坂本龍、日本の整体

Perfume、社会科学(政治経済)、自然科学などなど、思うところを

【社】日本政治を整体す 最終章

2009-06-15 07:25:23 | 日記
            最終章 終.1

 日本戦後政治、それはどのようなものだったのか。その過去、現在、
そして未来を俯瞰してみたい。

 過去・・・「利益誘導・民主政」

 1973年の第1次オイルショックまでの高度経済成長期、GDPは
10%前後で拡大し、それに応じて政府税収も増加。その税収増加分を
地元選挙区の後援者、各職域、そして自己の懐に利益誘導する、そんな
自民党一党支配による民主政。田中角栄の個人資産は100億円を超え
ていた。

 現在・・・「既得権益・民主政」

 1973年のオイルショック後、GDPは4%前後と低成長化し、それにより
政府税収も頭打ちとなった。そんな経済財政状況の中、今まで地元後援
者、各職域、自己の懐に利益誘導して来たその既得権益の護持を至上と
する、そんな自民党一党支配による民主政。省庁別予算配分率は、たと
え時代の要請が変わてっも固定化されたままとなった。道路政治などは
典型的なこれである。また、一般会計に変わり公的保険の整備により巨
額化した特別会計が新たなる自民党議員による利益誘導原資の草刈場と
なった。

 未来・・・「国益計算・民主政」

 短期的ばかりではなく、中長期的な国益計算により、経済財政、歳出
構造のたゆまぬ構造改革を遂行。そのためには既得権益に凝り固まった
旧来の構造解体、それによる一部雇用の流動化もやむなしとする。経済
財政だけではなく、社会保障、教育、軍事、その他の政治諸制度のもろ
もろも。この実行は自民党には構造的に無理だったのだ。旧来構造こそ
が、自民党の集金集票マシーン、自民党の生命維持装置だったのだから。
国家政府の一般会計80兆円、特別会計200兆円。そこには多くの無
駄が隠蔽されている。しかし自民党に政権を任せたままなら、その整体
は永遠に不可能だった。予算こそが、自民党とそれと結託した官僚の既
得権益そのものだったからだ。族議員そして族官僚、彼らの族益あって
国益なしという政治を許した事が、今日の日本丸の泥舟化に結果したの
だ。

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            最終章 終.2

 戦後政治を担っていた政治家のメンツ、その、過去、現在、そして未
来も俯瞰してみる。

 過去・・・「名士・民主政」

 かつての大地主、土建業界ボス、地域財閥のボス、地域医師会会長、
官僚などが議員になっていた。

 現在・・・「世襲・民主政」

 ジュニアが議員になる。なぜ自民党にジュニアが多いのかと言えば、
地元後援会という、利益誘導、既得権益護持と、集金集票のバーター装
置を最もスムーズに継承できるからだ。後援会の創業社長であるオヤジ
の代では代議士と後援会は主従関係といえる。しかしジュニアの代にな
り、主従関係が逆転。後援会は、自分達がジュニアを永田町に送り出し
てやっていると思うようになる。ゆえにジュニアはオヤジが創った後援
会の下僕となりがちだ。いずれにせよ、国政を担うにふさわしい人を選
出するという視点は皆無だ。

 未来・・・「哲人・民主政」

 最善かつ最賢なる者が議員になる。問題は、マスとマス・メディアと
の協働により有権者が有権者の中から哲人を選出できるかにかかってい
る。

「国益計算・民主政」そして「哲人・民主制」この実現が急務なのだ。

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            最終章 終.3

 ネイション・ステイトをリベラル・デモクラシーで統治する。統治の
中身は、哲人政治家からなる左右の二つの国民政党による二大政党制。

これこそが国家の政(まつりごと)の、一つの理想形であろう。

 我々の日本にはもうすでに、

ホップ   : 明治維新後、ネイション・ステイトを築き上げた。

ステップ : 戦後、棚からボタモチ的とはいえ、リベラル・デモクラシー
       を手に入れた。

ジャンプ : ならば後は、マスとマスメディアとの協働により、哲人政治
       家を選出し政界に送り込み続ける事さえできれば、国民の信
       頼を繋ぎ止められる二つの国民政党を作る事さえ出来たなら。

