南青山なでしこ日記

南青山なでしこ(撫子)の音楽業界漂流事情日記

森山直太郎について想った。

2005-01-31 11:26:20 | Weblog
めずらしく、森山直太郎の新曲「時の行方」というのを聞いてる。
そういえば去年の後半は彼の事はあまり見えなかった。
はしゃぎ過ぎた一昨年のせいかもしれない。
やっとデビューし、彼の場合も母親が森山良子であることの良いことと悪いことを受け、決して恵まれたデビューとは言えなかった。
にもかかわらず売れたら母親の力は巨大だった。
一気にスターダムへ。

どんな気持だっただろう。
欲しかったものがすべて目の前に揃えられ、なんでもやりたかったことは出来ると思い、ぐんぐん力をつけて輝く彼を見た。
やりたい放題だなと面白くもあり、しかし、孤独になっていったでしょう。
売れる前より、電話かけたら誰だって飛んで組る、みんな笑顔で。
でもそうなると重い。
呼び出して甘える相手など、スタッフしかいない気分になる。
「スターであると言うこと、それはね、どれだけ許されるかということなんだよ」と聞いた。

スターを満喫している人なんか、スターにはめったにいない。
デビューを夢見ていた頃の方が夢があったぶんだけ幸せだったなんて思うんだ。
叶った夢の数だけ、不幸になるんだ。
その不幸の中身はちがうけれど。

森山君は頭も良く、デリケートだったりするから、どこへ向かったら今まで以上に自分らしく、またもう一つうえの場所が見えるのだろうと考えたらわからなくなったのだろう。
逃げ出したい、とこういう時誰もが思う。
自分を知らない人に囲まれてみたいと。

私は彼を全く知らないのだけれど、この曲が過去の曲とさほど変化している訳ではないが、淡々と歌を歌おうとしていてここに辿り着いた一つの結果がこの作品からにじみ出ていて少し哀しい感じがした。

結局作品を生み出し、それを形に完成させ、そこを歩いて行く、歌いながら。
選ばれたのだから、そして選んだのだから、その道を行くしかない、そう思っているように聞こえた。
ここからの森山君がどうなるのか楽しみだな。

峯田君のブログを読んだ。
携帯で書いてるんだって?
結局、彼もここで告白してる。
電話して誰かと話すより、ブログにぶちまけて、友達ごっこ。

私達はスパースターなんて言う場所まで行けた人は絶対的な幸せを毎日噛み締めているように思えたりするよね。
私はその昔はスター的職業の友達のような方々から呼び出してもらったら、まるでサンタクロースにでも会いに行く特別な気分で楽しかったし、楽しいこともたくさんあった。特別な笑顔がごちそうだった。

でも決してどんなに多くのものを手に入れた所で悲しみのゲームは終わらない。

それを確かめたくてインタビュアーになった、私は、あの頃。

花。

2005-01-31 00:16:27 | Weblog
花と格闘した週末だった。
それにしてもチューリップがこわかった。
15本のチューリップをやっと花瓶に押し込んで可愛いなあと目を離して振り向いたとたん、すべてのチューリップが開いて数分前とは全く違った形になっていた。
生きているんだとこわくなった。
ドライフラワーを好きにはなれない。
けれど、時間が経って枯れそうな花はもっとみじめな形になる。
美しい時間は短い。
今ここには家中のすべての花瓶とそれと似たような形のものは動員され、花でいっぱいになった。
向かいの新装開店のドレスキャンプの花がやって来たからだが、明日がこわい。窮屈な形に収められ、開店を飾り、仕事を終えた花達が花瓶の水を吸い上げ、一気にファイナルへと向かう。

銀杏ボーイズ、アルバム2枚分11分にも及ぶPV、見た?
すごいっ、音楽はほとんど流れずに峯田その人そのもののドラマが、笑わせ、切なくさせる。子供の寅さん、ああ、絶t好調だあね。

