ワンコはいつまで幼い頃の想い出や経験を覚えているのでしょうか。
今日は少し悲しい、でも、私にとっては、丸5年を過ぎてようやく懐かしさをもって思い出す、ワンコとのお別れのお話です。
五右衛門はとても楽しく明るいワンコで、我が家で8ヶ月を過ごし、訳あって里親さんを探して託したワンコでした。
13年前の五右衛門です
別れて7年が過ぎた初秋に実家から電話を受けました。
「五右衛門が癌になってもう助からない。今のうちに会いに来る?」。
五右衛門との生活や、田舎に連れて行き、里親さんに託すまでのできごとが一瞬に甦り、帰省することを伝えて電話を切ると妻に伝え、このことは忘れようとして仕事に励み、時を過ごして帰省しました。
新潟県に向かう車の中の妻は余りに悲しくて、既に涙をみせていました。
私だけが五右衛門が生活する里親さまのご自宅に向かい、ご家族の中学生のお子さまに自己紹介と訪問した目的を伝え、玄関に入って息を呑みました。
私の中の五右衛門は約8年前の雪の降る日に別れを告げた、とても元気で明るい五右衛門でしたが目の前には痩せ細り、力なく横たわり、毛布を掛けられたビーグル犬が虚ろな眼差しで私を見上げました。
「五右衛門は7月頃から元気がなくなって8月には食事も摂らない日が続きました。お医者さまに診せたところ尾の近くに脊髄の癌で、あと1ヶ月程とのことでした。ここ2週間は起き上がれずに、横になったままです。気が付かずにすみませんでした」。
お子さまが私に頭を下げるのです。
とんでもないと私も頭を下げ、屈み込んで幾度も五右衛門の名を呟きながら、横たわっている五右衛門の首筋から肩にかけて優しく撫で続けていました。
すると、首を振った五右衛門がゆっくりと、立ち上がろうともがき始めました。
私が無理をしないように少しだけ抑えようとしたのですが、私の手を振り払うように全身に力を込め、ブルブルと震えながらも遂に立ち上がりました。
お子さまは「信じられない。ごはんもウンチもオシッコも、起き上がれないので横になったままでした。一日5回か6回の毛布の取り替えと、お尻を拭いてあげる時にも、ここ2週間は一度も立とうとしなかったのに」。
必死で立ち上がろうとしている五右衛門は、苦痛を覚えているであろう動きの途中でも私を見詰めたままでした。
ようやく立ち上がることのできた五右衛門はゆっくりと歩き始めました。
お子さまが「五右衛門、危ない」と小さく叫んだ刹那、五右衛門は玄関の土間に落ちてしまいました。
名前を呼びながら五右衛門を抱え上げ、もう一度、毛布に横たえようとしたのですが五右衛門は嫌がって立ち上がろうとします。
抱え直し、立つ姿勢をとり易くして土間に降ろすとほんの数センチづつ、精一杯の力を込めて、ブルブル震えながらも玄関の引き戸に向かい始めました。
玄関引き戸までの1メートル半程を息を荒げながら、立ち止まっては休み、5分ほどもかけてようやく辿り着くと、これも辛そうに、引き戸に向いたままお坐りの姿勢をとることができましたが、まだ少し、ふらついていました。
お子さまは「信じられない」と、幾度も繰り返しては五右衛門を見詰めていました。
ふらつきながらも姿勢を保っていた五右衛門がゆっきりと振り返り始めたとき、五右衛門の全てを理解しました。
五右衛門は私と散歩に出たかったのです。
これは、幼い頃からの、五右衛門が散歩を催促するときの合図でした。
いつもならこの後にクゥーンとかウォンと小さく言うのですが、固唾を呑んで見詰めているとゆっくりと口が開き、私を見上げたままで「クゥーン」と言ったのです。
すべてがあのときのままでした。
涙が溢れた私は跪き、五右衛門を抱き締めました。
五右衛門は苦痛に耐えながらも姿勢を保っていましたが、抱き締めた私に身体を預け、泣きじゃくる私の頬を優しく嘗め、私の涙を受け止めるように頬擦りを始めました。
