すっかりご無沙汰してました。
実は入院しておりまして。
で、出産を前に、無事退院できました、が、多分、まもなく出産になると思います。
子どもを産むと当分、こうしてPCに向かうこともできなくなると思います。
最近、子どものしつけで悩むことも多く、ブログを書いている時間すら、「こんなことしてる場合じゃない」みたいな焦りもありました。
また、冊子や聖書を読む時間もなく、夫と話す時間もなく、JWについて整理して考える時間が取れず、まとまったエントリをあげることもできない状態が実際に続き、また、今後も続くことが予想されるわけで、そのような現状にある以上、当面凍結とするのがよいのではないかと考えました。
というわけで、しばらく凍結します。
再開の目処は立っていません。
このままやめてしまう可能性も高いですが、とりあえず、ここに書いた疑問をもとに、今後、夫と話す可能性もあるので、記事は残しておきます。
これまで、お読みいただいた皆様、誠にありがとうございました。
今後も、他の皆様のブログは拝見し、可能ならコメントなどもしていきたいと思います。
いろいろな方のブログを拝見し、学ぶことが非常に多かったです。自分で理解していたよりも、ずっと割り切れない、また、個人個人によって様々な思い入れがあるものだということ、独特の精神状態がある一方で、非信者となんら変わりのない懊悩や情動があり、個人によってそれらに対する裁量、というか態度が異なること、そうかと思うと、JW全般に共通の確固たるものがあること、また「被害」と呼んで差し支えない状況が発生しているケースがあることなど、非常に複雑な状況に考えさせられることも多くありました。
おそらく、考えがまとまらないときは、こうして書いてまとめる必要もまた出てくるかと思います。
でも、当面は凍結します。
今まで、どうもありがとうございました。
また、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
追記
凍結の前に、一つだけメモ。
最近、森岡正博の「33個目の石」を読んだら、ちょっと宗教のことが書いてあったのでメモ。
僧侶だったかな、とある宗教家から、死の恐怖やどうにもならない苦痛をやわらげてくれる特効薬、それが宗教だと言われたと。
森岡いわく、しかしそれは、現代でよく行われる、ひとつの「無痛化」ではないかと。例えば、無痛分娩のような。
本当に、その「痛み」は、取り除いてしまってよい「痛み」なのか、と彼は問いかける。
私にも同じ問い掛けがある。
夫にも以前から言っていたが。
死への恐怖は、本当に軽減すべきなのか?死が怖いからこそ、得るものがあるのでは。
どうにもならない不幸に感じる苦しみを、そういう手段で軽減してよいのか?
もちろん、人によっては、それでよい人もいるだろうけれど、私には迷いがある。
また、現代には様々な問題がある、しかし、それを「サタンの仕業」「滅びの証拠」とみなしてよいのか、それは同時に「定められたもので人にはどうにもならない」という諦めであり、無痛化。
神を持たない私は、「どうにかしなきゃ。どうにかする方法があるはず」と思って、前を向いて戦うことが必要だと思ってるんだけどなあ。
実は入院しておりまして。
で、出産を前に、無事退院できました、が、多分、まもなく出産になると思います。
子どもを産むと当分、こうしてPCに向かうこともできなくなると思います。
最近、子どものしつけで悩むことも多く、ブログを書いている時間すら、「こんなことしてる場合じゃない」みたいな焦りもありました。
また、冊子や聖書を読む時間もなく、夫と話す時間もなく、JWについて整理して考える時間が取れず、まとまったエントリをあげることもできない状態が実際に続き、また、今後も続くことが予想されるわけで、そのような現状にある以上、当面凍結とするのがよいのではないかと考えました。
というわけで、しばらく凍結します。
再開の目処は立っていません。
このままやめてしまう可能性も高いですが、とりあえず、ここに書いた疑問をもとに、今後、夫と話す可能性もあるので、記事は残しておきます。
これまで、お読みいただいた皆様、誠にありがとうございました。
今後も、他の皆様のブログは拝見し、可能ならコメントなどもしていきたいと思います。
いろいろな方のブログを拝見し、学ぶことが非常に多かったです。自分で理解していたよりも、ずっと割り切れない、また、個人個人によって様々な思い入れがあるものだということ、独特の精神状態がある一方で、非信者となんら変わりのない懊悩や情動があり、個人によってそれらに対する裁量、というか態度が異なること、そうかと思うと、JW全般に共通の確固たるものがあること、また「被害」と呼んで差し支えない状況が発生しているケースがあることなど、非常に複雑な状況に考えさせられることも多くありました。
おそらく、考えがまとまらないときは、こうして書いてまとめる必要もまた出てくるかと思います。
でも、当面は凍結します。
今まで、どうもありがとうございました。
また、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
追記
凍結の前に、一つだけメモ。
最近、森岡正博の「33個目の石」を読んだら、ちょっと宗教のことが書いてあったのでメモ。
僧侶だったかな、とある宗教家から、死の恐怖やどうにもならない苦痛をやわらげてくれる特効薬、それが宗教だと言われたと。
森岡いわく、しかしそれは、現代でよく行われる、ひとつの「無痛化」ではないかと。例えば、無痛分娩のような。
本当に、その「痛み」は、取り除いてしまってよい「痛み」なのか、と彼は問いかける。
私にも同じ問い掛けがある。
夫にも以前から言っていたが。
死への恐怖は、本当に軽減すべきなのか?死が怖いからこそ、得るものがあるのでは。
どうにもならない不幸に感じる苦しみを、そういう手段で軽減してよいのか?
もちろん、人によっては、それでよい人もいるだろうけれど、私には迷いがある。
また、現代には様々な問題がある、しかし、それを「サタンの仕業」「滅びの証拠」とみなしてよいのか、それは同時に「定められたもので人にはどうにもならない」という諦めであり、無痛化。
神を持たない私は、「どうにかしなきゃ。どうにかする方法があるはず」と思って、前を向いて戦うことが必要だと思ってるんだけどなあ。