 これこそが日本再生の唯一の道だろう。
日本近代史、その一世紀半に渡る、
ホップ、ステップ、そして、ジャンプ。
それは完成をみるのであろうか。

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            最終章 終.4

 小沢一郎。

 私に言わせれば、彼は単なる「捨て石」「捨て駒」に過ぎない。しか
し小沢一郎のスゴみ、それは他でも無い小沢一郎彼自身が「自分は捨て
石に過ぎない」「自分は捨て駒に過ぎない。」と強く、そして深く自覚
している点なのである。小沢一郎や民主党を、
 「ホップ、ステップ、肉離れ」
と揶揄した者達がいる。しかしそれは小沢一郎のみの問題なのか。民主
党のみの問題なのか。断じてそれは違う。

明治維新以来の、一世紀半に渡る日本国の歩み、

ホップ  (ver.1)   : ネイション・ステイトの構築
ステップ (ver.2)  : リベラル・デモクラシーの確立
そして
ジャンプ (ver.3)  : 哲人民主政の実現

あるいは、戦後政治史における日本国の歩み、

ホップ  (ver.1)   : 名士・政治屋による利益誘導・民主政
ステップ (ver.2)  : 世襲・政治屋による既得権益・民主政
そして
ジャンプ (ver.3)  : 哲人・政治家による国益計算・民主政

 この明治維新以来と戦後日本の二重の道程において、「ホップ、ステッ
プ、ジャンプ」となるのか、それとも「ホップ、ステップ、肉離れ」となるのか。
それは過去と現在とそして未来を貫く、この我々日本国民全員の問題
なのだ。

 小沢一郎。

 彼は1993年の小沢政変以来、ステップからジャンプへの鍵であり続
けた。彼なくば日本はver.2のままに朽ち果てていただろう。言わば彼
は、日本政治がver.2からver.3へと脱皮するためのブリッジ役なのだ。
それこそが日本史の中で彼に与えられた歴史的使命=天命だ。彼に政
治屋(ポリティシャン)としての側面があるのは事実だろう。しかし
政治家(ステイツマン)としての側面を持つ事もまた事実なのだ。

 そう、彼は、ver.2.5の政治家なのだ。

 09年3月から続いた一連の小沢一郎問題において、激しい小沢一郎バッ
シングが巻き起こった。それは二つの文脈を背景にした攻撃だった。

 第一は、日本政治がver.2のままであって欲しい者達による攻撃だ。
既得権益護持に執着する自民党や官僚たちが、日本政治を前進させよう
とするver.2.5の“政治家”、小沢一郎を潰したいがゆえの攻撃だった。

 そして第二は、それとは反対に、日本政治のver.3への脱皮を望む者達
が、古い体質を残すver.2.5の“政治屋”、小沢一郎を嫌っての攻撃だった。

 しかしあの一件の中、小沢一郎を支持し続ける者たちがいた。彼らは
知っていた。ver.2からver.3への脱皮、それは一足ではいかない事を。
それを成すには、豪腕のブリッジ役がどうしても必要だという事を。
自民党的なるものをぶち壊し、新しい政治へとバトンを渡す。それは小
沢一郎の豪腕なしには不可能なのだ。それこそが小沢一郎に課せられた、
天命なのだと。

