■2002年 日本 128分
■2007.6.30 DVD
■監督 小泉堯史
■出演
寺尾聰(上田孝夫) 樋口可南子(上田美智子)
田村高廣(幸田重長) 香川京子(幸田ヨネ)
井川比佐志(助役-小百合の父)
吉岡秀隆(中村医師) 小西真奈美(小百合)
北林谷栄(おうめ)
《story》
「いつの間にか、遠くを見ることを忘れていました。」
夫の故郷である信州に移り住む夫婦。妻の美智子は、大学病院で働く有能な医師だった。しかし、パニック障害となり、現場から離れていた。夫の孝夫は、かつて新人賞を受賞したことがあるがそれ以来売れない作家。二人は、96才のおうめおばあさんを阿弥陀堂に訪ねる。そこでは目に障害のある小百合という少女が、おうめおばあさんから聞いた話を「阿弥陀堂だより」という地域の機関誌のコラムを書いていた。おうめさんの生き方が伝わってくる。その小百合が倒れた。孝夫は小百合を看病しつつ、そのコラムの代筆をすることにした。
孝夫の恩師である幸田はがんに犯されていた。しかし、日々を家で過ごし落ち着いた生活を送っていた。妻の美智子は、村の診療所の医師として働く。二人は、自然に囲まれた村の人々との触れ合いの中で、人々の温かさを感じ、生きることをあらためて見つめる。
のんびりとした時間の流れ
どうして自然の中で生きることに輝きがあるのか。緑という色彩が、人間にとってやすらぎを与えてくれる。だから、人間はちょうとしたところ草花を植える。家の中にも植物を持ち込む。緑があるだけで、片隅でも視界に入るだけでちがってくる。
山や木や葉、川、大地は、空とよく似合う。都会にビルの谷間からのぞく空は遠い。そして、空に近づこうともがく。歩く。走る。動く。慌ただしく移動する。しかし、自然の中の空を見ていると、動かなくてもいいと思える。そばに空がある。だから、のんびりしているし、動かなくていいからjかんがゆっくり流れる。
都会では大事に思えて心を押しつぶしていたことが、ここではどうでもいいことに思えてしまう。この阿弥陀堂だよりは、氾濫する情報の中で、ゆっくりのんびり流れる落ち着いたあたたかなたより。悩みやストレスをいっぱい抱えて、今にも死んでしまいそうな生き方をしてしまう人間も、きっとこんなたよりを目にしたとき、時間の流れがゆるやかになって、止まりたいときに止まって、休みたいときに休んで、歩きたいときに歩くことができる。
公式サイト「阿弥陀堂だより」
忘れると言うこと 2007.7.7
忘れると言うこと、覚えていないということ、寂しくてつらい。自分の頭はどうなっているのだろうと腹も立ってくる。人の顔も名前も思い出せない。いつもの雰囲気だけは、どこかで出会ったことがあるはずだと言っているけど、思い出せない。自分は記憶障害ではないかといつも思う。昨日であった人がどんな髪型をしていたかわからない。どんな柄のネクタイをしていたか、女性だったらスカートだったかズボンだったか。どんな話をしたかなんてさっぱりダメ。インプットされる過程に問題がある。いつも意識が朦朧としているのだ。頭の中で写真のように焼き付ける技はない。だったら、意識の中で言葉にして格納する習慣がついていないのだ。「髪はショート、前髪はそろえている、Tシャツで色は黄緑」接しながらも言葉で意識するしかないと思っている。でもなかなかできない。頭はいつもぼーっとしているのだ。目が痛い。身体がかゆい。頭痛がする。・・・・など、意識を散乱させる材料がいっぱいある。でも、必要だ。これからますます忘れる、覚えられないことが増える。自分の年も、勤務年数も、居住年数も、携帯の番号も言えない。意識の中で言葉を繰り返せ。
『ど忘れ万六』 藤沢周平 新潮文庫 【BOOK】 2007.6.30
さまざまな人間がいる。でも、「ど忘れ」は年を感じさせる悲しいさがり。ほのぼとしているようで、実は本人はつらい。思い出せないことほどストレスがたまることはない。まあ、自分の子どもの名前が言えなくなったら、悲しいどころではないが。確かに年を重ねるごとにひどくなっていく。ついさっき読んだ本の主人公の名前が出てこない。
万六もまた剣の達人であった。さまざまな人間がいるけど、こうした武士として一芸が窮地を救う。しかも、それをひけらかすわけでなく、地道に鍛え求めてきた技だからこそ、いざというときに役に立つ。万六の、一喝したあとの嫁との食事風景が物語る。やってやったのにという押しつけがないところが、またいつもの日常にもどったことが一番の幸せなんだと語っている。