気の持ちようなんてこと、よく言われますが、
確かに、考え方ひとつ、捉え方ひとつで、
気分は変わりますし、景色すら違って見えます。
そんな風に思うと、
人間なんてのは、事実や現実よりも、
実は、思い込みで生きていることの方が、大きいようにも思います。
場合によっては、生きていることさえ、
本人がそう思ってるだけで、実は、死んでるということも、あるのかも知れません。
肉体が死んで、観念だけが残ったとしても、さして、不思議ではないし、翻って、
魂はもとより、おばけや、宇宙人などなど、ありとあらゆる想像できることの全ては、
存在すると思い込めば、存在していると言うこともできるのかと思います。
科学的根拠なんて、狭い見識でモノ云う輩もおられますが、
科学にしたって、ある意味、人間が考えた観念の一つに過ぎないのだから、
目くじらを立てるほどのことでもないように思えます。
ただ、誤解をされては困りますが、科学や現世を軽んじている訳ではありません。
社会生活を営む上での共通認識、或いは、ルールとして捉えるからこそ、
平穏な日常が送れるというものだし、常々は、それに基づいて、
過ごすのが大事かと思っています。
ただ、それが全てだと思うと、この世は狭すぎるということです。
要は、肉体と精神、或いは、行動と観念、日常と非日常などなど、
相反と捉えず、全ては、ひとつ、表裏一体と捉えることが大事かと思います。
言葉を換えれば、バランスが大事だということかと思います。
あまり杓子定規に考えないで、時には、ぼんやり、空想なり、幻想なり、思いを馳せて、
現実逃避、現状回避するのも、ストレス解消にいいのではないかと思います。
ある意味、ネットの中の世界も、空想か現実かよく分からないところあるなとも思いつつ、
こんな戯言を書いてるより、早くバンドがしたい今日この頃です。