時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(285) 市境?大和川 (1)

2010年03月04日 07時26分43秒 | 現在の中の過去
似たような地名で区や市が違う例を挙げた記事で取り上げたこの例。
    

 この2つの地名間を大和川が流れており,市界になっている。

 阿倍野筋の最南端に架かる遠里小野橋。

 向かって右側が住吉区遠里小野,左側が堺区遠里小野町となる。
 遠里小野橋を住吉区側から見る。

 この橋を渡り・・・

 左手の堤防の下が遠里小野町になる。

 長居公園東筋の南端の吾彦大橋をわたる手前の左手に住吉区浅香がある。
 橋を渡って,川沿いを西の方へ行く。

 阪和線の線路を越えた辺りから堺区浅香山の住所表記のプレートが見られるようになる。
 阪和線をくぐる際,真上に駅のホームがある。

 住所上は浅香山だが駅名は浅香駅になっている。ホームの端は川に架かっているが,駅舎は・・・

 その反対側の橋にあるため,市の境界に位置しているようには感じがたい。
 さらに西に行ったところに・・・

 南海の浅香山駅があるが,住所上は浅香山にはない。このほぼ北側に遠里小野町がある。浅香と呼べる地区は住所表記の範囲よりもだいぶ広いのかもしれない。

 さらに東の方へ行き,東住吉区矢田。行基大橋の隣に下高野橋という現在工事中の橋がある。
 

 この橋を渡り,向かい側の住所表記を見ると…

 まだ東住吉区矢田だった。この写真の奥にある近鉄の踏み切りの名前も…

 矢田の名前が使われていた。この辺りは行基大橋の辺りまで大和川以南にも東住吉区がある。
 下高野橋を渡った先の道路をさらに南下すると,このような交差点がある。

 手前の横断歩道の左側の家は東住吉区にの住所表記が取り付けられていた。しかし,その向側の家は松原市天美北の住所になっていた。この間の道路に市界がある。
 大阪市側を振り返ってみる。

 この交差点の一つ西側の交差点付近で東住吉区はまだ南の方に続いている。しかし,ここより南側ではその東西方向の幅が大幅に狭くなる。
 ちなみに,この交差点の東側では・・・

 右側に見える家までが東住吉区のプレートをつけており,その手前にある畑(住所表記を確認できず)を挟んで隣の家からは松原市になっていた。写真左側は交差点まで全て松原市だ。

 交差点から南へしばらく松原市内を行くと…

 いかにも松原市天美にありそうなタクシーの営業所があった。その会社の壁を見てみると…

 東住吉区矢田七丁目のプレート(写真右側の青いもの)がついていた。道路を挟んだ反対側(この写真を撮っている位置)松原市だ。この辺りで矢田7丁目の東側への広がりを見てみると…

 手前に見える駐車場には住所表記はなかったが,奥の家は松原市だった。東西方向の幅がだいぶ狭くなってきている。

 さらに南下すると…

 矢田7丁目17番地のプレートを確認できた。

 その区画が終わり,黄色い看板の見える区画からは道路の東側(写真左手)も松原市になった。この付近の東西方向の幅を調べてみると…

 西側を向いて撮った写真だが,奥の車のひとつ前の倉庫のような建物が矢田7丁目のプレートを確認した建物だが,その隣接する家からは住所表記を見つけられなかった。道路に書かれたとまれの文字ぐらいまでが東住吉区なのかもしれないと推測した。
 地図で調べると矢田7丁目18,19まで書かれている。(郵便局を検索する地図で確認)

 この辺りまで伸びているのだが両側共に松原市の住所表記が付けられていた。
 ガソリンスタンドの先に見えるこの自販機も…

 所在地は松原市と書かれていた。道路の上の一部のみが東住吉区なのかもしれない。
 この矢田7丁目。区役所前の地図ではこのように描かれている。

 ウィキなどで東住吉区の記事を見ると,この形状から「注射針」と呼ばれているとの記述があった。矢田と天美が境を決める際にどのように取り決めたのかが気になった。松原市の住所表記とプレートはレイアウトのだいぶ違うこんな住所表示も見られた。

 市界を分かりやすくするために,住民の方が作ったものかもしれない。

 ちなみにこの矢田7丁目は電話の市外局番も06-67**ではなく松原市と同じ072-3**になっている。

 大和川は西側の堺市とはほぼ完全な市境(厳密には北側の川原の一部が堺市の部分あり)だが,松原市になると大阪市の大和川以南への南下が数箇所見られる。この大和川自体が河川改修でできたものなので,境界はそれ以前の川が今の流れではない時代のものかもしれない。

※ ここよりも東側の平野区の例は
(2)で取り上げます。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