ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

アブヤーッ    ラフ族の村で感じたこと

2010年10月06日 04時35分47秒 | チェンマイ
ガイドのペックさん。
山岳民族の村のことをとても考えている人だった。
私たちに喜んでもらおうと一生懸命で、自宅の庭に招待し、
ランブータンをこんなにたくさんプレゼントしてくれた。


木になっているランブータンを見たのは初めて。
もぎたてのランブータンは、固くて、みずみずしくて、とんでもなくおいしかった。
     








おばあちゃんは、昨日、虫に手を刺されて、手がぶっくりと腫れてしまった。
痛くて手がうまく曲がらない。

 

医者に行ったらいいのだけど、行くお金がないという。
もう一人の隊員が、塗り薬を塗ってあげた。
すると、少し良くなった、痛くなくなってきたようだと、喜んでくれた。
腫れた手のおばあちゃんをどうにかしてあげたくて、
何かしてあげたくて、その隊員が薬の瓶ごとおばあちゃんの手に握らせ
「ポム ハイ カップ」(あげます)
と言った。
おばあちゃんは
「アブヤー アブヤー」(この民族の言葉で『ありがとう』)
と手を合わせて何度も繰り返していた。




鳥を撃ちに行くおじいちゃん。パチンコを片手に、ポーズが決まってる。
かわいらじいおじいちゃんだった。
おじいちゃんが着ているこれまたかわいいスヌーピーの服は、日本人からもらったものだそう。



ガイドのペックさんが言う。
 「この村にはお金がない。 
  自給自足をしているけど、お金もいる。現金がいる。
  だけど、とても貧しい。 みんな貧しいの。
  かわいそうでしょう? 
  だから、服とか、ぜひあげて。
  タンブンだね。」
   ※タンブン=仏教の考え。徳を積むということ。


 タイの協力隊員で、やはり少数民族のミャンマーからの難民、カレン族難民に古着を送る支援を継続してやってる。
 古着をあげる、ということに、私は若干抵抗があるのだけど、
 それが本当に求められていることならば、そして私たちが力になれる立場にあるなら、出来ることをしたいと思う。


だけど、本当に求められているのかを確かめないといけない。
一番大事なのは、望んでいるかどうか。
やってる側の自己満足で終わるのだけは、絶対に良くない。
じゃあ、この村では、本当に古着の支援を望んでいるのか。



ガイドのペックさんが「かわいそうでしょう」「タンブンです」といった言葉がずっとひっかかっている。
タンブンは、タイではよく聞く言葉で、人に対していいことをしてあげて
自分の徳を積み、来世はさらにいいものに生まれ変わろうとする考え方。
このタンブン。
弱いものに憐れみを施すことが自分を高めるという考え方も、
いいものに生まれ変わりたいという考えも、打算的に思えて
私はあまり好きじゃない。


でも、タイ文化には、いたるところで「タンブン」の考え方が映し出されている。

道に座り込む物乞いに、お金を恵むのもタンブン。
恵まれない子どもたちに、プレゼントを届けるのもタンブン。
障害のある人たちに、優しく接するのもタンブン。
どれも、上から目線がビシビシ感じられて、
そうしているときのタイ人は、
「どう?優しいでしょう?私。」という自己満足感が大放出されてる感じがする。

自分のため、来世のため。 
裏が見え見えの強欲な打算的な優しさ。
だから、この村に何かをすることが タンブンである というならば 私はいやだ。



もう一つ、
「かわいそう」と同情するのは、この自給自足の生活をし、この山で長いこと生きているこの人達に対して失礼なことだと思う。
現金は確かに持たなくても、それが「かわいそう」なのかな。
子どもも大人も 土で汚れた服を着てる。
だけど、それが「かわいそう」なのかな。
山岳民族である彼らは、この涼しい気候で暮らし、下界の人ほど汗はかかない。
地理的にも水が貴重であるだろうから、洗濯を毎日するような習慣はないと思う。
そしてこの山は赤土。 ちょっと歩いても、座っても、赤土がつく。 
だから、みんなの服は土で汚れている、でも、きっとそれは「かわいそう」なことではなくて、ここでごく自然なことだと思う。
日本だって昔から、今のように洗濯、洗濯して、汚れ一つない服を着ていたわけではないはずだし。


他からやって来た人間、特に日本人などからしてみたら
彼らの服は汚れていて、「かわいそう」に見えるかもしれないけれど
私は、「かわいそう」なことは何もないと思う。


野菜を育て、鳥を飼い、豚を飼い、自給自足の生活。
山を駆け回り、健康であり、食べものをおいしく食べる。
家族を大事にし、子どもも大人も働き、家の仕事をするのが自然。
長い間の自分たちの暮らし方を大事にし、誇りを持っている。

    

泥がついた服を着ている。
電気はない、山の上の暮らし。
現金をほとんど持たない。
これは 誰の尺度で 「かわいそう」だったり「貧しい」ことであったりするんだろう。

     


もう半年で任期を終える ある隊員が 私にこんなことを言ったことがある。
「豊かさってなんだろうと、考えた。
 俺はその答えをもう見つけた。
 時間はある。考える時間はたっぷりある。
 自分なりの答えを見つけるといい。」

この2年間の中で、私なりの答えを見つけてみようと思った「豊かさ」
村にいる間も、ずっと考えてた。

外の人間から見れば 足るを知る生活をしているように見える彼ら。
不必要に笑わないけれど、だからこそ 笑った時はその笑顔が本物の彼ら。
  


私なりの、「豊かさ」の答え、
そのヒントをたくさんもらった気がする。

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2010-10-09 14:31:40
さちえさん~

お久しぶりです。出国前に麗佳がお世話になりました。m(__)m

毎日、ブログ楽しみにしていますよ。(^^)
違う環境で大変でしょうが、体に気を付て・・今回の内容はさちえさんに同感です。
返信する
こんにちは (さちえ)
2010-10-09 22:26:07
こちらこそ、出国前はれいかちゃんがわざわざ家に来てくれて
訓練所を出たさびしさも紛れて、
二人でとても楽しかったです。

れいかちゃんも、今は遠く ヨルダンの地にいますが、
今も、ちょくちょくと話をして助けてもらっています。
これからも、きっとお世話になります。
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