向いの店

2005-01-28 11:17:49 | Weblog
今日は朝から面白かった。
ただねえ、ちょっと奇妙な面白さなんだ。
このアパートの朝はねえ、とびきりなんだ。もちろんお天気にもよるけれど、雨も雪もいいな。
おれでここに決めたんだけれど。
BGMは峯田からバンプの「ユグドラシル」に。
いくらなんでも、いくら待っても、峯田のよだれでいっぱいになったこの部屋を彼は掃除に来ない。
バンプのフジ君にさらってもらおう。
フジ君ってずいぶんハンサムな声なんだね。
でもこの二人も又思春期のカリスマであることには違いがない。
どっちも彼氏にはしないことをお勧めする。

だって彼等が女の子なんだよ。

あんたが男の子にならなくちゃいけないんだから。なれるんならいいけれどね。
そうだよ、カリスマなんてお姫さま、女の子なの、Bzの稲葉君だって同じ。
ちゃんとした男に戻りたくて女の子に恋をするんだけれど、男としてのスタイルはステージや作品作りに使っちゃってるから、残った女の子的情けなかったり役に立たない所だけあなたに投げて来ることになる。それが彼等カリスマ君達との行方のないロマンスなのさ。

だからみんな恋は男の子になれる感じで作品に変えて、少女守りたいけれど守れなくて、男らしい女の子か、平気でママやってくれる女の子と結婚する。
いいとこは売り物なんだもの。
生活で愛なんて上手く使えるわけがない。

何の話だ。

そうそう今朝のこと。
家の向い側のエステがどうやらつぶれて、新しい店のような良くわからない店?でしょう、オープンしたのが昨日。今朝起きて窓から覗いたらお花でいっぱい、チューリップ一つもらって、見学したけれどなんの店だかわからない。
ドレスなんとかって書いてあるから、結婚関係だと思うけれど。
なんだろう、興味津々。十時くらいになって女の子達が携帯片手にうろうろし始める。
みんな花泥棒?いいえ、開店を待ってるようなんだけれど、とても結婚しそうな女子じゃない。
ファンみたいなんだもん。

あれっ、今見たら今度はスーツ姿のおじさん達がぞろぞろ何やら話している。花を並べ変えている男の子はヒップホップ風の働くスタイルで。
はじめは美容室かとおもったけれど、どうやら違うみたいだ。
まあ、どうでもいいんだけれど、気になるなあ。
あっ、なにっ。チューリップ、いきなり水あげて30分くらいで開いたらダリアみたいになってる。
なんなの?このチューリップ、君はなんの花なの?

昨日は集英社のまんがのパーティに行った。
漫画家のアシスタント達でいっぱい。
有名漫画家もいっぱいいたらしいけれど、どの人が誰だかわからない。顔で仕事していないから顔がばれていないけれど、アシスタントさん達は誰かを見つけてはそこでサイン会。
編集者の男の子達がその方から目を放さないようにように珍しいスーツ姿でぴたっとくっつきながらきょろきょろして、またそこに来ている女子のファッションには凄いものがあったな。ゴスロリとかが多そうで。

