さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

イシザカアヤコさん@リスボン 13

2009年11月30日 | ポルトガル

さて腹もいっぱいになり、シャワーも浴びて、あとは寝るだけ(^益^)

立派な部屋でしょう?ロシオ広場の真ん前だし、きれいで快適(^益^)b

ベッドは広く、二回転寝返りをうっても大丈夫(^^)w

ひとりなので、枕元にある立派なバスローブを使う必要もなし (´;д;`)チョットサビシヒ

さてすることもないのでテレビをつけてみると…

NHK World が見られるではないでーすか。少し久しぶりの日本語なので、「楽によくわかってしまうではないかね」と少し嬉しひ(^益^;

このチャンネル、ガイコツ人向けに「日本語講座」やら「日本探訪」などという番組をやっておりますが、毎日のように、いえ一日に何度も同じ再放送を繰り返す。ニュースなどは一時間ごとで、少しずつ内容は変わりますが、ほぼ似たような内容を放送します。

ちょうど政権交代の時期だったので、民主党の「子供手当」が話題になっておりました。そこでこのイシザカアヤコさんが登場。狭いアパートに住んでいるようで、生活は大変そう。かわいい赤ちゃんをあやしながら、インタビューに応えて「子供手当が出れば助かりますぅ。二人目も考えようかな、なんて思います」などと語っている。

内容からいってこのアヤコさんが登場する必然性もないのですが、それにしてもこの御本人、世界中で何度も何度も何度もこれが放送されてるって知っているのかしら…
(^益^;


リスボンへ戻り、素晴らしい夕食を 12

2009年11月28日 | ポルトガル

シントラ、ロカ岬の見物も終え、またバスと列車を乗り継いでリスボンへ戻ってきました。

ヨーロッパの夏は日も長いので、もうすぐ8時だというのにこの明るさ(^益^)b

ホテルの近くにある、地元客に人気だという海鮮レストランへ向う^^ 
期待は大きい
(=゜益゜):;*.':;

時間が早い(8時だというのに)のか、まだ客はちらほら。

ケビンが日本に来たときに、居酒屋で「つきだし」が出てきたのに当惑していました。「頼んでないよ」です。ポルトガルでは、頼んでなくてもパンやオリーブなど、また一品料理なども出てきます。断ってもいいのですが、ここでは注文したかったタコのサラダが出てきたので、これ幸いとワインのお供に^^

ポルトガルではワインが安くて旨い。その種類に対して滞在日数は短い。様々な産地を順番に試さねば!お勧めを聞いて出てきたのがDouro地方のEvelというこのワイン。ポルトガルの暑くてカラッとした気候のなかで出来るというのに深い陰性の味わい。空は突き抜けるように真っ青で太陽は燦々と輝いているけれど、鬱蒼とした木々の下で少しひんやりとした空気のなか、まるで森林浴をしているような飲み口です。

私はこれが気に入って、ショップではポルトガルワインは滅多に見ないけれど、便利なネットで注文し、帰国してからも取り寄せて楽しんでいます(^益^)b ちなみにこのタコサラダも簡単なので、一緒に頂いております。タコとさらした玉ネギを、オリーブオイルとヴィネガーに漬けて、ディル(香草)をちらします。一晩たつと味が滲みてぐっと旨いですよ~^^

ポルトガルに来たら、まずこのイワシの塩焼きを食べなければいけません。
うまーーーーーい!!!

ああ、なんて旨いの…(´;д;`) このシンプルな素材の味の豊かさよ…。生きててよかった♪と思いたい人、ポルトガルに行ってこれを食べませう(^益^)b

いろいろなメニューを頼んで分けて食べられないのがひとり旅の寂しいところ(^益^; 昼のチキン&マッシュルームのクリームソースがきいたのか、ワインのハーフボトルとタコサラダがあなどれない量だったせいか、イワシ5匹っつーのも少なかねえ。デザートもいろいろあったのですが、それはあきらめる。。。

そこでしかたなく(^益^)?デザートワインを頼むことにする^^;

うわさのマディラを頼もうとしたらなかった…。マディラ島は本土から少し離れた大西洋上にあるので、こちらのレストランではあまり置いていないようでした。そこでポルト・ワインを注文する。

ポルト・ワインは、「酒精強化ワイン」と言われるもので、ワインの発酵途中にブランデーを加えて作るそうです。アルコール度数は高く、甘みがあってコクが深い。長期熟成されて芳醇なまろやかさを増してゆくのです。ヨーロッパ貴族、特に英国人に好まれ、「ポルトガルの宝石」とも言われるそうです。

出てきた一杯は、ルビー色というよりガーネットに近い。おそらくTawnyという銘柄。甘やかな香りに誘われて、ひと口ふくんで新たな境地へ連れてゆかれた。熟したプラム、いやほとんど干し柿!なつかしい郷愁を誘うような、つつみこむような甘美な世界。ドライ・フルーツをかじったような、ねっとりとした歯ざわりを錯覚させながら、強いアルコールがふわっと口のなかで飛んで広がる。一瞬の出来事です。粘着する感覚と揮発する感覚、濃い甘さとさっぱりした爽やかさという、矛盾した世界が調和して、ここに同時に存在するというこの奇跡!

これを作ったやつ、長い歴史のなかで積み重ねてきたこの伝統を担ってきたやつ、ざぶとん2枚!