 「ホップ、ステップ、そして、ジャンプ」

その完成のための第一歩、それが09年0830の衆議院選挙であっ
たのだ。

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            最終章 終.5

 以下は私の夢想である。

 公明党の支え無しには政権運営もできず、創価学会の支えなしに選挙
も戦えない。もはや自力で立つ事さえ出来ない自民党。そんな耐用年数
のとうに過ぎた泥舟政党、自民党。創価学会・公明党はそんな自民党の
補完勢力になり下が事を直ちに止める。
      ↓
 民主党政権は誕生した。国民は覚悟を決めて今後4年間は、民主党に
日本丸の舵をまかせる。外国人地方参政権、人権擁護法などのあまりに
もイデオロジカルで国民世論を二分する論点はその4年間、棚上げフリー
ズする。早急に必要な政策ではないのだから、問題はないだろう。
      ↓
 野党になり下がった自民党は、そのまま消滅する。もしくは旧来の現
職優先、世襲優先といった公認の仕方を改心し、哲人候補を日本中から
探し出す。
      ↓
 民主党もまた、次ぎの選挙に備え哲人候補を日本中から探し出す。
      ↓
 哲人政治家、哲人候補者を政策的な立ち位置によって、左と右の二つ
の政党に別ける。
      ↓
 公明党は発展的解消をし「公明会(公明選挙会)」を立ち上げる。
      ↓
 左と右の二大政党により、賢にして善の政治が実現し、政治と国民と
の信頼の橋は回復される。そしてそれは未来の日本へとバトン・リレー
されてゆく。


 「公明選挙会」とは何か?

 公職選挙法・第1条には以下のように書いてある。

「この法律は、日本国憲法の精神に則り、衆議院議員、参議院議員並び
に地方公共団体の議会の議員及び長を公選する選挙制度を確立し、その
選挙が選挙人の自由に表明せる意思によつて【公明】且つ適正に行われ
ることを確保し、もつて民主政治の健全な発達を期することを目的とす
る。」

 この公職選挙法第1条の実現を目指すべくスローガン、それが「公明
選挙」であった。その後そのスローガンは「公明選挙」から「明るい選
挙」へと名を変えた。この「公明選挙」の名を現在に復活させるのだ。
もともと公明党は、自民党の金権腐敗に対する勢力として誕生したとい
う一面を持つのだから。

 確かに創価学会・公明党には「国立戒壇問題」「言論出版妨害事件」
などスキャンダラスな歴史があったのは事実だ。だがここでは創価学会・
公明党が戦後日本に果たしてきた、隠れた機能について述べたい。

 私は都市部に住む者だ。町並みの中を歩いていると、アバラ屋という
かボロ屋というか、トタンの波板で周囲を取り繕った家に出会う事がある。
周囲の家々とは不釣合いな貧しい家である。そういった家には大抵、古
くみすぼらしい様子とは不釣合いな真新しい大きなポスターが張ってあ
る。そのポスターは2種類に分けられる。日本共産党のポスター、もし
くは公明党のポスターである。

 子供、高齢者、病人、ケガ人、障害者、失業者、低所得者。それら弱者
は古今東西、極左の共産主義に吸引されがちである。しかしそれら弱者
の少なからずを創価学会は囲い込み、公明党支持に繋ぎ止める事により
政治的中道に留まらせる事に成功した。極左の共産党が膨張する事を防
いだのだ。公明党が存在していなかったら、弱者の多くは共産党支持に
回っていただろう。創価学会・公明党は日本の弱者層に共産主義という
アヘンがはびこるのを防ぐ、防共の防波堤の機能を果たした。

 戦後、あれだけ左翼思想が流行ったのに、とうとうそれが現実政治の
場において主流に成れなかったのには幾つかの理由がある。そのうちの
大きな理由を列挙してみる。

○日ソ不可侵条約違反へのいきどおり。
○ソ連によるシベリア抑留へのいきどおり。
○昭和天皇の存在
 (戦前戦中、天皇批判は完全なるタブーであった。そのタブーは戦後
  も継続し、昭和天皇を批判する事、ひいては天皇制を批判する事は
  タブーであり続けた。共産主義は天皇制解体を直接に連想させる。
  それゆえに、昭和天皇と天皇制をどこか戦前的に神聖視し、戦後的
  に親近感を覚える国民大多数のそんな心情は、共産主義の防波堤と
  して強力に機能した。)
○浅間山荘事件、連合赤軍などで、共産主義者の、その独善にして野蛮
 極まりない醜悪さを目撃した事。
○日本共産党に独善、頑迷な政治姿勢。
○創価学会・公明党が、放っておけば共産主義という極左に流れたであ
 ろう弱者層を政治的中道に留まらせた。