でもここにも漫画にかけて育つ青春。

秋本センセ、本当にコチカメってすごいんだなあとしみじみ。

向かいの店はどうなったかな。
ブライダルのなんなのかな。

下北、居酒屋にて。

2005-01-27 10:04:35 | Weblog
下北沢、急いで歩いていたらばったり、井上陽水家族にすれ違った。
セリさあん、と小さい声で、私はなぜか。
陽水氏と会うのは久しぶりだったけれど、家族ご飯だったようで、悪いなあと声をかけそこなった。幸せそうだったな。
井上セリさんは陽水夫人である。
あれ、陽水さんの名前の字はこれで良かったっけ。
峯田君のブログも、字がめちゃくちゃでごめん。
そして居酒屋で敏腕なのか、インテリヒッピーだかわからないA&Rの畝やもとヤンパンの福井君などと待ち合わせ。
私はこの都夏という居酒屋が大好き。
あ、やっぱり、峯田君がここで取材だと聞く。でも渋公の打ち上げに参加し損なった私はここでも峯田を見逃すことになる。
ココロなかばにして、私は「東京」も聞けず、ある事情で出てしまった銀杏ライブのラスト近く、峯田は客席とじゃんけんゲームをやり、勝利したファンの人に自分のメイルアドレスを、なんとマイクを持ったまま叫んだらしい。終わって居酒屋打ち上げ、届いたメイルは本人いわく1400件、まあウソかもですが1000件は来てたんだとか。
「アイデン&ティティ」の三浦じゅん、田口トゥモロウ、麻生久美子などの豪華な顔ぶれだった銀杏ライブ。3000円のチケットでここまで楽しめるバンドはないよなあ。
さあ、それでも、まだ旅は続くよ、どこまでも。

余計なことはほとんどじゃべらない福井君からとっておきの話を聞いた。
もともとヤンパンのライブで大暴れしていた18才の峯田からMDをもらって福井君が聞いたのが彼等、当時のゴイステの始まりだった。
「暴れまくってるやつがいて、なんだあ、こいつと思って聞いたらめちゃくちゃなんだけれど、もういいのはわかったんだよね。それでライブを二人で見に行ったんだけど、客はオレ達二人だけ、みたいな感じで、それでも凄いライブで、峯田は暴れ過ぎてそのライブハウスの天井に頭ぶつけて、血をだらだら流しながら歌ってたんだよ。すげえなあって思ってそれでとにかく一緒にやろうってことになって、それからかな。でも誰も賛成しなかったんだ、あの頃は。みんな反対でさあ、でも変わってないんだよ、別に。変わったとすれば映画やってからじゃないかな」

福井君もかなりの変わり者でちょっと見るとアイドルも顔負けのノーブルなスタイルと女の子にしてもおかしくないくらいの「タッチ」に出てくる男の子みたいな感じなんだけれど、見かけとは違うバランスの性格で、飲むと平気で2階から飛び下りるような暴れ方をするらしい。
もともとビームスでバイトしながらパンクバンドだったんだからセンスがいいのか悪いんだか。

だいたい下北のインディーズとは言えど、UKプロジェクトは風変わりなメジャーだと言えるかも。
今夜は少女をひとり誘ってみた。
白系ブラジル人の二十歳の女の子、歌手志望でオーディションとバイトが彼女の生活。
私が西麻布のバイトを紹介したことからちょっと親しくなった女の子。
胸がでかい、やっぱり男の子の視線はそこへ。
なぜか途中で現れた峯田のマネージャーは私に頭を下げながら、視線は彼女にひきつけられたまま、オイオイ、どこ向いてんだか。

思春期ほどのごちそうはないというのが私の人生の悪趣味かも、と。

あまどりが歌う。

2005-01-26 11:09:06 | Weblog
寒い。
久しぶりの雨だ。

スピッツの草野君がインタビューでバンドを続けて行くことにこんな事言っていた。
「ずっと50、60才になっても「ロビンソン」歌っていってもいいなあと思うんですよ。ずっと年取っても、思春期の歌を歌っていって恥ずかしいと思わないようなそういうことで良いような気がするんですよ。つい、降りて来るという感じだから新曲作っちゃうんですけれどね。年取ってもオレは、オレンジレンジ良いよなあ、なんて言ってる老人とかの方がいいなあと思っているんですよ」と。

考えているんだなあ。
そしてそれを言葉にして言ったりするんだなあ、とちょっと感心した。

家ではまだ「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」が部屋を占拠していて、峰田の口の中に誘われてルような奇妙な感覚の中にいるんだけれど、さすが草野マサムネはインテリで、まああの村上春樹に最も似ている存在感の持ち主だと私は思っているんだけれど、確か、彼はどういう理由かは聞いていないけれど、村上春樹が嫌いだと言っていた気がする。

