ。なのに、お昼前に着いた銀座松屋の会場は混み込み。どうしようか?ランチしよう!と。
が、やはりランチタイムの列に並ぶ気合はなく、流れ流れて維新号の中華ランチ。
なんだかハズしたランチにモタついたお腹。じゃあ歩こう!と。
イトシア、国際フォーラムを素通りして丸ビルのコンランショップを見て出た視線の先に今話題のマンモス。
悠久の歴史と地球環境の流れの中でミイラになってしまった小さな子供のマンモス。
せつなくなりそうで見る勇気はなく・・・。
東京駅に辿り着き、疲れると恋しくなるホームグランド池袋へ。
なにがどうでもない池袋でお茶をして伝統工芸品館を見てデパ地下でお菓子を買う。
疲れ果て夜の帳も下りきる前に爆睡入魂、丑三つ時に目を覚ます。
綺麗さび探しは仕切り直しと相成りまして・・・。

 遠州きれいさびアットランダムメモ

小堀遠州(1579~1647)
古田織部に茶の湯を学び、千利休のわび茶を継承。大徳寺の春屋宗園に参禅。

幕府の作事奉行、将軍家の茶道師範。武家と公家の文化と美意識に精通。
近衛家や桂宮家との交流。松花堂昭乗・澤庵宗彭・江月宗岸玩などの数寄屋者や僧侶と交友。

和歌を冷泉為満に学んで書は定家様。
茶入などの銘を和歌から取り、箱書や小色紙・添状などを定家様で認めることは遠州が始めたスタイルと思われるが、「わび」の概念がもともと歌論のなかから発生してきたことを考えると、遠州は「わび」が本来もっていた和歌の精神に着目し、それを王朝風の雅な美意識として抽出したといえよう。そしてその上に作事奉行としての美意識が加わって成立しているのが遠州の「綺麗さび」なのではないだろうか。

遠州七窯の指導や中興名物の選定。
遠州の選定した「中興名物」は、「大名物」などに比べると、いずれも和物らしい穏やかさがあり、和歌による歌名と定家様の箱書がよく似合う。この中興名物には唐物も含まれるが、どこか洗練された「気分」が感じられる。
また、それら当時の伝来品より瀟洒な茶道具は、遠州の指導により製作されたといわれる丹波焼・膳所焼・高取焼・薩摩焼などの茶陶である。これら遠州が取り上げた茶道具から遠州指導により生まれた茶道具まで、そこに一貫して感じられるのは、瀟洒で綺麗で雅な気分の中にわびた趣が同居するという、まさに「綺麗さび」の美意識である。

「面取り」に作事奉行ゆえの美意識が感じられる。
この面取りは遠州に限らず、同時代の作事奉行・佐久間将監真勝好みの茶道具にも見られる。

将軍家の茶の湯は「数奇屋御成」が好まれた。
遠州は小間ではわび道具、鎖の間では唐物、書院では唐物・古筆・歌書・絵巻を飾っている。
祥瑞・古染付・南蛮物も茶道具に取り入れるなど遠州の美意識は国際性も豊かであった。

禁裏・仙洞御所や二条城・江戸城山里などの作庭。
庭園は切石積や護岸など幾何学的なデザインが目立つ。
大徳寺孤蓬庵内忘筌席・同龍光院内密庵席・南禅寺金地院内八窓席などの数奇屋普請。
茶室に床の間と点前座を横に並べる手法を好んだ。

・桃山文化の残照~寛永文化  ・茶禅一味

・「遠州きれいさび、わび宗旦、姫宗和」

■千利休→千家流
                       →・・・金森宗和
    →古田織部→細川三斎→小堀遠州→片桐石州→松平不昧

参考引用図書 数寄のデザインー利休・織部・遠州・不昧ー 批評と理論 その他

幻のきれい寂び~村野藤吾に     遠州流茶道



ブルーノ・ムナーリの猫・Ikeban・蛙・Take

2008年01月08日 | 積読睡眠学習図書録
          
           生誕100年記念 ブルーノ・ムナーリ あの手この手   2007年12月1日~2008年1月14日

       
                           

        『闇の夜に』                            『カエルのロミルダ』

闇の夜に猫の恋人達、彼が彼女に囁く             「話の前後を考えることなく」飛び跳ねるくせがある。
「ちっちゃな白ネズミなんか好きかい?」            そのお陰でびっくりするような場面に次々飛び込んでゆく。
なんと素敵な一撃必殺の殺し文句!!!           この本読んで我振り直そう!?   