これらが主要な理由であろう。

 ソ連が解体した現在と未来においても、共産主義という幽霊がゾンビ
のように復活しないとは限らない。資本主義暴走による混乱や格差問題
に対する民衆の苦しみが増大すればするほど、その危険性もまた増大す
る。「蟹工船」のヒットはそれを暗示している。ならば共産主義という
幽霊の復活を防ぐために、共産主義は全体主義の一種であり、共産主義
者は全体主義者なのだという当たり前の真実をより広く、国民に周知徹
底させる必要がある。

 しかし、1991年のソ連解体を受けての日本社会党の解体、そして
日本共産党の議席の大幅減と斜陽化が目に見えて明らかになった現状、
創価学会・公明党には防共の防波堤以外の重要な機能を担って欲しい。
それが公明党の発展的解党と「公明選挙会」の結成だ。

 1993年の小沢政変を受け、1994年公明党は発展的解党をした。
私はあの時の新鮮な驚きを今でも覚えている。その驚きは以下のような
ものだった。

 「公明党って、状況によっては、解党できるんだ。」

公明党は状況によっては発展的解党が出来る。この事実こそが、日本を
希望ある未来へのと導く、その突破の鍵になる。創価学会・公明党の、
これから数年間の振る舞いこそがその鍵なのだ。


 創価学会・公明党は、公明党を発展的解党し、政党活動から身を引く。
そして選挙活動へと活動の場を移す。その活動は以下の様なものだ。

○創価学会員の家の外壁に張られた公明党のポスターに変わり、新たな
 る二大政党のポスターを左右に並べて張る。

○今までのF票(フレンド票)集めのための訪問や電話による運動は、
 二大政党の政策を周知させるための、そして投票率を上げるための運
 動へと脱皮する。

○高齢者や障害者を車に乗せ、投票所送迎し公明党への投票を依頼する
 という今までの活動は、ただただ高齢者、障害者を投票所へと送迎す
 るボランティアへと脱皮する。

○創価学会員が、左党や右党いずれかへの支持感情を持つ事は当然なの
 だが、公明選挙会として運動している最中は不偏不党を貫く。

○今までの選挙において彼らは、公明党の獲得票数、獲得議席数を功徳
 としていたが、二大政党制実現のおりには、左右二大政党の政策の周
 知率、ポスター張り数、そして投票率を功徳の指標とする。

○日本に共産全体主義や国家全体主義といった極左、極右が台頭しそう
 な危機が訪れたら、「戦う民主主義」を掲げ立ち上がり、戦い抜く。

 上記のような創価学会・公明党の発展的改革、これは日本の希望ある
未来への鍵でありかけ橋となるだろう。しかし果たしてこの私の夢想は
実現可能なのか。ある人の「鶴の一声」さえあれば可能に思う。ある人
とは、そう、池田大作氏、その人である。彼の一言さへあれば、創価学
会員はこの実現へ向けて前進しえるのではないか。

 創価学会、立正佼成会、日本キリスト教団、カトリック教会、神社本
庁。あるいは宗教とは関係の無いさまざまなボランティア組織やNGO。
そしてマスとマスメディア。もし彼らによる「あるべき選挙への、協働」
が起動できれば、その先にこそ、日本に未来は訪れ、新たなる希望が再
生する。

 この長文の最後に、もう一人の重要人物の「鶴の一声」を熱望したい。
もう一人とは、読売新聞朱筆、ナベツネ氏である。

 池田大作氏には、

「全学会員に告ぐ。比例は公明党、選挙区は民主党へ投票せよ。」

と「鶴の一声」を発して欲しい。

 ナベツネ氏には、自分の影響下にある全メディアを使って、政界再編、
そして哲人民主制、二大政党制の実現へ向かっての追い風を吹かせて欲
しい。泥舟政党・自民党が将来再生したにしても、政策的な寄り合い所
帯である事には変わりは無いのだ。自民党は政策結社ではなく政権結社
に過ぎなかったのだから。しかし本来政党とは政策結社であるべきだ。
さもないと政策による求心力が働かず、無様な離合集散を繰り返しか
ねない。つまり自民党は壊れなければならないのだ。

