一身上の都合で、メールチェックやコメント管理ができない状況になっております。更新もままならず、すみません。特にゲハジさんには、せっかくコメントいただいていたのに公開が遅れて申し訳ありませんでした。
まだ一ヶ月くらいはこの状況が続くと思います。
ついでに。
そう言えばさっき、ネットのニュース(共同)で、輸血拒否した親の親権を裁判所が停止して一歳児に輸血を可能にしたというのを見ました。
私は基本的に思想信教の自由に行政が介入すべきではないと思いますが、一歳児のように本人の思想信教と言えない段階で、その生命の保全停止に関する判断を、いかに親と言えど、他者がすることには、やはり疑問があります。
逆の介入(例えば障害のある胎児や乳児の生命を停止させる方向の介入)には、反対なわけですが。
すなわち、この場合、私は、生命の保全という本人にとっての基本的人権をまず尊重するという大原則を第一義としているわけです。
そうなんだよなー、うーん、ホントはちゃんと記事書きたいんですが、だから生命の保全を否定することになりかねない、というかなっている輸血拒否の教義は、やっぱりJWという組織の聖書解釈の真偽に関する大きな問題だと思うし、モラルや他者や自己を尊重し、謙虚さを身に付けるという、人間に幸福をもたらすはずの宗教の意
義と相反するのではないかと思うんですよ。
端的に言えば、教義を守るために死という手段を提示する宗教に、私は非常に強い違和感を感じるということです。
そりゃ、言葉は便利なモノなので、ある程度、説得力のある理屈は、賛否双方について、いくらでも成立すると思いますよ。でも、復活があるにせよ、一旦生を受け、そして人が自分のみならず他人についても重要と見なしている生命を捨てることで忠誠を示す必要があるという発想、教義に感じる「なんとなく、ひっかかる」感じは
、無視してはいけないと思うわけです。
極論ですが、命より大事なモノがあるという考えを組織でするってとこが、イマイチ、信用できないってこと。
って、ここらへん、ちゃんと書きたいのに!
なんか、ついでが、長くなりましたが、ここまで。
まだ一ヶ月くらいはこの状況が続くと思います。
ついでに。
そう言えばさっき、ネットのニュース(共同)で、輸血拒否した親の親権を裁判所が停止して一歳児に輸血を可能にしたというのを見ました。
私は基本的に思想信教の自由に行政が介入すべきではないと思いますが、一歳児のように本人の思想信教と言えない段階で、その生命の保全停止に関する判断を、いかに親と言えど、他者がすることには、やはり疑問があります。
逆の介入(例えば障害のある胎児や乳児の生命を停止させる方向の介入)には、反対なわけですが。
すなわち、この場合、私は、生命の保全という本人にとっての基本的人権をまず尊重するという大原則を第一義としているわけです。
そうなんだよなー、うーん、ホントはちゃんと記事書きたいんですが、だから生命の保全を否定することになりかねない、というかなっている輸血拒否の教義は、やっぱりJWという組織の聖書解釈の真偽に関する大きな問題だと思うし、モラルや他者や自己を尊重し、謙虚さを身に付けるという、人間に幸福をもたらすはずの宗教の意
義と相反するのではないかと思うんですよ。
端的に言えば、教義を守るために死という手段を提示する宗教に、私は非常に強い違和感を感じるということです。
そりゃ、言葉は便利なモノなので、ある程度、説得力のある理屈は、賛否双方について、いくらでも成立すると思いますよ。でも、復活があるにせよ、一旦生を受け、そして人が自分のみならず他人についても重要と見なしている生命を捨てることで忠誠を示す必要があるという発想、教義に感じる「なんとなく、ひっかかる」感じは
、無視してはいけないと思うわけです。
極論ですが、命より大事なモノがあるという考えを組織でするってとこが、イマイチ、信用できないってこと。
って、ここらへん、ちゃんと書きたいのに!
なんか、ついでが、長くなりましたが、ここまで。