スピッツ、聞き方によってはダサイ名前だった。
でもそれはオフコースと同じである意味考え過ぎからこのシンプルに辿り着いたんだと思う。
スピッツもなかなか売れなくて、「ロビンソン」のときにここで大ヒットしない限りチャンスはないよね、なんて話して、あの頃の草野君にしてはわかりやすさに関していっぱいいっぱいの作品だった。レコード会社も彼等も事務所もあの時やれることはすべてやって大ヒットに繋がったことで、草野君のある意味、ひねくれた考え方が才能として形になった、そんな頃だったな。

今はなかなかそういうスタイルでスーパーグループは生まれないけれどね。

昨日あまどりとご飯を食べた。
4月にエピックからのデビューが決まっていて、今はわくわくと不安のまっただ中にいるんだろう。
デビューは再デヴューはあるけれど、まあ、一度しか出来ない。
デビューしたくて、音楽で形になりたくて、彼女も佐賀から出てきて、八王子などの路上で歌って、歌い続けて、ここまで来た。
2年前くらいに知り合った時はまだ先の事は見えていなくて、三石君という彼女の才能を見つけて信じてディレクターでありたいという男の子が連れて来た。

彼女はどんな場所でもギターがあれば口ずさみはじめる、まさに、あまどり、のようなシンガーソングライターだ。ギターなどなくてもジュエルの曲などが口を付いて出るらしい。
きれいになって、準備中。
これから4月に向けてレコーディング、PV撮影など、スケジュールが組まれて行く。
昨日はまたこの峰田のうるさいけれど、素晴らしいアルバムの話になった、彼女もそこにいた人たちも14曲目の「東京」は素晴らしいと口を揃えた。
ちょうど、今彼はこの部屋で、その14曲目を歌っている。
可愛い声だな。
さっきまではうるさかったのに。

いいね、シンガーソングライターは。
そう言えば。
昔「戦メリ」のロケ地のラロトンガでタケちゃんが「そうだな、こわいのは才能がもうないんだな、オレって、思った時が来ることだな、才能ってやつが、あると思ってて、なかったって思う時が来ると思うとこわいな」なんて、この通りじゃなかったけれど、そんなことしみじみ言ってたことがあったわ。
あ、また「ゆうやけこやけ~」と峰田が一曲目に戻ってた、あーうるさいっ!

才能、生きてることじゃ、すまないんだよね。
あなたはどお?


峰田くんと宮本くん

2005-01-25 11:30:27 | Weblog
峰田君見ているとあの頃のエレカシの宮本を思い出す。
彼も可愛かった。
若く真直ぐで、それを吐き出す形が音楽だったんだけれど、音楽を仕事にすると言うことに関しては峰田君の方が上手いスタイルを見つけた。
それはインデイーズのままで、こうしてやってるって事だ。
UKプロジェクトがどのくらいのサイズのインディーズかはよくわからないけれど、ステージで峰田が言ったように、三人は宣伝がいて、全国にCDが行き渡るくらいは上等な会社で、potshotやヤングパンチなど、インディーズからのパンクを数多く手掛けていた会社からゴイステも銀杏も発売されたって事が大きい。エレカシはエピックで、ロックカンパニーだけれど、ソニーだったから守られ過ぎたことはそれはそれで、あそこにいたからこそ、守られた純情と言うのが哲学者のような宮本のロックを作ったとも言える。
エピックは面白いレーベルで、佐野元春もいたが岡村靖幸もいたし、エレカシもクビになるまで徹底的に守られて世間とは関係なくロックを研究していたような気がする。
インディならそうは行かない。
クビにならない変わりに売れなければ、最低のラインが仕事として成立しなければ、自分のお金でインディを始めるしかないという結論になる。
自己責任はインディの方が育つ。
エレカシはお座敷犬としては見事な柴犬だったが、峰田は雑種ののら犬出身の血統書付きの柴犬だったと言ったら叱られるだろうなあ。
宮本から怒鳴られるかもね。
でも、あなた、ソニーの大人の方々から可愛がられ過ぎたのですからあ。
それはいまでもそうでしょ。
大人の男達から見ればあなたは忘れられた男らしさがあって可愛いのだ。
峰田じゃそうはいかない。
彼は少年のカリスマであり、大人のペットにしては危険すぎる。

