saddamさんの農作業日記を記録したいと思います

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南海地震の記憶・・・

2018-02-10 | 日記

 

    ***近いうちに・・・・***

8時起床、天気は晴れ。休日の朝はゆっくりできる(^^♪。

朝食はカレーライス、白菜・ニンジンのサラダ。

 

30年確率、70~80%に=南海トラフ地震-政府調査委

政府の地震調査委員会は9日、海溝型地震などの長期評価について、発生確率の基準日を昨年1月1日から今年1月1日に更新したと発表した。南海トラフでマグニチュード(M)8~9級の大地震が今後30年以内に起きる確率は70%程度から70~80%となった。この確率は想定する地震が起きない限り毎年約1%ずつ上昇する計算だが、誤差を考慮し、四捨五入した大まかな数字で示しているため、今回は見かけ上、大きな上昇となった。千島海溝沿いでは、根室沖でM7.8~8.5程度の地震が30年以内に起きる確率は、「70%程度」から「80%程度」とされた。 

 平田直委員長は記者会見で「次の地震が少しずつ近づいており、備えてほしい」と話した。(了)

さだむさんの存命中に大地震が来るのかなぁ。さだむさん幼少のころ(1943年11月生まれ当時3歳)母親に背負われて和歌山の田舎の目津の浜に津波の引き潮を見に行った記憶がある・・・沖合500m先の九龍島(くろしま)の磯が広くなっている光景が今でも脳裏に浮かぶ。本当に見たのか後から話を聞いたのを覚えているのか定かではないが・・・津波は記憶がないなぁ。

昭和南海地震(しょうわなんかいじしん)は、1946年昭和21年)12月21日午前4時19分過ぎに潮岬南方沖(南海トラフ沿いの領域)78 km(北緯32度56.1分、東経135度50.9分)、深さ 24 kmを震源としたM8.0(Mw8.4)の地震である。1946年南海地震とも呼ばれ、単に南海地震といえばこの地震を指すことも多い[1]。南西日本一帯では地震動、津波による甚大な被害が発生した。

 この領域では周期的に大地震(詳細は南海地震参照)が発生しており、前回の南海地震である安政南海地震から92年ぶりでの発生となった。また、この地震の2年前である1944年(昭和19年)12月7日には昭和東南海地震も起きている。その地震後に今村明恒は「宝永地震安政東海南海地震は東海・南海の両道に跨って発生したものであるが、今回の地震は東海道方面の活動のみに止まっており、今後、南海道方面の活動にも注視するべきである」と指摘していたが、当時これに耳を傾けるものはいなかった[2][3]1940年代半ばの日本ではこの他にも1943年(昭和18年)の鳥取地震1945年(昭和20年)の三河地震といったいずれも死者数1000人以上を出している大きな地震が相次いでおり、これらの地震は太平洋戦争終戦前後における「4大地震」ともされる。Wikipedia

13時、上座熊野神社御神輿保存会総会に行く。21名参加。新年会も兼ねている。副会長挨拶のあと乾杯して懇親会に入る。会長が遅れて参加。再度挨拶があり、さだむさんは会計担当なので昨年度の会計報告をして監査から承認を得られ皆さんにご承認いただく。今年度の新役員を選出する。若い人が会長を引き受けてくれた。15時中締め、3人誘ってさだむ邸でマージャンをする。半チャン4回をゲームして、18時20分お開き。少し休憩して20時夜間パトロール行く。雨が降ってきたので中止になった(^^♪。


NY株が乱高下している。どちらに行くのだろう・・・・(さだむさん) 

 

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さだむ農園0210