 ムナーリと日本


        

       『日本の木』                              『一輪の花に愛をこめて』
                  
表意文字である漢字にも興味を持っていた。                  構想段階のタトルは「kebana」
                                             ムナーリの生け花を紹介している。
                   


柳宗理 
1957年ミラノ・トリエンナーレ ジオ・ポンティーを介して。
あのバタフライ椅子、あのヤカン。 

武満徹
『ムナーリ・バイ・ムナーリ』図形楽譜。 
「演奏者は色を聴き、メッセージを全身で送り出し、永遠の時空間を『無なり』へ変貌させる」
(「プログラム・ノーツ」『武満徹著作集5』より)

福田繁雄
「無意味の意味」「無用の用」を軽やかに表現するムナーリとの出会い。


HPより

ブルーノ・ムナーリ(1907-1998)は、絵画・デザイン・美術教育などの分野で多岐にわたる活動をしました。この展覧会は、ムナーリの活動を彼が生涯にわたってかかわり続けた「本」の仕事を手がかりにして分類、展示し、彼の思考の軌跡をたどる試みです。

展示内容は、ムナーリの書籍を中心に、日本ではほとんど紹介されていない、未来派時代の油彩画やスケッチ、絵本原画、映像作品なども含まれる予定です。また、ムナーリと日本の文化人やアーティストとの交流も併せて紹介します。10のコーナーの冒頭には、ムナーリをリスペクトする駒形克己氏デザインの、ダンボールを用いた展示ケースにシンボルとなる作品が印象的に展示されます。

柔軟な発想と、自由なものの見方を大切にしたムナーリ。近年、イタリアと日本を中心に復刊が相次ぎ、生誕100年を期に改めて注目を集めています。この記念すべき年に、イタリアと日本から集めた約330点のムナーリ作品を一堂に展観します。

絵本の展開

『読めない本 - 白と赤』デ・ヨング社
1950年、ミラノで初めての「読めない本」を発表します。これらは、本の形をしていると同時に、抽象的な彫刻としての機能も持つものでした。当時のムナーリは、ロシア構成主義とバウハウスの影響を色濃く受け、イタリアの抽象派の活動に参加しています。

『闇の夜に』
ムナーリは「読めない本」での一連の実験をもとに、1956年「闇の夜に」を出版しました。最低限の言葉を用い、色紙のページには穴が開いていて、絵はトレーシングペーパーに印刷されるなど、本全体から立体性を感じ取ることができるという、新しいタイプの絵本の誕生でした。


サントリー美術館 「和モード―日本女性、華やぎの装い」展

2007年12月26日 | 布~着物

                      「和モード―日本女性、華やぎの装い」 サントリー美術館年末年始企画展

                            2007年12月23日(日・祝)~2008年1月14日(月・祝)
~HPより
近年、日本の「和」の文化が注目され、ファッションや小物など身近な生活に活かされています。本展は、日本的な装いの流行・様式を「和モード」と名づけ、今日の流行の源流を、日本女性の装いの中にたどる展覧会です。《描かれた和モード》《小袖の和モード》《化粧の和モード》《髪と髪飾りの和モード》や《文明開化と近代の和モード》などの各章を通し、サントリー美術館所蔵の小袖や櫛・笄、化粧道具や風俗画、浮世絵などにより、華やかな和モードの世界をご覧いただくとともに、サントリーミュージアム[天保山]のポスターも交えて、現代に至る「和モード」の流れをご紹介します。


私が映画にみた着物。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。」
この有名な書き出しで始まる『雪国』。

そして映画『雪国』。
日本の情景の美しさも然ることながら岩下志麻扮する駒子の纏う着物に悩殺されたのは小学生だったか中学生の頃。

ビデオを止めて、暫し呆然、蜜柑を飲み込み炬燵から這い出した。
本棚から<小千谷・小千谷紬・小千谷縮>なるキーワードを抜き出し考えた。
「そうだ、小千谷に行こう♪」「今は雪積もる冬、お年玉も持ってるもんね!」
今と変わらずなんと短絡的な子供であろうか。
リュックサックに詰め込んだ旅支度。それは怪しい程に大きく直ぐ親に見つかることとなった。

まさに息を呑むということを教えてくれた映画『細雪』。
竹林の静寂を衣摺れの音が切り裂くように舞い広がり映し出された羽裏の文様。
あぁぁっ・・・その場面に時が止まった。