五右衛門はなおも私の顔を嘗めようとして首を伸ばし、鼻先を私に近付けたので嘗めるままにしました。
多分、10分には満たなかったと思うのですが気付くと、疲れたのか眠いのか、五右衛門は私の頬を嘗めることはやめ、半分ほど開いた目で私を見詰めていました。
またしばらく見つめ合っているうちに、なんだか五右衛門と話している錯覚を覚えました。
「もういいよ、お父さん」と。
「ほんと?」と尋ねますと「うん」と言い、ゆっくりと瞼を閉じたのです。
眠りはじめた五右衛門を抱えると、お子さまはきれいな毛布を敷き直した五右衛門の寝床を整えて待っていてくれました。
眠っている五右衛門をそっと毛布に横たえ、一枚を掛けてお子さまにお礼を言いました。
「おかげさまで五右衛門と別れの言葉を交わすことができました。メモに自宅の電話番号を書いておきます。もしもの時にはお知らせ頂けるとうれしいのですが、お願いできますか?」。
お子さまにメモを受け取って頂き、改めてお願いしました。
自宅に帰る高速道路の運転は泣きながらの運転となりました。
3日後の朝7時、出勤の身支度を終えた私が受話器を取り上げると、数日前に覚えた男の子の声が聞こえました。
「今朝、5時過ぎに五右衛門が息を引き取りました」。
お礼を述べ、受話器を置くと妻に告げました。
「五右衛門が今朝の5時過ぎに息を引き取ったそうだよ。行ってきます」。
くどく話す必要はありませんでした。
つり革を持った通勤電車ではどうしても涙が溢れてしまって、何度も何度もハンカチを使う私を、怪訝な表情の女子高生がのぞき込んでいました。
こんなに泣いたことはありませんでした。
ところが、五右衛門が亡くなった翌年の6月に、五右衛門と生活をなさって下さったご一家の奥さまが心筋梗塞で亡くなられてしまいました。
ご一家のみなさまはいらしたのですが、奥さまが入浴中のできごとで、どなたも異変に気が付かなかったのです。
これから人生を愉しむ40歳半ばの若さでした。
葬儀を終えられてしばらく過ぎた頃、帰省した私達はご主人がいらっしゃることを聞き、手を合わせにおじゃましたのですが、仏壇の横には奥さまの遺影を収めた額縁の中に五右衛門の写真も入っていました。
「五右衛門を迎えた家内はとても嬉しそうに暮らしていました。そして、何度も何度も、繰り返して私に言いました。『もし、私が亡くなったら、必ず五右衛門と一緒にしてほしい。五右衛門のいない世界は考えられないし、とても寂しいから必ず、必ずね』と」。
ご主人は奥さまとの約束を守られて納骨の時、五右衛門と一緒にしてあげました。
五右衛門は今、最愛の奥さまと一緒に、雪に埋もれたお墓に眠ります。
五右衛門は、私達夫婦を許してくれたのだろうか、と今でも想いに耽ることがあります。
私は、五右衛門はとても楽しい生活を営み、ご一家に笑いと楽しさと思い出を残してくれたと思っています。
私には、別れのあの日に「もう、だめだなぁ。今度のワンコは僕みたいに離したらダメだからねっ」と言われた気がします。
身勝手な思い込みと分かってはいても、五右衛門は許してくれたと思っています。
最後の力を振り絞って私に甘えてくれた五右衛門でしたから。
あんなにやさしいお別れを伝えてくれた五右衛門でしたから。
あの日の五右衛門は幼いままの五右衛門で、いつまでも忘れてはいませんでした。
ワンコは決して幼い頃の生活や思い出を忘れません。
最後の時まで家族と過ごした記憶は覚えています。
そのことは五右衛門が教えてくれました。
きみはいま、大好きな本当のお母さんと一緒に過ごしているのだね。
屈託のない笑顔で、大好きなお母さんと過ごすきみが目に浮かびます。
時が過ぎて、ようやく確信を持つことができました。
ありがとう、五右衛門や。