子どもたちと私と面白かった本

こども文庫を続けていて、
面白かった本をとりあげてみます。

『がんばれ さるの さらんくん』

2006年03月07日 | Weblog
     

「がんばれ さるの さらんくん」 
        中川正文 作    長新太 画        福音館書店

 「えっ、これも長新太さんの絵?」って、最近文庫に来ている子どもたちは言います。
 長新太さんの初期の絵の感じは後の作品とずいぶん違っています。わたしは初期のものが嫌いではありません。というか、そのころ育った我が家の子どもたちに何度も何度も読まされて、なじみが深くなったということかもしれません。
 固い細い線に囲まれた、きちょうめんで微妙に違う色の世界。でも、なぜだか絵の中にそれぞれの空間というか空気が感じられるのです。息子たちは、園長さんのむすめさんが火事でケガをして丘の上にあるらしい病院の窓から大好きな動物園の方を見ているページが好きだったようで、入院するのも悪くないなというようなことを言うので親は弱りました。窓からすうーっとそよ風にのって気持ちが動いていくのです。後に、長新太さんが色のかたまりのような筆で子どもの心をつかんで動かした「キャベツくん」などと同じく、子どもの心に寄りそっている長さんの持っている力でしょうか。うちの息子たちは「がんばれさるのさらんくん」とか、以前の「おしゃべりなたまごやき」の長新太さんを楽しみました。今の文庫の子は以前のものとは少し違う長新太さんを喜んでいます。これも出会いでしょうね。
 動物園ではオーケストラをつくって、さらんくんはトランペットを吹くことになりましたが、ちっとも音が出ないのでがっかりしていると、園長さんのむすめさんがいっしょに練習してくれました。その子の退院の日がきました。さらんくんのトランペットは……。
 「がんばれ さるの さらんくん」という快いリズム感のある言葉は子どもたちが大きくなってからも決して忘れないようで、中川さんの文には余分なものがなくて、すっすっと話を運んでくれます。

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『おやすみなさいのほん』

2006年02月23日 | Weblog
       

マーガレット・ワイズ・ブラウン ぶん  ジャン・シャロー え  福音館書店
 何冊かの本の後に、黄色い表紙のこの本が出てくると、「もうおしまい、眠りなさい」という親の合図だと子どもたちは観念したかのようでした。
 赤い陽が地平に半分沈み、木の上では巣の中の3羽のヒナも、そばで見守る親鳥も眠ったようで、草の上ではヒツジたちが今まさに寝ようとしているページからこの本は始まります。
 グレーの字は大きくて、「ねむたいことりたち」「しずかなエンジン」のような眠気を誘う言葉の繰り返しがあって読みやすい文です。幅太く描かれた線はごつごつしているようですが、目の描き方など一筆だけなのにうまく感じが出ています。色鉛筆で何度も重ねていったような色たちは、全体として見るとやさしい感じです。その描線の1本1本が「おやすみなさい」と言っているように私には見えたものでした。今考えると、これは育児疲れのお母さんを癒すにも良い絵本だったかもしれないと思います。元気で無事であったことへの喜びは、最後のページの宗教色に関係なく、誰にともなく、何にともなく、感謝したくなるような1日の終わりでした。しまいのページに出てくる羽根をつけた天使の絵のページは、うちの子どもたちにも私にもあまり印象に残るようなものではありませんでした。
 「お魚は目を開けたまま眠るんよね」と、ある日子どもが言いました。眠れなかった子は、魚は目を開けてどうやって眠るんだろうと、すでに眠気の催している母親のそばで考えていたのかもしれません。
 長じて、魚にはまぶたがないから目を閉じることができないのだということは、知識絵本から得た解答です。

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『あな』

2006年01月23日 | Weblog
       
「あな」 谷川俊太郎 作  和田誠 画  福音館書店

にちようびのあさ なにもすることがなかったので ひろしはあなをほりはじめた
……「もっとほるんだ もっとふかく」……ひろしはあなのなかにすわりこんだ……あなのなかはしずかだった……「これはぼくのあなだ」……あなのなかからみるそらはもっとあおくもっとたかくおもえた……ひろしはあなからでて のぞきこんだ……あなはふかくてくらかった「これはぼくのあなだ」もういちどひろしはおもった……そしてゆっくりあなをうめはじめた……
                    〈「あな」本文より〉

