言語学的考察にもとづく英語的認識と日本語的認識の差異性と類似性-国学的アプローチによる

2011年04月01日 10時00分00秒 | 言語学
以前から不思議に思っていたのだが、英語は文の後ろから日本語に訳していくことができる、であるとか、日本語的発想で日本語を翻訳すると受身表現がほとんどになってしまう、モノや概念が主語になる、とかそうしたことが不思議で仕方が無かった。 しかし、それを解決するだけの言語学的な教養も持ち合わせていないし、死ぬまで縁がない問題として放って置いた。ところが、最近、本居宣長の国学の流れを受ける時枝誠記の文法を咀嚼しようやく自分のものになってきたと思っていたら、日本語どころか、英語までが違って見えてきた。突然、神がかり的であるが、英語文法が日本文法とダブって見えるようになった。ちなみに、ここでで言うところの日本文法は、時枝誠記の言語過程説という日本文法の中ではもっとも優れた文法理論のことを指しているのであって、受験勉強だけにしか必要のない学校で教えるほぼ最悪の橋本文法を指してはいない。 . . . 本文を読む
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ジャック・デリダのフッサールとソシュール、時枝誠記、チョムスキーと認識言語学について考察する

2011年03月17日 10時00分00秒 | 言語学
ジャック・デリダの「声と現象」を興味深く読んでいる。 現象学のフッサールを題材にしているために、ハイデガーになれたわたしとしては、あまり抵抗無く読める。さらに、記述された文字としてのロゴスとしての言語ではなく、発声される言語の表象作用と概念化という観点から現象というものを取り扱っているので、それはそもそも最近個人的にはまっている時枝誠記そのものの内容であるがために、理解は容易である。おそらくこの . . . 本文を読む
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