岐阜県は大きく二つの地域からなります。
ひとつは、険しい山々が連なる飛騨地方。
もうひとつは、木曽川・長良川・揖斐側という「木曾三川」が漏斗状に集まる美濃地方。
そこで、これを「飛山濃水」といいます。
美濃地方は木曾三川が集まる低地だけに、昔は江戸時代の前期だけでも100回を超える洪水に襲われました。
そこで、洪水をせき止めるために堤防を築きましたが、その堤防に囲まれた地域を「輪中」とか「輪中地帯」と呼んでいます。
享保年間(1716年~36年)には、およそ40キロ四方の地域に80以上の輪中があったそうです。
同じ輪中内の人たちの結束は固く、一致団結してことにあたりますが、輪の外の人たちのことには関心がありませんでした。
そんな輪中地帯で長い間、水と戦ってきた歴史のなかで培われたのが美濃人の気質で、これは輪中根性とも揶揄されます。
いまでも、岐阜県人のなかで美濃地方に住む人々は、温厚で人当たりもいいと称される半面、若いのに保守的で腹を割った話をしない、自分本位で自己中心的と指摘されることもあります。
ところで、過去に洪水被害に何度も見舞われた際、「治山を優先すべきだ」とする山岳派と、「治水を最優先すべきだ」とする水場派が対立していました。
まさに山と水、岐阜県の対照的な2つの風土の対立があったのです
ひとつは、険しい山々が連なる飛騨地方。
もうひとつは、木曽川・長良川・揖斐側という「木曾三川」が漏斗状に集まる美濃地方。
そこで、これを「飛山濃水」といいます。
美濃地方は木曾三川が集まる低地だけに、昔は江戸時代の前期だけでも100回を超える洪水に襲われました。
そこで、洪水をせき止めるために堤防を築きましたが、その堤防に囲まれた地域を「輪中」とか「輪中地帯」と呼んでいます。
享保年間(1716年~36年)には、およそ40キロ四方の地域に80以上の輪中があったそうです。
同じ輪中内の人たちの結束は固く、一致団結してことにあたりますが、輪の外の人たちのことには関心がありませんでした。
そんな輪中地帯で長い間、水と戦ってきた歴史のなかで培われたのが美濃人の気質で、これは輪中根性とも揶揄されます。
いまでも、岐阜県人のなかで美濃地方に住む人々は、温厚で人当たりもいいと称される半面、若いのに保守的で腹を割った話をしない、自分本位で自己中心的と指摘されることもあります。
ところで、過去に洪水被害に何度も見舞われた際、「治山を優先すべきだ」とする山岳派と、「治水を最優先すべきだ」とする水場派が対立していました。
まさに山と水、岐阜県の対照的な2つの風土の対立があったのです
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