ここまで書いてだんだんわからなくなった。
後は誰かにまかせるよ。

ブログって、こんなに中途半端な原稿でも誰かが読んでくれたりするのかなあ。
だったら嬉しいな。

編集者はこんなの許さないでしょ。
つまりは私はインでィーズとしても通用しないアマチュアだって事なんです。
このところプロ失格なんです。

探してるんですよ。
それが何かはまだどうしてもわからないのですが。


銀杏ボーイズ

2005-01-24 11:01:09 | Weblog
峰田君、会いたかったなあ。
不登校生徒集会イン渋谷公会堂という名前の銀杏ボーイズライブ。
気味の悪い黄色いTシャツ、背中にも同じような言葉が書いてある。
すごい、2階の上から見るといろんな色の銀杏Tシャツが客席の興奮を嫌が上にも盛り上げる。
待ってる。
みんな待っているのがエネルギーで伝わって熱い。
わくわくが湯気になって舞い上がる。
みんな若い。
寺山修二って知ってるかな。
峰田君見ていると東北の天才だった寺山修二が被る。武骨で繊細で、純情で、田舎者で、存在そのものが文学であると言うこと。
オペラのような賛美歌のような童謡のような女性コーラスでメンバーが出て来る。

アナウンスでも、またメンバーからも何度も椅子を壊さないようにとか、暴れたら中止になるからどうかそこで盛り上がってくれとか何度も注意がくり返された始まる前。
みんなわかってる、危ないのは峰田!おまえだろ!
でもみんな素直だった。
どうしても、何があっても、このライブは他の何ものにも変えられない自分の人生のイベントなのだとでも言うような神妙さで。

渋谷公会堂でやりたかった、歌いたかったんだとくり返した峰田。
知らなかったがそれでここだったんだ。
おまけにこの日、雪だよ。
君の街、山形ほどじゃないにしても、雪だなんて、せつないよねえ、あなたが歌うだけでせつないのにねえ。
「青春時代」から。
まあ、何から始まったって峰田が歌うんならそれでいい。
彼は間違いなくカリスマで、美少年だ。
27才だと叫んでいたけれど、ピーターパンだからどうなってくのかなあ。
おとぎ話に出てくる汚いことする美少年だね。
ステージでよだれ、つば、ほんと、普通は許さないよ。
でも、そんなことなんかどうでもいいと思わせてくれる程、見えない何かが美しくて、きっと千カラットくらいの純情が溢れて、だからって言っとくけれど、なんの役にも立たないし、それは君の中で完成し壊れて行くもので、関わってる人にとってはただ迷惑なダイヤなんだけれどさ。

なんと言ったらいいのかなあ。

銀杏のライブは、というか、ゴイステから、そうだけれど、結局峰田の音楽はライブはただただ彼にとってはヒーローになれる瞬間で、その彼の奇妙なエクスタシーは一瞬でさえ見のがせない不思議な緊張感に満ちている。
音楽じゃないよ。
まあ、それはそれで音楽に対する偏見だとも言えるんだけれど。
童謡のようなわかりやすい言葉とメロディ、そして彼の声、何言ってるんだかほとんどはわからない。口ばかりが顔からはみだしていて、マコトちゃんみたいだ。
大きな口で身体で、開かないくらいの口を無理やり開けて、歌っている。
その姿がいとおしく、せつないのだ。

アイドルだ。
間違いない。

黙っていて、オシャレしたら、V6にいたって不思議じゃない。
そのくらい可愛い。カリフラワーみたいな頭をしていた時に下北の居酒屋で会ったことがあるんだけれど、不二屋のポコちゃん、みたいだった。