「こいは~ん」が頭の中でリフレイン。あの小百合サマを石坂浩二が呼んでいる。
サユリストのおじ様はスクリーンの前で5秒仮死状態。

あ~兎にも角にもタマラナイ映画『細雪』。


『雪国』1957年(製作:東宝、監督:豊田四郎、出演:池部良、岸惠子、八千草薫、森繁久彌、浦辺粂子、市原悦子ほか)
『雪国』1965年 (製作:松竹、監督:大庭秀雄、出演:岩下志麻、木村功、加賀まりこ、沢村貞子ほか)
『細雪』1983年 (製作:東宝、 監督:市川崑、出演:岸恵子、佐久間良子、吉永小百合、古手川祐子、伊丹十三、
          石坂浩二、岸部一徳、桂小米朝、浜村純、細川俊之、仙道敦子、橋爪淳ほか)

『細雪』の舞台となった神戸市東灘区の谷崎の旧邸は1990年に移築保存に成功し「倚松庵」と名づけられている。


着物アットランダムメモ

■「いのちを纏う―色・織・きものの思想」 志村 ふくみ ・ 鶴見 和子 著
長年“きもの”三昧を尽してきた社会学者と、植物染料のみを使って“色”の真 髄を追究してきた人間国宝の染織家。植物のいのちの顕現としての“色”の思想と、魂の依代としての“きもの”の思想とが火花を散らし、失われつつある日本のきもの文化を、最高の水準で未来へと拓く道を照らす。
~データベースより

■「一色一生」 志村 ふくみ 著
 
色が匂う 生命の気配 藍へのこだわり 光と闇の結合 黄色×黒 緑が生命の始まり ゲーテ
「小裂帖」 マティスに触発 ジャズのリズム 裂のコラージュ
 
■「たまゆらの道―正倉院からペルシャへ」 志村 ふくみ・ 志村 洋子 著
玉響(たまゆら)とは、玉が触れ合ってかすかに音をたてること。
柳宗悦の書「指スヤ都 見シヤ茲ヲ」(都を求めて心の旅に出なさい。ここをおいてどこに都があるだろう。)

■「着物」・「きもの自在」・「コレクション鶴見和子曼荼羅」 鶴見和子 著

■「日本文学色彩用語集成」~上代~中古~近世  伊原 昭 著
日本人の美意識の核となる色を実証的に初めて捉えた基礎資料。30有余年を費やして遂に完成。
デリケートで、豊かな、平安時代の「色」の言葉を網羅した初めての本。~データーベースより

■書家 篠田桃紅

■紬織人間国宝 宗廣力三作品集 
 
■白洲正子
    
■能装束                  

■木村孝・森田空美・林真理子・群ようこ・幸田文     ・・・etc・・つづく・・・



飛べ!! ムササビ☆モモンガ

2007年12月20日 | 猫~鳥


ムササビは風呂敷大モモンガはハンカチ大
この呪文のような基礎知識と共に☆まねきねこ☆さんが届けてくれたムササビ&モモンガの詰め合わせ
と言っても、生ものではありません
が、縄文時代にムササビは食糧獣だったとか

☆まねきねこ☆さんの「夜間ムササビ☆ウォッチング♪in高尾山」のミクシイ日記を拝読し
ムササビ&モモンガに心をわしづかみされた私に画像と資料をくださったのだ

      ☆まねきねこ☆さんの日記から感動の実話をコピペ   <上・写真>
  
      迷子のムササビ母と再会. 2003.05.08.
      歌津田の浦. 人もカラスも恐れず はぐれた子を迎えに
      歌津町田の浦、漁業鈴木邦夫さん(67)方の庭で5日昼、ムササビの子が見つかった。      
      ムササビの母親が現れて子を受け取り、礼をするようにして母子で森へ帰った。


         

   世界のムササビ☆モモンガ切手        多摩動物公園「ムササビ観察会」
                                高尾山夜間ムササビ・ウォチング
                                星野リゾートにもムササビが!?


トロの母さんの日記に高尾山がミュシュランガイドに載ったとあったが、やはり魅惑的な山なのか

登るぞーだんだん気分は三浦雄一郎になってきた
インコの散歩で砂袋背負ってトレーニングウェイト巻いて鍛えよう
インコ連れて登るぞそして私は高尾山でも都市伝説になるのだ
なになにモモ&チロはロープウェイがいいそうな

「篠沢教授に5000点!」これって死語?

