90年代前半のマツダの経営危機を、より深刻化させたのは8代目ファミリアかも知れない。
初代FFファミリア(5代目)で、爆発的なヒットを飛ばしたファミリアは、以来シビック等とならぶハッチバックの代表車種になった。
続く6代目では日本初のフルタイム4WDモデルを登場させ、DOHC・ターボエンジンと組み合わせるグレードまで用意し、人気を博した。
その次の7代目ファミリアは89年に登場し、バブル期当時のマツダの経営多角化の波にのって、ファミリアアスティナやエチュードといった派生車も生み出したが、ファミリア自体はとても完成度が高いと評価され、販売も好調だった。
特にWRCで活躍し、それをフィードバックさせた1800ccターボの「GT-R」「GT-X」はいまだにファンに愛されるモデルだ。
94年に登場した8代目ファミリア(BH型)はしかし、まず従来の3ドアハッチバックモデルを用意しなかった。
変わりに用意したのが、ファミリア。ネオと呼ばれるモデル。

従来のイメージを廃し、よりクーペ風なモノフォルムのシルエットだが、せっかくの斬新なアイデアをうまく消化しきれていないデザインに留まっていた。
このデザインは、派生車のランティスでこそ開花しているわけだが、エントリーモデルのファミリアで、つまり低い生産コストや、誰にでも運転しやすい視界の確保という条件が求められる中で達成するのには無理があったらしい。
しかも、シビックやパルサーがハイスペックなSiRやVZ-Rというモデルをラインアップしていた一方、このファミリアではリーンバーンエンジンや新開発4WD、高性能ディーゼルを充実させるなど、より実用性重視に徹したのだった。
ネオの危機的な失敗をマツダは重く受け止め、2年後のマイナーチェンジでネオを廃止し、従来通りのイメージの3ドアハッチバックを登場させた。
セダンはフェイスリフト程度のマイナーチェンジにとどめ、セダンと共通の顔を持つ3ドアハッチを登場させたのだ。
(それが、今回買ったファミリアなのですが)
同じ型式名のマイナーチェンジで、ボディを一身させるのは異例のことだった。
個人的な話だけど、俺は今でも覚えている。
ネオが登場したのは小学校6年のとき。
物心ついたころ、うちには赤いファミリアがあって、その後ジェミニになって、そして小6当時はカペラに乗っていた。
そんな俺にとって、ネオのカタチはワケがわからないものだった。
こんなのファミリアじゃない、と思ったものだった。
そういうわけで、ネオは俺が中学2年の夏に廃止された。
あっという間だった。
マツダはその2年後、98年夏にファミリアをフルモデルチェンジさせ、5ドアハッチバックのSワゴンを登場させた。
ワゴンブームを背景に、3ドアハッチに見切りをつけ、5ドアハッチのSワゴンに切り替えたのだ。
小型なステーションワゴンで、ネオに比べれば数倍「マトモ」で実用性のあるデザイン。
結果的にはこれが成功し、2000年にはホンダもシビックをフルモデルチェンジで5ドア化させるに至ったほどだ。
それでもマツダは9代目ファミリア投入当時、失敗を恐れたらしい。
9代目ファミリア(BJ型)がセダンとS-ワゴンで登場してからも、3ドアハッチバック(BH)は2000年まで併売され続けたのだ。
そして俺は、BH後期という同じファミリアの、セダンとハッチバックを乗り継ぐことになった。

見慣れたインパネはセダンと同じ。
けれど、1300CCだったから無かったタコメーターが、インタープレーXには着いている^^
なんたって、最上級グレード。1070kgのボディを1800ccで引っ張る。
平凡な、地味なタコメーターはしかし、7500回転まで許容する。
初代FFファミリア(5代目)で、爆発的なヒットを飛ばしたファミリアは、以来シビック等とならぶハッチバックの代表車種になった。
続く6代目では日本初のフルタイム4WDモデルを登場させ、DOHC・ターボエンジンと組み合わせるグレードまで用意し、人気を博した。
その次の7代目ファミリアは89年に登場し、バブル期当時のマツダの経営多角化の波にのって、ファミリアアスティナやエチュードといった派生車も生み出したが、ファミリア自体はとても完成度が高いと評価され、販売も好調だった。
特にWRCで活躍し、それをフィードバックさせた1800ccターボの「GT-R」「GT-X」はいまだにファンに愛されるモデルだ。
94年に登場した8代目ファミリア(BH型)はしかし、まず従来の3ドアハッチバックモデルを用意しなかった。
変わりに用意したのが、ファミリア。ネオと呼ばれるモデル。

従来のイメージを廃し、よりクーペ風なモノフォルムのシルエットだが、せっかくの斬新なアイデアをうまく消化しきれていないデザインに留まっていた。
このデザインは、派生車のランティスでこそ開花しているわけだが、エントリーモデルのファミリアで、つまり低い生産コストや、誰にでも運転しやすい視界の確保という条件が求められる中で達成するのには無理があったらしい。
しかも、シビックやパルサーがハイスペックなSiRやVZ-Rというモデルをラインアップしていた一方、このファミリアではリーンバーンエンジンや新開発4WD、高性能ディーゼルを充実させるなど、より実用性重視に徹したのだった。
ネオの危機的な失敗をマツダは重く受け止め、2年後のマイナーチェンジでネオを廃止し、従来通りのイメージの3ドアハッチバックを登場させた。
セダンはフェイスリフト程度のマイナーチェンジにとどめ、セダンと共通の顔を持つ3ドアハッチを登場させたのだ。
(それが、今回買ったファミリアなのですが)
同じ型式名のマイナーチェンジで、ボディを一身させるのは異例のことだった。
個人的な話だけど、俺は今でも覚えている。
ネオが登場したのは小学校6年のとき。
物心ついたころ、うちには赤いファミリアがあって、その後ジェミニになって、そして小6当時はカペラに乗っていた。
そんな俺にとって、ネオのカタチはワケがわからないものだった。
こんなのファミリアじゃない、と思ったものだった。
そういうわけで、ネオは俺が中学2年の夏に廃止された。
あっという間だった。
マツダはその2年後、98年夏にファミリアをフルモデルチェンジさせ、5ドアハッチバックのSワゴンを登場させた。
ワゴンブームを背景に、3ドアハッチに見切りをつけ、5ドアハッチのSワゴンに切り替えたのだ。
小型なステーションワゴンで、ネオに比べれば数倍「マトモ」で実用性のあるデザイン。
結果的にはこれが成功し、2000年にはホンダもシビックをフルモデルチェンジで5ドア化させるに至ったほどだ。
それでもマツダは9代目ファミリア投入当時、失敗を恐れたらしい。
9代目ファミリア(BJ型)がセダンとS-ワゴンで登場してからも、3ドアハッチバック(BH)は2000年まで併売され続けたのだ。
そして俺は、BH後期という同じファミリアの、セダンとハッチバックを乗り継ぐことになった。

見慣れたインパネはセダンと同じ。
けれど、1300CCだったから無かったタコメーターが、インタープレーXには着いている^^
なんたって、最上級グレード。1070kgのボディを1800ccで引っ張る。
平凡な、地味なタコメーターはしかし、7500回転まで許容する。