今、昨日の興奮を思い出そうと「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」を聞いてる。
うるさいなあ、やっぱり。
私のこの洗練された部屋も一気に峰田のよだれでいっぱいになるよ。
どうしてくれる?
掃除に来てよ。
美しい歌は限り無く、メッセージはきっと届くことはなく空へと飛んでく。
クルクル回って彼の歌は彼の所へ戻って行く、そういう解決しかないから、そういう歌しかないから可愛いんだよね。
男の子の純情のすべてが実現されているから誰も彼を嫌いだなんて言えないだろうなあ。

女の子には絶対にないものしか、歌っていないから、彼は。
伝えるための歌にはなっていないけれど、みんなが峰田になることを夢見る事ならできるんだ。
なったところでいいことなんかないんだけれどさ。
自己満足の天国へは行けるから、男の子はそういう時間をきっと大切にしているんだろう。

ライブは素晴らしかった、なんて言わない。
峰田君と過ごした時間がダイヤでしょう。
誰にも伝えることは出来ないけれど、私もあそこにいたのよ。

それはね、自慢できる。

なにを自慢してるんだかわからないんだけれど。

天才は転がって歌うんだ、歌いきれないものがいっぱいだから、
歌に出来ないことを吐き出したくて、裸にもなるんだね。

同じ時間に渋谷公会堂にいたことを、そっと自慢する、それがライブの最高の感想なんです。

曇って雪。

2005-01-23 15:54:12 | Weblog
雪だ。
さらさらと、ぱらぱらと、雪が。
私は久しぶりの海外旅行などに行ったせいで、なんとなく身体が変だ。
夜になると突然眠くなって夜中の番組の録画に失敗した。
何やッてんだろう。
一人で渋谷を歩いた。
ちょっと留守をした東京は新鮮でいとおしく見えて楽しかった。
セールの文字が飛び交う渋谷の雑踏。
はじめて東京へ出て来て友達もなく、仕事もなく、行く所もなくてウキウキさまよったあの頃の気分になった。
本当の私はいったいどんなやつなんだろう、と改めて思いながら。
何ものにもなりたくなくて、今でも何ものだかはっきりしないで、しかも、生き方さえ決めずに人生をうろついている。
17才、京都にいて、ジャズなんか習っていて、時々CMソングの譜面歌手などやって将来を夢見ていた。
限りない未来に震えながら、それでも、ここじゃないどこかへ早く行かなければと思っていたっけ。好きな人はいたけれど、彼には届かず、何かを待っていた。
いたたまれない気持をどこへも預けられず、河原町の通りに佇んで気がすむまで、ただただ、人を見ていた、夕方が消えそうになるまで。
何が足りない?
誰が欲しい?
どうすれば、どこへ行けば、何があれば?
わからなかった。
暗くすさんだ気持を楽しむ程、まだ大人じゃなかったあの頃。

ラジオからドリカムが歌っている。
あの金曜日の歌の続きを歌う日が来るなんて美和ちゃんも思わなかったでしょう。
この頃は彼女も大人になり今までよりももっとプロモーションに力が入ってる。
でもドリ、ポスターや看板、何もかもデザイン力が落ちたね。
もう、カッコ良さなど追求するグループじゃないか。
でもアルバムの宣伝の表参道の看板に「只今、大ヒット中」なんて描いてあったけれど、300万枚売れてた時はあんなこと描かなかったよね。
大人になってくって事はセンスが落ちて行くことなのは良くある当たり前の事なのだし、センスが今の若者向きではなくなっただけのことを、私がまだ、あの頃の思春期のドリを追い掛けているだけなのかもしれないから、なんとも歯切れが悪くなる。

続けて行くって、キャリアを重ねるって、どうしてこんなに、こんなに。

プロになりたくなかった

2005-01-21 11:00:33 | Weblog
セカイイチ、デビューするんだね、メジャーで。
トイズに決まった事は聞いていた。スピードスター少女から教えてもらってインターネットで探してもかたかなだとは知らなくて見つからなかった。
下北で一度だけ、見た。
意外に大人びた声だったんだね。
どうなるのかな。

やっと私は旅から抜けだせたと思っていたら、昨日いきなり眠くなったままバタンと眠ってしまった。自分の身体なのによくわからない。
ベランダのつたは少し元気を取り戻したように見える。
枯れた葉っぱをはさみで切って、水をいっぱいあげた。もっと美味しいものもあげたいけれど、どうなの?
今、ベランダにうぐいす色の小鳥が二羽やってきてつたをつついてる。
可愛いなあ、二羽なんて。
私は一人なのに。

ブログ、あなたもやってる?