2007年12月18日 | 積読睡眠学習図書録

顔面の砂漠化が進む、こんな時に限って野暮用が。
帽子を被り口裂け女よろしくマスクを着用。
電車に乗り込みボ~っと中吊り広告を眺めていると斜め前方から人影が・・・。
「あ~やっぱり、篠沢教授に5000点~!」

記憶の彼方から蘇るクイズダービーごっこ「長生きしそうな人はだ~れ?」
「篠沢教授に5000点!」で私が選ばれた。
「はらたいらさんに500点」ではないところがミソである。

山猿のように育った私の数え切れない武勇伝。
雲梯で勢いあまり顔面から落下。
起き上がれない私を裏返した友達は、そのホラーな顔面に泣き出し走り去り、
保健の先生は悲鳴を上げ、家に帰れば婆ちゃんが泣き崩れた。
昭和の冬は寒かった。すってんころりん入間川に張った氷を顔面でカチ割り流血。
その入間川の土手滑りではうっかり顔面滑走オーバーラン。
子供心にそれでも死なない私はもしかしてスゴイぞってことで「篠沢教授に5000点!」

あの日、大橋巨泉になりきっていた御仁と間の悪い再会。
なりきり巨泉は私の顔見て「ジーザス!オーマイッガッ!」
温暖化の昨今、まさか入間川で顔面カチ割り氷が作れるはずないだろ。ストレスだ!
なりきり巨泉が勝手にストレス占い。
「君の人生に星の王子さま信仰が弊害を及ぼしている。
後生大事に持っている“星の王子さま”愛蔵版を正月の喜多院でお札と一緒に護摩焚すべし。
すれば“大切なことは目に見えないんだ”の呪縛から逃れられ世の中クリアになる。」
なりきり巨泉の戯言は続く。
「人形と女の子は顔が命。」と雛人形屋のキャッチコピーみたいなスローガンを掲げ、
「僕のステイタスと彼女のビューティーでお取引成立、これぞ男女間における資本主義。」だと。
それこそ「ジーザス!オーマイッガッ!」
違うベクトルでアホな私が言うのも僭越であるが、
「正月の氷川神社でその戯言を護摩焚すべし。さもなくば可愛い兎に化けた狐にとり憑かれるぞ。
そして人生の不毛に哀愁漂わせる頃には三途の川の向こうで閻魔様がカモーン。」
化けた狐の尻尾も目に見えない。
なりきり巨泉に狐の嫁入り「竹下景子さんに1000点」

薫る昭和に歳がバレるーぅ。いい歳して情けない。
アホがアホよぶ車中の夕暮れ。アホの未来に幸あれ。

アニミズムを読む

2007年12月16日 | 積読睡眠学習図書録
                    
                              アニミズムを読む―日本文学における自然・生命・自己
                                   平川 祐弘・鶴田 欣也【編】 新曜社



春の宵ふらりふらりと入った本屋さんで装丁の何とも言えない質感と色合に浮ぶ桜模様が気に入り買っちゃた。
何年前だったかな~?あの宵の夜桜がそこはかとなく薫ってきそう♪

・・・こんな調子じゃ本の整理が進まない。
あ~“やらなくちゃ”と思っていることが山積みのまま12月も半ば過ぎ。
がんばれ私!でもちょっとトラと休憩してからね~トホホな私☆



いまアニミズムが見直されている。
現代文明によって傷つき乾いた心を潤し、自然とのつながりを回復させてくれる癒しの思想として。
万葉、古今から鏡花、川端、大江までの日本文学のなかに脈々と流れるアニミズムの水流を
広く世界文学の視点から跡づける。

現代小説の中のアニミズム―「桜」モチーフの軌跡
果心居士の消滅―西洋のミメーシスと違うもの
日本文学の底に流れるアニミズム
復活するアニミズム―現代日本文学の場合
現代に生きるアニミズムの世界
水とことばとコスモロジー
無常とアニミズムの融合―仏典のレトリックと和歌の自然観
自然のいのちと芸術の美―日本の文芸論における自然物のイメージ
言葉のアニミズム―泉鏡花における自己と自然
花と精霊―折口信夫『身毒丸』を読む
ふれ合うリズム―志賀直哉の『和解』と『暗夜行路』における自己と自然
川端康成の自然・女性・自我
三島由紀夫、その自己と自然―宮沢賢治の世界とくらべて
風景の川、文体の川―井伏鱒二の名作『川』
辺境なるアルカディア―大江健三郎の「牧歌」と「反牧歌」

国際会議「日本文学における自然と自己」(1992年夏,於バンクーヴァー,ブリティッシュ・コロンビア大学)に提出された論文のうち、アニミズムに関係のあるものを集めて、雑誌『無限大』92号(日本アイ・ビー・エム株式会社,1992年冬刊行)が組んだ特集「日本文学に流れるアニミズム」をもとに選択・加筆・増補して出版したもの。
英文会議録書名: The proceedings of nature and self in Japanese literature (U.B.C., 1993)


サントリー美術館に鳥獣戯画がやってきた!

2007年12月14日 | 茶道~日本文化
                        国宝「鳥獣人物戯画絵巻 甲巻」(部分)  平安時代(12世紀) 高山寺蔵       


サントリー美術館で開催されている開館記念特別展「鳥獣戯画がやってきた!-国宝『鳥獣人物戯画絵巻』の全貌-」が残すところ3日となった。
京都・栂尾(とがのお)の高山寺に所蔵される「鳥獣戯画」(国宝「鳥獣人物戯画絵巻」)4巻を中心に、分蔵される断簡、模本類もあわせて展示し、「鳥獣戯画」の全貌を本格的に紹介している。
また、それぞれの系譜に連なる作品をあわせて展示することで、「鳥獣戯画」の特色として挙げられる諸要素 ― 線描表現、ユーモア性、動物の擬人化など ― から、「鳥獣戯画」を基軸として垣間見えてくる日本文化の本質に迫る。


キュートなカエルとニヒルなウサギ会いに行こう
が、しかし・・・顔が、首から上が開拓前の荒地のようにヒドイことになっている。
家人その他諸々の人々がドン引きだ。
う~んドン引かれるとはこうゆうことなのか!?
きっとまあ今までだって幾度となくそうであったであろうに気づかなかったのか。
これぞ鈍感力! 繊細では生きていけませんもの♪

あ~ん行きたい!
そうだとマスクをしてみたが、漣だったデコまで隠れるはずはない。
かくして夜な夜な鏡の前で変装七変化試行錯誤は続く・・・。


赤坂見附にあったサントリー美術館、学生時代に何度か行った。懐かしい。
そして今年の春、隈研吾氏の設計で東京ミッドタウンにリニューアルオープン。
「六本木アート・トライアングル」をかなでる森美術館・国立新美術館・サントリー美術館。
その中でもサントリー美術館は木の温もりが感じられ落ち着く。
2007年、サントリー美術館は「新日本様式」100選に選ばれた。

美術館の中にある金沢の加賀麩の老舗「不室屋」が運営しているカフェのお弁当もお勧め。


仏像loveの会 ~奈良へ~

2007年12月10日 | 茶道~日本文化
   

     斑鳩の里落陽(法隆寺塔)                   宵月薬師寺伽藍
     入江泰吉1977~1981年撮影                 入江泰吉1982年頃撮影



ゆけむり会から派生した仏像loveの会。平均年齢78才の健脚自慢の皆さんだ。
思い立ったら足取り軽く愛する大仏様やお釈迦様のお顔を拝みに行く。
その為に毎日のラジオ体操は欠かさない。
絶妙なタイミングで合いの手が入るラジオ体操第2。
「ピンピンコロリ♪ピンコロリ!」
それがお達者でご機嫌な毎日を送る秘訣だという。
仏像loveの会、この冬は奈良へ見参。

奈良といえば私が仏像に恋に落ちた場所。初めての小心者一人旅。
ちょうど「土門拳・入江泰吉二人展」が入江泰吉記念奈良市写真美術館で開催されていて、
入江泰吉の写真にも嵌った。