・・・じゃねえ、ノーベルなんとか賞!w(^益^)wマジ

ううう、すばらしひ食事であった…。レストランを出てみると、外はもう真っ暗。ここもしっかり調べて地図を確認して来て下さい。見逃しやすいですぞ~^^;

繁華街も人が少なくなりました。見事なタイルの地面が金色のライトを反射しています。

このとき、腹は一杯に満たされていました。しあわせでした。。。 このあと翌日にそなえて寝たわけで、ベッドに入ると腹が重い。こりゃ太るよね…。


ロカ岬へ 11

2009年11月25日 | ポルトガル

さてビールとワインも腹に入れ、今回のポルトガル旅行のメイン・イベント、ユーラシア大陸最西端のロカ岬へ向いました。シントラからローカルバスに揺られて小1時間、途中の田舎の景色も風情がありましたよ。

そしてついに岬へ到着!地図で見て、ただ「一番あっちのはじっこ」という理由だけで憧れていたこの地に、ついにやってきたのです。私は北海道の納沙布岬に行ったことがありますが、ポルトガル人で「一番むこうのはじっこだ」という理由でそこに行ったことあるやつ、いるかな(^^)w

碑が立っています。

読んでみると、やっぱり「ユーラシア大陸最西端」って書いてありますねェ(^益^)b

この手前には案内所があり、そこでは最西端にやってきた証明書が出るそうです。私は日本最北端の稚内でそんな証明書を買ったことがありますが、今回はいーやとパスでした~^^;

大西洋を望みます。広々とした景色とここちよい海風、かすかな潮の匂いと波の音で気分も高揚(^益^)b

大航海時代のポルトガル人は、この大西洋に船を漕ぎ出し、赤道を越えて南米の最南端、マゼラン海峡を回って太平洋に出、またアフリカ最南端の喜望峰を回ってインド洋に出、それから日本までやってくるやつもいたのです。それは長い長い旅の連続で、想像もつかないような驚きと感動をもたらしたことでしょう…。

 


シントラでの昼食 10

2009年11月22日 | ポルトガル

さてシントラでの王宮や城壁の見物を終え、また循環バスで駅に戻ってきました。これから大西洋を望むロカ岬へ向います。そのバスは2時間に一本!次のバスまで、昼メシの時間は約50分しかなひ。さっさと店に入らねばならぬが、駅前は流石に観光客向けのレストランが2~3件。やはり地元民が入るような普通の店に入りたい。駅前から離れるが、住宅地に入っては店がない。カンをたよりに歩き出す。迷っている時間はなーい。

ふひひ(^益^)b あるぢゃねーか^^ だいぶ歩いたのでのども渇き、まずはビール(^^)

そしてさっさと飲み干してしまい、料理を頼んでいる間にしかたなくワインを飲む。うまいぞ(^^)b

つけあわせのじゃがいもも旨い!メイ・クイーン系のしっとりした食感。同じイモなのに、どうしてこう英国と大きく違うのかなー(=゜益゜):;*.':;

食べた料理はチキンとマッシュルームのクリームソース煮。ポルトガル料理は塩が強いので有名です。たしかにしっかりきいてるな、とは思いましたが、それほどしょっぱい、というほどではありませんでしたよ。ソースはコクが深く、チキンは名古屋コーチンを思い出させるようなしっかりした歯ざわりの肉でした。ううう、思い出すとまた食べたくなるではないですか…^益^;


ペーナ宮殿 9

2009年11月21日 | ポルトガル

ムーアの城壁を見たあとは、ふたたび巡回バスに乗ってペーナ宮殿へ向いました。

ここは小高い山の上にあるので、バス停のところから宮殿の入り口まで往復2ユーロのバスがあります。

かなりの坂なので、体力温存のために乗りました~(^益^)

楽して到着w(^^)w 色鮮やかなこの宮殿、まるでインター横の(*´`*)ホテル…。

それにしても、バックの青空が映えます。夏の日差しは強いけれど、空気が乾燥しているので爽やかです。

このペーナ宮殿は、19世紀のポルトガル王フェルディナント2世が作らせたものです。

この王様、かの有名なノイシュヴァンシュタイン城を作らせたドイツのルートヴィヒ2世のいとこにあたります。私はそちらをまだ訪れたことがありませんが、森のなかに建つ幻想のような美しさと壮大さとをあわせ持つあの「白鳥城」は、文句なく世界でもっともすばらしいお城のひとつでしょう。

このペーナ宮殿は、ドイツから建築家を呼び寄せて作らせたもので、フェルディナントはいとこと張り合っていたのでしょうか。ご覧の通り、イスラム、ゴシック、ルネッサンス、マヌエルといった各様式のごった煮にようなけばけばしい造りです。私は完全に失敗作だと思っています(^益^;

ところで中世から近世に至るまでのヨーロッパは、現在のような「国家」という概念があいまいで、むしろ王侯貴族の家系があちこちにちらばり、その身分制度による支配が行なわれていました。

このフェルディナント2世の父親はドイツのザクセン家という君主の家系で、母親はハンガリーの名門貴族出身です。さらにフィルディナントはイギリスのヴィクトリア女王の従兄になっており、またベルギー国王レオポルド1世の甥にあたり、ブルガリア王フェルディナンド1世の伯父さんにあたります。こんなん覚えられないですよね^^; とにかくヨーロッパ全体にまたがって、王侯貴族たちは一大ファミリーを形成しており、あっちこっち分家して領主となっていたのです。

フェルディナント2世も、このペーナ宮殿の様式と同じ様に「ごった煮」の血が流れていたというわけでしょうね。

ゴブリンが出窓を支えています。「ごくろーさん」と声をかけたら返事をしそう(^益^;