はじめての連載を持った時の気持と今とても似ている。
はじめて本を出版してもらったのもその最初の連載だった事は私は幸運だったのかな。
もともと私はタレントくずれで、東京へ当てなく出て来た時、何をやったらいいのかわからずに思い付いたのが、書くこと、だった。
テレビやラジオの経験はたくさんあったが、書くことは東京という街へ来なければわからなかったことだ。
なぜなら、私が暮らしていた大阪や京都では、出版というメディアは新聞くらいで、活字よりも電波の方がずっと活躍できる媒体だった。
東京へやって来て驚いた。
メディアがもう一つあるんだ。
本屋で本は売られていても、作っている場所の事はしらなかったが出版社というのがあって、そこは放送局よりたくさんある。と、いうことは、しゃべってる事を書けばいいんだ、書いて、それを売り込んでみようと雑誌社を探した。
つてを辿って。
誌上DJという企画を「MCsistar」が受けてくれて、私はいきなり4ページの連載を持った、それがもの書きの始まりだった。

だからね、続かなかったのかな。

もの書きになって行こうと真剣に考えたこともあった。
連載は好評で7つも持っていたこともあった。
でもね、私は売り込んですぐに、それがそのまま形になったから、プロになれないことに気付いた時は遅かった。
連載はいつか終わる。
単行本になったんだから6年くらいは続いたのかな。
日記や、手紙のような企画がいきなり通ったことでプロになったと錯覚した私にやって来たのは
「あんた、なにもの?」「なにができんの?」という世間の壁だった。
単行本がベストセラーになったら違っていたかもしれないが、まあまあの売れ行きで、それを抱えて雑誌社を回った所で仕事には繋がらなかった。

売れなかったシンガー&ソングライターは作曲家にも作詞家にもなれず、自分の歌を歌った所で聞いてくれる人はいない、一枚の売れなかったアルバムを抱え、路上へ戻るしかない、それがあの頃の私だった。

今もこの書き方しか出来ない。
日記と手紙は訓練を重ね、けっこうできるようにはなったんだ。

でも、私は結局、もの書きにはなれなかった。

表現者として確実な席を手に入れるってどういうことだったんだろうか。

プロになりたくなかったんだ。
でも素人のままじゃ、ダメだと思っていたんだ。

アマチュアのまま、プロになる、それが望みだった。

坂本龍一がこう言った「ほっといたら誰でも熟練してプロになっちゃう。いかに、どこまでいっても、もう一度、真っ白のプロのアマチュアになる、これが一番難しいんだよ」

あの時、まだ無名だった坂本龍一が乃木坂を歩きながら言った言葉、よく覚えている。

YOSHIKI

2005-01-20 15:03:32 | Weblog
Yoshikiに会った。ラスベガスで。
自家用ジェットで彼はやって来た。相変わらず、少しも変わってなかった。隣にアメリカ産の美少女。インテリアのように、せつない瞳で寄り添ってる。恋人には見えない、友達じゃないでしょう。でも、昔からそうだったように、必ず美少女だったけれど、恋愛特有の生臭い関係には思えない。
どうしてかな。
はじめて会った頃のその美少女は日本人だったけれど、お人形のような女の子だった。午前5時に西麻布にやってきたとき、あまりに爽やかな顔をしていて、いったい今までどこで何をしていたのだろうと不思議に感じたことがあった。
隣にいる女の子はいつも違っていたけれど、良く似ているような気がしたけれど、そんなものだろう。

