小堀遠州 美の出会い展
久しぶりにお出かけ。なのに、お昼前に着いた銀座松屋の会場は混み込み。どうしようか?ランチしよう!と。
が、やはりランチタイムの列に並ぶ気合はなく、流れ流れて維新号の中華ランチ。
なんだかハズしたランチにモタついたお腹。じゃあ歩こう!と。
イトシア、国際フォーラムを素通りして丸ビルのコンランショップを見て出た視線の先に今話題のマンモス。
悠久の歴史と地球環境の流れの中でミイラになってしまった小さな子供のマンモス。
せつなくなりそうで見る勇気はなく・・・。
東京駅に辿り着き、疲れると恋しくなるホームグランド池袋へ。
なにがどうでもない池袋でお茶をして伝統工芸品館を見てデパ地下でお菓子を買う。
疲れ果て夜の帳も下りきる前に爆睡入魂、丑三つ時に目を覚ます。
綺麗さび探しは仕切り直しと相成りまして・・・。
遠州きれいさびアットランダムメモ
小堀遠州(1579~1647)
古田織部に茶の湯を学び、千利休のわび茶を継承。大徳寺の春屋宗園に参禅。
幕府の作事奉行、将軍家の茶道師範。武家と公家の文化と美意識に精通。
近衛家や桂宮家との交流。松花堂昭乗・澤庵宗彭・江月宗岸玩などの数寄屋者や僧侶と交友。
和歌を冷泉為満に学んで書は定家様。
茶入などの銘を和歌から取り、箱書や小色紙・添状などを定家様で認めることは遠州が始めたスタイルと思われるが、「わび」の概念がもともと歌論のなかから発生してきたことを考えると、遠州は「わび」が本来もっていた和歌の精神に着目し、それを王朝風の雅な美意識として抽出したといえよう。そしてその上に作事奉行としての美意識が加わって成立しているのが遠州の「綺麗さび」なのではないだろうか。
遠州七窯の指導や中興名物の選定。
遠州の選定した「中興名物」は、「大名物」などに比べると、いずれも和物らしい穏やかさがあり、和歌による歌名と定家様の箱書がよく似合う。この中興名物には唐物も含まれるが、どこか洗練された「気分」が感じられる。
また、それら当時の伝来品より瀟洒な茶道具は、遠州の指導により製作されたといわれる丹波焼・膳所焼・高取焼・薩摩焼などの茶陶である。これら遠州が取り上げた茶道具から遠州指導により生まれた茶道具まで、そこに一貫して感じられるのは、瀟洒で綺麗で雅な気分の中にわびた趣が同居するという、まさに「綺麗さび」の美意識である。
「面取り」に作事奉行ゆえの美意識が感じられる。
この面取りは遠州に限らず、同時代の作事奉行・佐久間将監真勝好みの茶道具にも見られる。
将軍家の茶の湯は「数奇屋御成」が好まれた。
遠州は小間ではわび道具、鎖の間では唐物、書院では唐物・古筆・歌書・絵巻を飾っている。
祥瑞・古染付・南蛮物も茶道具に取り入れるなど遠州の美意識は国際性も豊かであった。
禁裏・仙洞御所や二条城・江戸城山里などの作庭。
庭園は切石積や護岸など幾何学的なデザインが目立つ。
大徳寺孤蓬庵内忘筌席・同龍光院内密庵席・南禅寺金地院内八窓席などの数奇屋普請。
茶室に床の間と点前座を横に並べる手法を好んだ。
・桃山文化の残照~寛永文化 ・茶禅一味
・「遠州きれいさび、わび宗旦、姫宗和」
■千利休→千家流
→・・・金森宗和
→古田織部→細川三斎→小堀遠州→片桐石州→松平不昧
参考引用図書 数寄のデザインー利休・織部・遠州・不昧ー 批評と理論 その他
幻のきれい寂び~村野藤吾に 遠州流茶道
