この供養塔は文久元年(1861)森孫右衛門の二百年忌に、子孫の森幸右衛門
と親族により建てられました。森孫右衛門は江戸時代以来、隅田川河口に佃島を築
き、日本橋魚河岸のもととなる店を開いた人物と伝えられています。
供養塔の銘文には、孫右衛門は摂津国(現在の大阪府)佃村の人で、二代将軍徳
川秀忠の時、魚猟の許可状及び33人の漁師の漁業権を拝領したことなど、佃島の
漁師と徳川家との関わりが書かれています。また、寛永年間(1624~44)に
百歩四方の土地を賜り、島を築き、正保元年(1644)2月に築成して佃島と名
付けるなど、佃島の成り立ちや、代々佃島の名主を努めたことなどが刻まれていま
す。これらは佃島の造営を語り伝える貴重な資料といえます。(中央区教育委員
会)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます