おへんろと心経 乱れ打ち

おへんろと心経の初心者です。四国八十八カ所と別格20霊場のお遍路の記憶。
  心経が読めるようになりたいー

最後の部分「羯諦羯諦(ぎゃていぎゃてい)....」のご真言(マントラ)の訳 -その2-

2019-09-28 | 般若心経

般若心経の最後の部分

羯諦羯諦.....の部分は真言(マントラ)であり、訳す必要性は(少)ないといわれている。

唱えることが意味をもつということだ。

しかし、多くの方が、この部分の訳を試みられている。

今回は、「角川ソフィア文庫」の宮坂宥洪氏著 「真訳 般若心経」から抽出させていただきたい。

著者はサンスクリット語に精通され、その意味を原典から訳されることを試みられている。

最後の部分を除き、般若心経は すべては「空性である」の繰り返しととらえておられるように感じる。そして、これが 般若波羅蜜多の知恵ということだ。

多分私のこの解釈はあまりに大雑把だと思うので、また、後日、読み直してみたい。

 

さて、今回のテーマ

心経の最後の訳だが、ここの訳は次のパターンがあるそうである。

 

1.

往けるときに、往けるときに、彼岸に往けるときに、彼岸に完全に往けるときに、さとりあり、スヴァーハー

2.(岩波文庫 中村博士)

往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ

3.(渡邊照宏博士)

至れり、至れり、彼岸に至れり、彼岸に到着せり、悟りに。めでたし。

 

4.(空海の解釈)

{ 最初の羯諦は声聞の修行の成果、2番目の羯諦は縁覚の修行の成果、3番目の「波羅羯諦」は大乗の修行の成果、「波羅僧羯諦」は真言マンダラの教えの修行の成果、5番目の「菩提娑婆賀」は究極的なさとりに入るという意味を示していると解釈 }

著者はこれを次のように言い換えておられる。

「自分自身の内なる建物の階段を順に昇っていき、昇るごとに見晴らしがよくなっていく成果を一つ一つ自分で味わい、また確かめながら、仏の境地に近づいていくプロセスを称えたマントラということになります。」

 

最後に.....

5.(著者 宮坂宥洪氏)

母よ、母よ、般若波羅蜜多なる母よ、どうかさとりをもたらしたまえー。

 

般若心経は「仏母」たる般若波羅蜜多を本尊とする経典であり、これを称えるマントラと解釈する。

 

 

 

 

 

 


更新情報

2019-04-07 | 更新履歴

このブログの記事について


更新情報のページです。 ブログというよりホームページ風のサイトを目指しています。

訪ねる順は乱れ打ちなのですが、お寺の番号は順番に表示されるようにしています。

公開した記事も後日、随時肉付けしていきたいと思います。

 

*当初、参拝後すぐに記事掲載を目指していたのですが、遍路の目的が、ブログの更新のための遍路になりつつあるのを感じ、過去の遍路を思い出すようにして記事を書くことに方針転換しました。訪れた順の掲載でなく、記事まで乱れ打ちです。記憶ちがいも いくらか発生するのではないかと危惧もしています。なにかありましたら、ご指摘ください

.....

そして ついに 2018年 12月 29日 四国88箇所と別格20箇所 すべて回り終わりました。

回り終わって いったい 何が変わったのだろう?? これまでの旅が懐かしく、もう 回ることがないかもしれないと思うと、とても寂しくなってきました。さらに、お正月を迎えると、今度は 人生の終わることを強く意識し始め、それに気持ちがとらわれていきました。

結願のご利益とは.....

こんな心の状態もあって、その後、空海の著作にのめりこんで行くことになりましたが、そのあたりのことは後日、改めて記事にしたいと思います。回られた方、それぞれに変化があったのではと想像しますが、私の場合も、変化があったのです。。。。

 

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更新ログ

 

2019年______________________________

9月28日:最後の部分「羯諦羯諦(ぎゃていぎゃてい)....」のご真言(マントラ)の訳 -その2-

4月7日:最後の部分「羯諦羯諦(ぎゃていぎゃてい)....」の記事に加筆

2018年______________________________

12月29日:結願 (88箇所+別格20箇所):「このブログ記事について」に加筆

6月11日:「お線香は なぜ3本お供えするの? 別格本山「高野山 大善寺」の看板より」

5月25日:「これって波動の物理学か??「色即是空 空即是色」を何に例えるか...。」

2017年______________________________

7月23日:「横峰寺」

7月23日:最後の部分「羯諦羯諦(ぎゃていぎゃてい)....」のご真言(マントラ)の訳 -その1-

2016年______________________________

10月11日:「奇跡の弘法水」について公開。

10月10日:「空海の奇跡」について公開開始。
         最初は、「大日経との出会い」です。

9月20日:「出石寺」(別格)について公開。

9月19日:「岩屋寺」について公開。

8月21日:「金剛福寺」「延光寺」「観自在寺」について公開。

8月14日:「東大寺の謎」について公開。

また、内容のない記事を非表示にしました。

月29日:「更新情報」のページを追加しました。これまでに第1番、第4番の2箇所のお寺の記事をわずか数行で書かせていただきました。まだ、ご訪問に値しませんね。すいません。

7月9日:ブログを開設しました。ブログと言ってもホームページ風です。 最初の日の空の色は格別でした。


最後の部分「羯諦羯諦(ぎゃていぎゃてい)....」のご真言(マントラ)の訳 -その1-

2019-04-07 | 般若心経

般若心経の最後の部分

羯諦羯諦.....の部分は真言(マントラ)であり、訳す必要性は(少)ないといわれている。

唱えることが意味をもつということだ。

しかし、以前、何の本だかは、忘れたが、その訳を聞いたことがある。

その時感じたのは、心にしみる 美しい文だった。

もう20年くらいにはなるだろう、だいぶん昔のことで、ほぼ忘れたのだが、確か、

「旅するものよ....幸あれ」

そんな言葉が含まれていたと記憶している。

(それが書かれた本をもう一度探したいと書庫を探したが、見つからない)

お遍路さんの旅する姿にふさわしいフレーズ。

 

さて、先日、NHKの「まる得マガジン」で「実践!一日一禅」という番組が放送されていて、

偶然それを目にする機会があった。そこで、講師の枡野俊明氏 (曹洞宗・横浜・建功寺)が

次のように訳されていた。

 

 「私も皆も共に行こう。
皆で悟りの境地を円満成就しよう」

 

これを聞いて、昔、最初に聞いた訳が、また、気になり始めた。

あのとき、どういう訳を聞いたんだろう。

また、また、時間ができたら、書庫を掘りかえしてみたい。

 

般若心経は「空」の経典というふうに、書店にならぶ書籍のタイトルに書かれているのを見かける。

しかし、それは、内容の一部であって、あるいは、仏教の一部分であって、それでは、般若心経の全体を表していない。

最近、いくつかの書籍にふれ、一言で言うなら、

「遍路」の経典、あるいは、「一期一会」の経典、そんなふうに私はとらえるようになった。

私も般若心経も一つとなり、 一体となり旅をしているのだと....そんなイメージがわいてくる。

仏教の全体が含まれているといわれる般若心経。まだまだ奥は深くて、まだ見えていないのは当然すぎるのだが。。。。

 

(追記)

この後、「羯諦(ぎゃていぎゃてい)....」のご真言(マントラ)の訳 -その2- 」

の記事を書きましたが、これも合わせてごらんください。この中で、私の上記のうる覚えの訳は、こじつけですが、番号4.に挙げた空海の解釈にも影響を受けているように思います。

こじつけですが。。。。

 

それにしても、解釈は様々なものがあるんですね。

 

(追記)

話はそれますが、上記番組の中で、「無心」という言葉の意味を紹介されていた。

これも、覚えておきたいので、覚書として、残しておきたい。

「無心」:心に浮かんでくるいろいろな思いそれをそのままにしておく  そしてまた消えるままに任せておくそういう状態

 


お線香は なぜ3本お供えするの? 別格本山「高野山 大善寺」の掲示板より

2018-06-11 | お寺の掲示板

2018年4月より、BS12で、小島よしおさんと狩野英孝さんの「チャリお遍路」という番組が放送開始となった。初回放送で、お遍路ツールを売店で買い揃えるなか、お線香はなぜ3本お供えするかという話題があった。ショップの方は、

『「過去・現在・未来」、「仏・法・僧」の意味で3本あげる』

と説明されていた。他にもネットには、『身・口・意の3業を清めるため』などの意味もあると紹介されている。確かに、3という数にいろいろな意味が込められていることと思われるが、

高知県にある、別格本山「高野山 大善寺」を訪れた時、次の掲示板に出会ったので、ご紹介したいと思います。

 

(追記) その後、小豆島の八十八カ所を巡ったとき、あるご住職の方によれば、バレンタインのチョコと似たように、本来 お線香の「3本」というのは意味がなく、意味を後付けしたもの とおっしゃる方もおられました。本数にそこまでこだわる必要はないかも。

 

 

 


これって波動の物理学か??「色即是空 空即是色」を何に例えるかが、空海の著作にみえる。

2018-05-25 | 般若心経

「般若心経」はむつかしい。しかし、意味を理解する必要は必ずしもなく、一つの、呪文だという。
ただ、どういう意味か知りたいと、いつまでも思い続けることだろうと思う。

こんなことを考えていると、時々、発見に出会うことがある。

今回の出会いは、「色即是空 空即是色」の意味について。
読み違えているのではという疑いもあるが、感じたことをそのまま書こうと思う。

 


 

『空海「秘蔵宝鑰」』(角川ソフィア文庫) を読むと、第7章「覚心不生心」に
「色即是空」という節がある。そこには「空」と「有」について、私には理解しがたい解説が書かれているが、
この節の終わりに、空と色を「水」と「波」にたとえて説明してある。一文を抜粋させていただくと、

「譬(たと)えてみれば、水と波とが、水の面から見れば水、波の面から見れば波であって、しかも互いに離れない関係にあるのと似ていますし、また・・・・」

これを読んで、光の物理学で聞いたことを思い出した。

「光は波の一種」として物理では習い始めることと思うが、しかし、光は波の性質と同時に「粒子」の性質を持つという2面性があるという。光は波であり、粒子であるという物理。光だけではなく、逆に電子や分子のような運動量を持つものは、波動の性質も併せ持つそうだ。人間の体も運動量を持っているだろうから、人間も「波動」なのだろうか。。。「色即是空 空即是色」は(ド・ブロイの仮説と同様に)未来の物理法則も暗示しているのかも。。。。。

 

今回のことで、ネット上には、物理に詳しい方々が、般若心経と物理学の関連性について様々な考え方を公開しておられることにも出会った。最後のほうにリンク例を作っておこうと思う。

 

 

「秘蔵宝鑰」は何を言いたいのだろうと読んでいると、意味がよくわからないにも関わらず、空想が膨らみ、飽きない。文字を追っているだけで、なにか落ち着ける。手にとってみられてはどうでしょう。

 


[関連リンク]

 

 

 

 


奇跡の弘法水(こうぼうみず)

2016-10-11 | 空海の奇跡

奇跡の初めに挙げたかったもの。

弘法水。

こう思っていたら、何といいタイミングでしょう。関西テレビ系列で、2016年9月27日に

日本のルーツを行く!又吉ロマン 〜知られざる水の神秘とは!?〜

という番組が、放送されました。(今日現在、YouTubeでも視聴できましたが、いつまで見れる状態かはわかりません)

弘法水はミネラル分が豊富という特徴があるそうです。(通常の湧水の1.5~2倍)

番組の舞台、第73番札所 出釈迦寺の弘法水 「柳の水」はミネラル105.4mg/l(一般的な水は50mg/l)と紹介されました。

番組の中で、お遍路道は弘法水をつなぐ道というとらえ方を紹介されました。

お遍路道には、90箇所の湧水があるそうで、昔、いくつかあったお遍路コースのうち、弘法水のないルートは淘汰され、なくなり、

現代まで生き残ったコースは、弘法水が湧き出る地点を結ぶルートだそうです。

全国では、弘法水は約1500か所(青森~鹿児島まで)と紹介されました。

スゴイ数ですね。

その中には、「山中に塩水が湧く弘法水」、「海底に湧く真水」なども含まれているそうです。

番組では、ミネラル分豊富な「柳の水」に関する次の奇跡が紹介されていました。


 

「大阪の豪商の娘さんが大病を患い、なかなか治らなかんたんですが、その時に旅の僧侶が  『弘法大師様がお生まれになった場所の近くで汲み上げた湧き水です。どうぞこのお水で御薬を飲ませてあげてください。』

その娘さんが、この水で薬を飲まれて、全快されたそうです。」

 


 

 

(番組は、弘法水研究の第一人者と紹介された 立正大学 河野忠教授と出釈迦寺のご住職の話が中心に進んで行きました。

 貴重な情報をいただきありがとうございました。)

 

 

 


「大日経」との出会い

2016-10-10 | 空海の奇跡

ここでは、「東寺の謎」という本からのリストアップです。

 

空海が、大日経、あるいは、密教との出会いのきっかけとなったのは、

「夢」であったと書かれています。

三教指帰を書かれた後、

空海は「空白の7年」といわれる時に、

「久米寺の東塔に経典が収められている」

という夢を見られたそうです。

夢が、大日経との出会いのきっかけというのは、

やはり、注目すべき、奇跡です。

 

 

 

 

 


はじめに -奇跡の記事を調べていくにあたり-

2016-10-10 | 空海の奇跡

空海の奇跡をしらべて行こうと思ったのですが、

それは空海の「軌跡」そのものであったと思います。

生まれから、空海は高野山にまだ生きておられるという言い伝えまで、

あるいは、この先の日本の人々の体験を含めて、

すべてが空海の奇跡といえると思います。

おへんろを始めるまでは、空海が見つけ出した井戸の話を

数回聞いたほどの知識しか持ち合わせていませんでしたが、

おへんろを始めて、境内にある看板を読んでいくたびに、

日本にはこんなに奇跡が起こっていた国なんだと、

乱れ打ちを通して初めて知りました。

お遍路に行けない方々にも、お知らせできれば

いいですね。それが、皆様のなにかの始まりのきっかけになればと

思います。 

 でも、私の出会う奇跡の話は、ほんの一部にすぎないのは確実でしょうか。

 


「東寺の謎」 - 空海の「三経指帰」の序文に感動

2016-08-14 | 読書

先日、京都の東寺を訪れる機会があった。

売店で、いい記念品はないかと探していたが、

中身に、いくらか写真が紹介されているのを確認して、

「東寺の謎」という本を購入。

 

「空海はなぜ僧の道を選んだのか」の段の中に、

「三経指帰」(さんごうしいきと読むそうです)の序文が現代語で紹介されていた。

感動的だったので、覚書です。みなさんにも、この本 「東寺の謎」 お勧めです。

 

 

 

 ________「三経指帰」 (三浦俊良著「東寺の謎」より抜粋)_____________

 

「 天が朗らかに晴れわたっていると、あらゆる現象が手に取るようにわかるように、

人は心を動かされると筆をとる。(中略)

私は15歳のとき、母方の伯父で伊予親王の学士、阿刀大足(あとのおおたり)について学問を学んだ。

18歳で大学にはいり、家が貧しく月の明かりや蛍の光で本を照らして学問を励んだという古人を見習い勉学に励んだ。

 それでも怠けそうになるときは、梁に縄をかけて首をつるし睡魔とたたかいながら勉強した古人のことをおもい、みずからの怠慢さを叱ったものである。

 あるとき、私はひとりの僧に出会った。彼はわたしに虚空蔵求聞持法という密教の秘法を教えてくれた。その経典には、

『もし人が求聞持法の定めた作法に従って虚空蔵菩薩の陀羅尼(略)を百万回となえるならば、あらゆる種類の経典の教えを理解することができ、暗証することさえ可能である』と書いてあるという。