久しぶりにお出かけ。なのに、お昼前に着いた銀座松屋の会場は混み込み。どうしようか?ランチしよう!と。
が、やはりランチタイムの列に並ぶ気合はなく、流れ流れて維新号の中華ランチ。
なんだかハズしたランチにモタついたお腹。じゃあ歩こう!と。
イトシア、国際フォーラムを素通りして丸ビルのコンランショップを見て出た視線の先に今話題のマンモス。
悠久の歴史と地球環境の流れの中でミイラになってしまった小さな子供のマンモス。
せつなくなりそうで見る勇気はなく・・・。
東京駅に辿り着き、疲れると恋しくなるホームグランド池袋へ。
なにがどうでもない池袋でお茶をして伝統工芸品館を見てデパ地下でお菓子を買う。
疲れ果て夜の帳も下りきる前に爆睡入魂、丑三つ時に目を覚ます。
綺麗さび探しは仕切り直しと相成りまして・・・。
遠州きれいさびアットランダムメモ
小堀遠州(1579~1647)
古田織部に茶の湯を学び、千利休のわび茶を継承。大徳寺の春屋宗園に参禅。
幕府の作事奉行、将軍家の茶道師範。武家と公家の文化と美意識に精通。
近衛家や桂宮家との交流。松花堂昭乗・澤庵宗彭・江月宗岸玩などの数寄屋者や僧侶と交友。
和歌を冷泉為満に学んで書は定家様。
茶入などの銘を和歌から取り、箱書や小色紙・添状などを定家様で認めることは遠州が始めたスタイルと思われるが、「わび」の概念がもともと歌論のなかから発生してきたことを考えると、遠州は「わび」が本来もっていた和歌の精神に着目し、それを王朝風の雅な美意識として抽出したといえよう。そしてその上に作事奉行としての美意識が加わって成立しているのが遠州の「綺麗さび」なのではないだろうか。
遠州七窯の指導や中興名物の選定。
遠州の選定した「中興名物」は、「大名物」などに比べると、いずれも和物らしい穏やかさがあり、和歌による歌名と定家様の箱書がよく似合う。この中興名物には唐物も含まれるが、どこか洗練された「気分」が感じられる。
また、それら当時の伝来品より瀟洒な茶道具は、遠州の指導により製作されたといわれる丹波焼・膳所焼・高取焼・薩摩焼などの茶陶である。これら遠州が取り上げた茶道具から遠州指導により生まれた茶道具まで、そこに一貫して感じられるのは、瀟洒で綺麗で雅な気分の中にわびた趣が同居するという、まさに「綺麗さび」の美意識である。
「面取り」に作事奉行ゆえの美意識が感じられる。
この面取りは遠州に限らず、同時代の作事奉行・佐久間将監真勝好みの茶道具にも見られる。
将軍家の茶の湯は「数奇屋御成」が好まれた。
遠州は小間ではわび道具、鎖の間では唐物、書院では唐物・古筆・歌書・絵巻を飾っている。
祥瑞・古染付・南蛮物も茶道具に取り入れるなど遠州の美意識は国際性も豊かであった。
禁裏・仙洞御所や二条城・江戸城山里などの作庭。
庭園は切石積や護岸など幾何学的なデザインが目立つ。
大徳寺孤蓬庵内忘筌席・同龍光院内密庵席・南禅寺金地院内八窓席などの数奇屋普請。
茶室に床の間と点前座を横に並べる手法を好んだ。
・桃山文化の残照~寛永文化 ・茶禅一味
・「遠州きれいさび、わび宗旦、姫宗和」
■千利休→千家流
→・・・金森宗和
→古田織部→細川三斎→小堀遠州→片桐石州→松平不昧
参考引用図書 数寄のデザインー利休・織部・遠州・不昧ー 批評と理論 その他
幻のきれい寂び~村野藤吾に 遠州流茶道