「久しぶりだから」と呼ばれた彼の部屋のドアを開けて驚いた。
そこは私達も宿泊していたホテルベラーチェのヴィラ。
でもドアを開けたら大きな花瓶にあふれそうな花々。シャンパンやワインがあちこちに開けられ、数人の軽いパーティーのような風景の中に彼がいた。絵に書いたような、映画で見たようなそんな真夜中がここにあった。
ベランダへと続くガラスの大きなトビラをあけるとな、なんと、そここは小さな庭に続いていてなんと、プール。
ホテルの中なのよ。
プール付きの部屋なんだ。
温泉じゃない。
それだけじゃない、びっくりしたのは。
10個以上は部屋があった。ドアを押すと、また廊下になっていて部屋が並んでいるんだ。
ジムもあったし、髪を切るためだけの部屋まであった。
スィートなんてものじゃない。邸宅がホテルの中にあるようなところだった。
後できいてもっとびっくりしたのは、ここはお金を支払っても借りる事は出来ない部屋で、このホテルのカジノで1億以上を使うVIPが無料で使える部屋だった。
YOSHIKIの友達のことだとは聞いたけれど。
どんな友達なんだ?
信じられない。私自身は人生そのものがエコノミーだけれど、成功して行く人々のそばにいる事も多く、ホテルに関してはかなりのスィートだって見せてもらったことがある。だけど、こんなに大きな部屋は見た事がなかった。
アメリカという国のお金持ちのスケールに唖然。
それにしてもYOSHIKI、どうなっているのかな。

はじめてあなたに会ったのはあなたが25才。
「お倒れもの」なんて言われて、しょっちゅう、ステージで倒れていたりした頃の事。
21才の頃から運転手つきの車に乗っていると聞いた。
「元気の出るテレビ」でラーメンやの前で演奏し、ビジュアル系としてスタートしたエックス。はじめての武道館、打ち上げは新宿のパワーステーション。一階は友達、二階には家族と親戚、変わった打ち上げだった。
エクスタシーレーベル、あなたがはじめたビジュアル系のインディーズ。今では珍しくないけれど、あの頃はインディーズという言葉さえ、まだあまり聞く事はなかった。
ルナシー、レディスルーム、ビジュアル系全盛はこうして幕を開けたよね。
私とあなたがどうやって知り合ったかは又話す機会もあるとして、あの頃のあなたは本当に美しかった。ピアノからドラムへ移動する一瞬のために、そのためだけに何度も凄い衣装を仮縫いしていたね。ほとんど裸なのに、一度着た衣装は二度と着なかったから本当にお金がかかった。

若く美しく、才能にあふれていたあなたは、いつも哀しそうで、苛立っていて、孤独で、痛々しかった。やり場のないエネルギーがいつも、どこで爆発するかわからないような危なっかしさに満ちていた。

「アメリカに住んじゃおうと思うんです。LAで勉強しようと」そう言ってから何年が過ぎただろう。英語の先生を数人雇って勉強ばかりしていた、そんな時期もあった。
はじめて住んだLAの家には日本で今もたぶん、そのままになっている部屋と同じような黒でまとめられたデザインの家具が揃えられプールもあったね。
私は小室氏と当時の彼女と訪ねたんだ。
写真撮って遊んだりしたね。

あれからどんな生活があったのだろう。
ほとんど会わなくなって、こんなラスベガスで会うなんてね。

ねえ、男の子はなぜ、どこまで戦って走って行くの。
苦しいレースをいくつも超えてなぜ、勝ちたいの?
負けたくないの?
だってどこまでいったって、幸せは一瞬だって知ってるでしょう。
それなのに。
戦う事をやめようとしない。
勝ち方も勝ってから行く場所ももうないのに。

わからないなあ。

でもその部屋を出る時、「またね」と握手して見送ってくれたあの恥ずかしそうなうつむき加減の笑顔、私は忘れない。
「今年はぼく、動きますよ、そろそろ」
そう言ってたね。

元気で。
負けないで。
何になのかわからないけれど。
男の子なのだから。