 わたしは仏陀の言葉を信じた。木の錐(きり)で火を起こそうとするとき、ひとときでも手を休めてしまえば火は起きないように、私はひとときも休むことなく仏の道を求めた。阿波国の太瀧(たりゅう)ガ岳によじ登り、土佐の国の室戸岬で修業に励んだ。わたしの真剣な姿に谷は谺(こだま)をかえし、虚空蔵菩薩の化身である明星が姿を現した。

わたしは朝廷ににおいて名誉を競いあうことや社会で利をむさぼりあうことが意味のないようにおもえ、靄(もや)がたなびく洞窟や水のない沢の静寂を求めるようになった。

 軽い衣をなびかせた姿や必要以上に肥った馬に象徴されるぜいたくな暮らしぶりを目にすると、稲妻のごとく、幻のように消えてゆく人生の儚さをなぜ知らないのかとおもってしまう。

 体の具合の悪い人やボロ布を矧ぎあわせたような服装の人に出会うと、どのような理由でそうなったのかとおもい哀しみがとまらない。

 このようにわたしが目にするすべてのものが、わたしに出家をすすめる。

 だれも風をつなぎとめることができないように、だれがわたしの出家をつなぎとめることができようか。(以下略)

___________________________________end

 

私は着飾ることは素敵なことだと思います。ただ、その服を着替えたあとも、

なにかに幸せを感じ続けていたい。そう願います。

 

東寺には有料駐車場がありました。敷地の東側に面した道路から入っていけます。

平日の暑い日であったためか、駐車スペースは十分ありましたが、週末はどうか

わかりません。

 

 


別格 第7番 金山 出石寺

2016-07-30 | 別格20霊場

行ってきました。

地図で見ると、出石山の山頂に位置し、歩いて登られる方は大変だと思います。

 

私は、松山市から国道56号、378号線を南下し、伊予長浜で県道24号へ入り、右手に橋が見えたら、それを渡り、県道28号線をどんどん南下して行きました。出石寺手前8kmまでは、快適な道でしたが、そこから郷之峠までは、道が狭く、車のすれ違いに苦労すると思います。

 

この日の山上には霧がかかっていました。

道は狭く、対向車が心配でしたが、幸い車には出会いませんでした。

お寺まで3kmのところにある郷之峠にある標識です。私は、長浜方面から登ってきましたが、この標識がなければ、きっと、次の道に戸惑ったでしょう。

峠から、お寺へは車のすれ違える道になりました。

 

入口前の駐車場からの写真です。

縁日には賑わうのでしょう、離れたところには、広い駐車場もありました。

 

 

少し進むと、お大師様の像が迎えてくださっています。

 

 

霧のかかる、幻想的な階段を上ります。

 

途中、お寺の名前が「三教指帰」に登場することが、紹介されています。

(私は今、意味がわかりません。後日 訳にも挑戦します)

境内の様子をいくつか。 霧のせいもあるでしょうが、幻想的だったので、写真が多めです。

 

右手の護摩堂からは、法要の声がやむことなく響いてきました。

 

 

護摩堂の屋根を上から。

 

護摩堂の上に、観音様が。 説明には下記のようにあります。

「永代祈願」の言葉にひかれ、 ボケ封じの申し込みをさせていただきました。

 

 

 

大師堂です。たくさんの明かりの灯されている堂内は久しぶりです。

 

 

お手びきの鹿です。

このお寺の由来の説明があります。

 

 

 

猟師の作右ヱ門は、導かれるべくして導かれたのでしょうか。回心とその後の生き方が、真似できそうにありません。

このような起源を持つお寺は、特に心ひかれます。

 

 

帰り道、交通の不便な山奥のお寺にもかかわらず、

次々にお遍路さんがやってこられていました。

 

 

帰りは八幡浜のほうに、南下しました。どちらかというと道の広さは、こちらのほうが北側より無難かと思いました。

 


第1番 竺和山 一乗院 霊山寺

2016-07-10 | 四国88ヶ所

1番ということで、期待が高まります。

すぐそばのお遍路さん用のグッズの売店が印象的です。

1番らしさを売店に感じました。

ここは、スタートの特別な場所。もう少し記念品を買っておけばと少し後悔しています。

さすが、第1番。境内も鯉が泳いでいる庭園。よく手入れしてあるなと

感動です。なんて清々しい境内でしょう。

 

