南青山なでしこ日記

南青山なでしこ(撫子)の音楽業界漂流事情日記

YOSHIKI

2005-01-20 15:03:32 | Weblog
Yoshikiに会った。ラスベガスで。
自家用ジェットで彼はやって来た。相変わらず、少しも変わってなかった。隣にアメリカ産の美少女。インテリアのように、せつない瞳で寄り添ってる。恋人には見えない、友達じゃないでしょう。でも、昔からそうだったように、必ず美少女だったけれど、恋愛特有の生臭い関係には思えない。
どうしてかな。
はじめて会った頃のその美少女は日本人だったけれど、お人形のような女の子だった。午前5時に西麻布にやってきたとき、あまりに爽やかな顔をしていて、いったい今までどこで何をしていたのだろうと不思議に感じたことがあった。
隣にいる女の子はいつも違っていたけれど、良く似ているような気がしたけれど、そんなものだろう。

「久しぶりだから」と呼ばれた彼の部屋のドアを開けて驚いた。
そこは私達も宿泊していたホテルベラーチェのヴィラ。
でもドアを開けたら大きな花瓶にあふれそうな花々。シャンパンやワインがあちこちに開けられ、数人の軽いパーティーのような風景の中に彼がいた。絵に書いたような、映画で見たようなそんな真夜中がここにあった。
ベランダへと続くガラスの大きなトビラをあけるとな、なんと、そここは小さな庭に続いていてなんと、プール。
ホテルの中なのよ。
プール付きの部屋なんだ。
温泉じゃない。
それだけじゃない、びっくりしたのは。
10個以上は部屋があった。ドアを押すと、また廊下になっていて部屋が並んでいるんだ。
ジムもあったし、髪を切るためだけの部屋まであった。
スィートなんてものじゃない。邸宅がホテルの中にあるようなところだった。
後できいてもっとびっくりしたのは、ここはお金を支払っても借りる事は出来ない部屋で、このホテルのカジノで1億以上を使うVIPが無料で使える部屋だった。
YOSHIKIの友達のことだとは聞いたけれど。
どんな友達なんだ?
信じられない。私自身は人生そのものがエコノミーだけれど、成功して行く人々のそばにいる事も多く、ホテルに関してはかなりのスィートだって見せてもらったことがある。だけど、こんなに大きな部屋は見た事がなかった。
アメリカという国のお金持ちのスケールに唖然。
それにしてもYOSHIKI、どうなっているのかな。

はじめてあなたに会ったのはあなたが25才。
「お倒れもの」なんて言われて、しょっちゅう、ステージで倒れていたりした頃の事。
21才の頃から運転手つきの車に乗っていると聞いた。
「元気の出るテレビ」でラーメンやの前で演奏し、ビジュアル系としてスタートしたエックス。はじめての武道館、打ち上げは新宿のパワーステーション。一階は友達、二階には家族と親戚、変わった打ち上げだった。
エクスタシーレーベル、あなたがはじめたビジュアル系のインディーズ。今では珍しくないけれど、あの頃はインディーズという言葉さえ、まだあまり聞く事はなかった。
ルナシー、レディスルーム、ビジュアル系全盛はこうして幕を開けたよね。
私とあなたがどうやって知り合ったかは又話す機会もあるとして、あの頃のあなたは本当に美しかった。ピアノからドラムへ移動する一瞬のために、そのためだけに何度も凄い衣装を仮縫いしていたね。ほとんど裸なのに、一度着た衣装は二度と着なかったから本当にお金がかかった。

若く美しく、才能にあふれていたあなたは、いつも哀しそうで、苛立っていて、孤独で、痛々しかった。やり場のないエネルギーがいつも、どこで爆発するかわからないような危なっかしさに満ちていた。

「アメリカに住んじゃおうと思うんです。LAで勉強しようと」そう言ってから何年が過ぎただろう。英語の先生を数人雇って勉強ばかりしていた、そんな時期もあった。
はじめて住んだLAの家には日本で今もたぶん、そのままになっている部屋と同じような黒でまとめられたデザインの家具が揃えられプールもあったね。
私は小室氏と当時の彼女と訪ねたんだ。
写真撮って遊んだりしたね。

あれからどんな生活があったのだろう。
ほとんど会わなくなって、こんなラスベガスで会うなんてね。

ねえ、男の子はなぜ、どこまで戦って走って行くの。
苦しいレースをいくつも超えてなぜ、勝ちたいの?
負けたくないの?
だってどこまでいったって、幸せは一瞬だって知ってるでしょう。
それなのに。
戦う事をやめようとしない。
勝ち方も勝ってから行く場所ももうないのに。

わからないなあ。

でもその部屋を出る時、「またね」と握手して見送ってくれたあの恥ずかしそうなうつむき加減の笑顔、私は忘れない。
「今年はぼく、動きますよ、そろそろ」
そう言ってたね。

元気で。
負けないで。
何になのかわからないけれど。
男の子なのだから。




最新の画像もっと見る