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固い話で恐縮ですが、ノーベル賞候補の故宇沢博士の地域自給圏の確立論

2017-07-29 10:50:17 | 日記
ノーベル賞候補の故宇沢博士の地域自給圏の確立論。

いまから考えると市場原理主義的な考え方が基調としてあった。

一九六一年の農業基本法は、農業、とりわけ水田耕作に、アメリカで當時流行していた耕作形態を取り入れようとするものだった。

農水省が中心になって、水田や畑を大規模化するための整備事業とか、農協経由で大型の機械の導入を進めるわけですが、農家にとっては約二五パーセントの自己負担が非常な重荷で、結局、かなりのパーセンテージの農家がやっていけなくなる。

農業以外の収入が半分を超える第二種兼業農家が増えることを農林省は進歩と言い、同時に、中学卒業生を集団就職として大量に工場に連れていく。

そうして農村の社会的、經濟的、文化的な基盤を完全に壊してしまったわけです。

東畑精一先生はこう言われた。「審議会の会長として自分が中心になってつくった農業基本法が日本の農村、農家を徹底的に壊してしまった。それを自分が見通すことができなかった。自分には今後、農政について語る資格はない」と。

明治時代になって西洋農法が入ることで次から次へと追われていった「老農」、水田耕作では一番大切な社会的共通資本として次の世代に伝えるべき「ため池」が壊されてダム利水 ーため池を中心にすると村が自立できるのですが、ダムをつくることになると完全に官僚的な管理になってしまうー に変えられていくこと、入会(いりあい)という形でコモンズとして守られてきた山が入会の禁止とともに分割、個人所有にされたこと、それらが日本の農村の至るところで悲劇を生み出し、農村の崩壊につながっていったのです。

そして、農地の大規模集約化というヘミングウェイの怒りの葡萄のような、小作農のホーボー集団といった悲惨な歴史を、なぞるのが日本の農業政策です。
この政策と異なる地域自給圏の構築が宇沢理論です。着々と推し進められる日本の農政に対して、実証により日本の進むべき進路を主張するのが、地産地消運動です。

宇沢弘文・内橋克人「始まっている未来 新しい経済學は可能か」第一回 市場原理主義というゴスペル(岩波書店、2009年10月第一刷、2015年2月第12刷)

【wikipedia】東畑精一; 主著『日本農業の展開過程』では、師であるシュンペーターの理論を援用し、日本の農民の大半は企業者精神を欠如した「単なる業主」であり日本農業を動かす「経済主体」とはなり得ないと論じた。この考えは戦後の農地改革を経ても変わらず、『日本資本主義の形成者』では多くの農民が改革によって自作農になったにも関わらず零細経営のため新しい農業を形成する主体にはなりえていないとしている。


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1 コメント

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マルテンサイト千年グローバル (サムライ鉄の道)
2024-09-06 09:13:04
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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