吊灯篭というのでしょうか、たくさん灯されていて神秘的です。


第4番 黒厳山 遍照院 大日寺

2016-07-10 | 四国88ヶ所

桜の季節の少し前、徳島の4番、大日寺を参拝。

門の色が少し薄くなっていたことで、年輪を感じました。

 

境内は、こんな感じです。

 

 

 

今も残る思いでがあります。

ご寄付をさせていただきましたら、記念に

お守りをいただきました。大事にさせていただきます。

ご住職さんは、訪れていた外人さんに何かを聞かれて、流ちょうに会話をされていました。

英会話が自然に流れてスゴイ。

大日寺に行きたいというより、ご住職さんのお顔をもう一度拝見したいと

思いました。

 


第38番 蹉跎山 補陀洛院 金剛福寺

2016-07-10 | 四国88ヶ所

 

足摺岬に行ってきました。

岬への歩道のそばに、金剛福寺はあります。

こちらのお寺は、まず、カメが出迎えてくれます。

弘法大師が終業の時、不動岩へ渡ったときに、背中へ乗ったというカメでしょう。

亀の背景に見えるように、こちらの庭園は、鯉の泳ぐ大きな池を囲んで、

きれいに手入れされています。

境内の中に、一つの世界が作られている感じで、第1番の霊山寺を思い出されます。

 

 

池には、赤色に紫を少し混ぜたような透明感のある色をした、トンボが飛んでいました。

この辺には、よく見るトンボなのでしょうか。私は最近はあまりトンボを見なくなったので、

余計に不思議に思いました。

実際のように奇麗な色が写真では出ませんが、きれいな色をしていました。

本堂の横と後ろには、多数の仏像が鎮座され、荘厳な雰囲気がただよっています。

 

 

岬までの道中に見られる、弘法大師7不思議と合わせ、美しさ、伝説、規模など、見どころたくさんのお寺です。


第39番 赤亀山 寺山院 延光寺

2016-07-10 | 四国88ヶ所

赤亀山(しゃっきざん)という名前にもあるように、このお寺には、「亀が梵鐘を背負って寺に現れた」という伝説があるそうです。入口にはまず、その亀の像が出迎えてくれます。

 

 

梵鐘は、境内にある県内最古(911年の銘)の梵鐘だそうです。

眼の病気にご利益があるとされる、「眼洗い井戸」もあります。

大師が住民が水不足で苦しんでいる時、錫杖で地面を突いた時に湧きだしたそうです。

これらの伝説も不思議なのですが、もうひとつ不思議なものを眼にしました。

さて、この木は、なぜ、ねじれているのでしょうか?

自然現象??

境内の様子を2枚掲載させていただきます。

この日は雨がぱらついて、少し日差しが暗かったようです。

 

 

 


第40番 平城山 薬師院 観自在寺

2016-07-10 | 四国88ヶ所

観自在寺は、第1番霊山寺から、一番遠いところにあるので、「四国霊場の裏関所」と呼ばれているそうです。

 

「栄かえる」といわれる、かえるが迎えてくれました。ガイドには「願い事をしながらなでてみよう」

とありました。

 

ですが、一番のお勧めは、境内の案内板からすると、弘法大師が霊木に刻んだ「南無阿弥陀仏」と彫った宝板らしい。これを布に写し取った御宝印が売店で販売されていました。

こちらの売店には、般若心経を彫った小さな板のキーフォルダーと、お大師様の小さなキーフォルダーを買ってしまいました。あまり、売店で買い物しない私ですが、お気に入りの売店です。

(こちら、お母さんへのプレゼントになりました。)

 

本堂までの道の横に、立派な八体仏十二支守り本尊がおられます。

大師堂の周りには、各霊場の砂が敷き詰められ、一周すると88か所のお砂巡りができたようですが、私はぜずに帰ってしまいました。一つの後悔です。