 ナベツネ氏は自民・民主大連立政権派だった。そのねらいは憲法改定
なのだろう。私とて一日でも早く改憲しなければ日本が危ういと思って
いる。ゆえにナベツネ氏の改憲志向は理解できる。しかし大連立はいた
だけない。ドイツやオーストリアを見れば明らかだが、二大政党が大連
立政権を組んだ後、政権批判票が極右政党へと票流してその台頭を許し
てしまった。日本で自民・民主の大連立政権が誕生したら、政権批判票
はどこへ票流するのだろうか。考えただけでもおぞましい。

 いずれにせよ、大衆への影響力をもった人たちの協働、これなしには、
もはや日本に未来は、無いのである。


『民間武装解除され、ナショナリズム統合されたネイション・ステイト
を、リベラル・デモクラシーで統治する。』

『議会は、二大政党による哲人民主政。』

『その実現のための、政治、及び、政経報道の整体。』

これがこの整体の書からの、メッセージである。
 ・
 ・
 ・
 ・
『哲人・民主政』
『国益計算・民主政』
『族益あって国益なし。』
『小沢一郎とは、政治家ver.2.5の政治家である。』

 これら幾つかののキーワードが流行語大賞に選出されるようにでも
なれば、そのような流れがこの日本に起きれば、日本はよい方向へと
変われる。1億2700万人の住まう日本を救う事が出来るのは、そして
地球人類を救う事が出来るのは、

   『求道のエクスパートたちの、協働』

我々に残された道は、もはやそれしか無い。
もう、残された時間は、無いのだ。

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最後に復習として、日本政治をver.3へと導く工程表をもう一度記す。
 
 第一章 【第一次改憲(9章改憲)】
自民党、公明党、民主党の協力により憲法第9“章”を改憲し、改憲ハ
ードルを以下のようにさげる。
衆議院2/3 → 参議院1/2 → 国民投票1/2


 第二章 【第二次改憲(56、59条改憲)】
参議院の権能を縮小する改憲をする。立法ハードルを
衆議院1/2 → 参議院1/3
とし、これにより衆参のネジレによる政局のフリーズを防ぐ。


 第三章 【第三次改憲(9条改憲)】
9条を以下のように改憲する。
①日本国は、個別的自衛権を持ち、行使できる。
②日本国は、集団的自衛権を持つが、行使できない。
⑤日本国政府は、個別的自衛権行使のための最低限の陸海空軍その他の
 戦力を所有できる。


 第四章 【哲人政治家によって構成される二つの国民政党の結成、
                民主政のもと、二大政党制の実現】
賢において上位0.1%、かつ、善において上位1%の者を「哲人」とし、
そんな哲人政治家による二つの国民政党による二大政党制を実現する。
左右の対立軸は、政治、経済、軍事の3つである。この内の政治軸、経済軸を、
『Xマップ』で表す。

政治 : 人権 ⇔ 国権
経済 : ビジネス規制、国民負担率

  個人(人権)    リバタリアニズム  市場による調整と分配
                           (ネオ・リベラリズム)
         \                /
           ③      ②     ①
             \        /
               \    /
   【左】     ④     \/     ⑧       【右】
   リベラル         /\        ネオ・コンサヴァティヴ
               /    \
             /        \
           ⑤      ⑥     ⑦
         /                 \
 政府、中央銀行に   国家社会主義     国家(国権)
よる再調整と再分配

 次に軍事における対立軸を示す。

軍事 : 個別的自衛権、集団安全保障、集団的自衛権

             日本領域内 公海上 他国領域内
個別的自衛権行使   ハト派  |    |
国連軍事活動参加   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄     |
集団的自衛権行使   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄   タカ派


 第五章 【第四次改憲(9条再改憲)】
国連軍事活動参加、集団的自衛権行使の、一部あるいは全面解除。


 最終章  【過去・現在・未来】
「哲人・民主政」、「国益計算・民主政」を時代のキーワードに。
公明党は選挙ボランティアの「公明会」へ。
創価学会、立正佼成会、日本キリスト教団、カトリック教会、神社本庁、
ボランティア団体、NGOなどによる「左右2枚のポスター運動」。


            <終わり>


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