 中学生の息子にゴミを捨てるための穴を裏庭に掘ってもらったら、もういいというのに必要以上に深い穴を黙々と掘り続けて、あとで自分が出てくるのに困ったことがあった。その穴を、文庫に来た子どもたちが興味を持って、われもわれもとのぞきに行くのです。
 子どもにとって穴はそんなに面白いものなのでしょうか。穴掘りも好きだけど、穴にこもるのも好きですね。押し入れの中とか、階段の下とか……。熊など、動物たちと同じ遠い記憶からそうするのでしょうか。
 詩人である作者は、少年が「あな」を掘ることで自分だけのものを見つけようとしているひそやかな心の動きを聞き止めて絵本にしてくれたように思います。子どもたちがその時時にいろいろな形に掘る「あな」を、そっと大事にしてやりたいものです。
 ひろしの掘った「あな」を見る家族の反応も面白いですね。お父さんには、身に憶えがりそうな……。

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『ももたろう』

2005年12月02日 | Weblog
      
 『ももたろう』               『ももの子たろう』  
  松居直 文                ぶん おおかわえっせい
  赤羽末吉 画                え みたげんじろう
  福音館書店                 ポプラ社  

うちの子が幼稚園児だったころには、桃太郎の絵本もあまりなくて、福音館書店のがいちばん良いと思い、よく読んでやりました。表紙の赤羽さんの絵がお気に入りで(母が?)、男の子ならかくあるべしと夢を持たせてくれたものです。桃太郎の話は骨組みがはっきりしているので、ほとんどの人が語れる数少ない昔話だと思います。子どもが喜ぶ繰り返しもいろいろ加えて話すこともできます。
 福音館版は結末が嫁取り話になっていて、桃太郎は鬼の差し出す宝物は断ることになっていますが、小学校高学年ころの息子に桃太郎のあらすじを聞いてみると、お姫さまではなく宝物を持って帰る話になっていました。どこかでちゃっかり宝物を手に入れて来ていました。このお話を喜ぶ年ごろは、嫁取り話より宝物のほうが面白いのでしょう。
 その後、文庫ではポプラ社の「むかしむかし絵本」版を、迷っているお母さんには、結末のことなどちょっと言って、比べて選んでもらうようにしています。 ほかに桃太郎絵本もありますが、「三ねんねたろう」の話と重なるような部分のある複雑なのは勧めていません。
 ついでに言うと、流れてきた桃をおばあさんがまず自分が食べて、「なんともうまいももっこだ。おじいさんにも……」と言うところ、この話を子どもに読んでやっていたころは、桃を買っても当たりはずれ多くて、どれがおいしいか食べてみなくては分からないと思っていたので、おばあさんの言葉に私は妙に納得したものです。   

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『プンク マインチャ』

2005年11月27日 | Weblog


    ネパール民話
    大塚勇三 再話   秋野亥左牟 画   福音館書店

 成人した二人の息子に、ある時、「うちにある本でいちばん怖かったのはどれ?」と気軽に尋ねたら、二人は「あれだ、あれ!」と言いながら持って来たのが期せずして同じ絵本だったのには驚きました。
 ネパールの話ですが、継母が自分の娘はかわいがるが、前妻の子のプンクマインチャには食べ物もろくに与えずにこき使う。そんなプンクマインチャを、やぎときつねの二つの頭を持つ子やぎが食べ物を出して助けてくれる。
 鬼にさらわれたプンクマインチャが、親切にしてやったねずみに教えてもらって、鬼の宝物を持って家に帰る。継母は自分の娘にも宝物を取って来させようとするが、いじわるな娘はねずみをたたき殺してしまい、鬼に食われて死んでしまう。
 よく似た話がいろんな国にあるので、どこかで聞いたことがあるような話ですよね。なんで、この絵本をこんなに怖がるのか。
 二つ頭の子やぎや、そのやぎの骨を埋めた所から生えてくるまんじゅうのなる木など、話の強烈さもさることながら、秋野亥左牟の絵がおおいに関係しているのかなと思います。色線が波のようにうねり、これでもか、これでもかと、どのページにも繰り返し続き、あやしげな色あいと異国風な紋様のような絵にはインパクトがあります。この絵が怖さの相乗効果を生んだのではないでしょうか。
 わたしには、プンクマインチャの死んだ母が、世の荒波からわが子を守るために必死に張りめぐらした描線のようにも、情念のようにも思います。だとしても、なんとまあしつこい絵でしょう。
 こんなにしつこく付きまとわれたら、普通の子どもらには嫌がられ怖がられるかも知れないと、私は別の意味で、これを密かに自戒の本と考えています。私の全く勝手な読み方ですが……。

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