高音が足りなくても低音が足りなくても、あるいは高音が十分でも低音が十分でも、必ずしも高い声種だとか低い声種だという証明にはならない。
自然が声の高低の限界を定めることは、いうまでもないが、しかし全般的に、その限界は著しく小さく見られすぎている。
ふつうの人間の声は、その未開放性のために、ほとんどその全部の可能性を示すことはない。
破滅した声(たいていは破滅してしまっているのではない)は、高音のほうへ鍛えようとして、あまりにはなはだしく努力しすぎたからである。
もしくは、高音を生理的に正しく作り出すことを、教えなかったからである。
声を徹底的に開放してやると、声域は自然とはっきりするのである。