先日NHKで放送された「にっぽん 心の仏像 100選」
出演していたハナちゃんが「好きな男性のタイプと好きな仏像は重なる」と言っていた。
なるほど、だ。





入江泰吉記念奈良市写真美術館  設計・黒川記章              新薬師寺   かえる

栗田勇の本

2007年12月08日 | 積読睡眠学習図書録
       
    「造化のこころ」      「日本文化のキーワード」    「飛鳥大和美の巡礼」    



栗田勇の本に嵌りそうだ。

夜な夜な枕元に心ときめく本を積み上げ本を開けば夢の中。
これがいわゆる積読睡眠学習。


《 用の美 》以下は「造化のこころ」より抜粋・・・だったと思う。

積読睡眠学習図備忘録なのでお時間のある方はどうぞ。
この猫の手も借りたい師走にお暇な方はいませんね。


 《 用の美 》 

 今日「用の美」というと、たちまち、いわゆるモダニズムの代名詞のような機能美の意味にとられるおそれがある。もうひとつは、柳宗悦たちの唱えた、やはり機能美ではあるが、機会ではなくそこに無名の庶民生活をもちこんだ民芸の美しさと受けとられることになりそうだ。
 それら二つとも、それはそれでたしかにひろくは用の美をとらえたものではあるが、しかし、いま「用の美」として考えてみたいのは、さらに遡って、いわば太古いらい日本人の生活意識をつらぬいてきた、ひとつのかくされた美意識が、ひろく生活と文化をつらぬいている点なのである。
 近代機能主義は、よく、「機能的なものは美しい」というスローガンで表される。
 この、私たち日本人にとっては、時にしごくあたりまえにきこえる言葉が、西欧では革命的な芸術美学の宣言として発せられたことをふりかえってみる必要がある。
 西欧の美は、少なくとも、近代までは装飾といわれる人工的な、実用を目的としない飾り方の様式の変遷だったといっていい。
 だから、二十世紀になって、とくに機械的製品である機関車や航空機、自動車など全く装飾を目的としない、いわば能率一本槍の製品が文明に登場したとき、これをどう受けとめるかにとまどった。とうぜん、今までのように神がつくったとも人間がつくったともいえない機械の大量生産品をまえにして、まずは怪物=モンスターと受けとめたのも不思議はない。
 しかし、量産製品、そして建築において、この新しい意識は、おのれの美を主張し、それまでの人工的装いを虚偽であり、醜いものだとして否定し、自らの主導性を主張するにいたったが、長い時代に埋もれて、生まれたものだった。だから、じつは、意識されたとき、民芸はもはや民芸ではなくなり、過去の遺産となってしまった。
 ところで、では「用の美」とは機能主義や民芸とはどこがちがうだろう。
 すでにみたように、民芸運動もじつは工場産業時代の裏返しの、機能主義にほかならない。
 用の美というとき、これは日本人が古代から時代の生産方式に関係なく、ひきついできた、ひとつの生き方なのである。
 たとえば、衣・食・住、あらゆる生活態度と、それに応ずる用具を思い出してみよう。
 日本人は、用、すなわち、必要性をみたすものをつくり出すとき、それにとどまらないで、用をどこまでも追求し、純化していって、用をつきぬけた美の結晶にまでもたらさないと気がすまなかった。
 どこに用の美があるかと問われれば、どこにでもある生活のもっとも単純化された祖型、アルケタイプにそれがあるということができる。
 たとえば、衣を例にとるなら、さらし一枚をみてもよい。ただの白い布一枚が、あるいは武士の、あるいは町人男子の必要不可欠な下着であると同時に、生き死にの場の礼装的な、あえていえば、きよめという宗教的な意味にさえなってくるのである。
 さらしのふんどし、さらしのじゅばん、さらしの法衣。あるいは民間宗教行者の礼装、さらに、死装束の白衣とさえなってくる。そこには、最も単純な白い綿という素材をそのまま実用に単純に用いながら、美的なものから聖なる次元へまで意味づけているのである。
 そうみれば、日本の和装というものも、よく知られているように、直線裁ちで平面的である。人体は、曲面体であるのに、日本の衣は、あくまでも単純な平面と直線に固執しつづけてきた。
 これは、裁断と裁縫をおどろくほど単純化している。
 たとえば、ギリシャ・ローマの衣装をみると、布をバイヤスにして身体に巻きつけているから軀に密着している。はじめから、密着することを求めた西欧の衣服は、したがって、その後、曲線と立体裁断の歴史となった。
                             

インコの散歩

2007年12月07日 | 猫~鳥
   

素敵な猫ライフは雨の日も雪の日も晴れた日曜日もお散歩不要

雨の日に猫のしっとり湿った髭にスリスリ寄り添い
寒い日はホカホカカーペットに模様のごとく猫と溶け込み
晴れも日曜もそんなの関係なく眠りこける
怠け者の私には猫ライフこそ人生ワンダフルライフ

しかし人生そんなに甘くないとはよく言ったもの
愛憎悲喜劇により毛引き症となってしまったインコのモモ&チロ

そんな彼らに特効薬はなく小鳥の病院での指導は「散歩させてください」と
あの、犬の様に?そう、犬の様に!
モモ&チロ、インコなのに公園デビュー
そして季節は移ろいついに埼玉にも冬がやってきた