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chloe's diary

日々雑感。小説、映画などに触れているときは、例外なくネタをばらしておりますので、ご注意ください。

『ロバート・アルドリッチ大全』(国書刊行会/二〇一二年十二月刊/宮本高晴・訳)

2013年05月03日 | 本一般
 本書の「訳者あとがき」には、こうあります。 P.555  本書では「生涯と仕事」に次いで「全作品」を配して中心に据え、作品論にあたる「作品世界」をそのあとにつづけたが、原著では順序が逆、「生涯と仕事」のあとに「作品世界」そして「全作品」とつづいていた。本書の「全作品」では【...】それぞれの作品に桑野仁氏による日本版解説を付し、読者の便宜を図った。【...】  この順番の入れ替えによって、原 . . . 本文を読む

別役実『やってきたゴドー』

2010年11月20日 | 本一般
別役実『やってきたゴドー』(論創社/二〇一〇年九月刊)  劇作家としての長いキャリアを通じてサミュエル・ベケットと向き合い続けてきた別役実氏。その最新戯曲集の表題作が「やってきたゴドー」となると、読まないわけにはまいりません。 『やってきたゴドー』(以下、『やってきた』と略します)もベケットの『ゴドーを待ちながら』(以下、『待ちながら』と略します)と同じように、片足だけに靴を履いたエストラ . . . 本文を読む

twitterを始めました

2010年01月24日 | その他
 twitterを始めました。  http://twitter.com/s_chloe . . . 本文を読む

『ブッダが考えたこと』(その6)

2009年10月11日 | 受動意識論
■その後のゴータマP.63【...】度し難いヒューマニズム(人間中心主義)に染まって「人間ブッダ」を思い描く人々はこういいたがる。すなわち、ゴータマ・ブッダも、われわれ凡夫と本質的に変わりのない「人間」であったから、成道の後にも、思わず知らず湧いてくるおのれの煩悩【...】と格闘しつづけたのだ、と。そしてその証拠に、ゴータマ・ブッダは般涅槃にいたるまで瞑想による修行をやめることはなかった、と。 . . . 本文を読む

『ブッダが考えたこと』(その5)

2009年10月10日 | 受動意識論
■「非我」と「無我」P.177-178『マハーヴァッガ』によれば、初転法輪において、五比丘を相手にゴータマ・ブッダは、まず苦楽中道を、そして四聖諦を説いた。【...】その直後、ゴータマ・ブッダは、無常観を補完するものとして五蘊非我の教えを説いた。これによって五比丘はすべてを知り、最終的な平安にいたった。 五蘊というのは、われわれがふだん「自己」だと見なしがちなみずからの人格的個体を、五つの集まりに . . . 本文を読む

『ブッダが考えたこと』(その4)

2009年10月09日 | 受動意識論
■「徹底的に思考する瞑想」の意味するもの 私の物語では、輪廻という回転運動を止める方法は死ぬことだという見解に至ったゴータマはここで困ったことになります。 そもそも輪廻とは、死んではこの世に再生するということの繰り返しです。それなのに、その輪廻から解脱する方法が死ぬことだというのは矛盾していないでしょうか。宮元氏のおっしゃるような「無明をはっきりと自覚すること」で、世界における死のモードが変化する . . . 本文を読む

『ブッダが考えたこと』(その3)

2009年10月08日 | 受動意識論
■ゴータマの修行時代P.44-46 【出家となったゴータマが】最初に訪れたのは、【...】アーラーラ・カーマーラ仙人のもとであった。【...】【...】アーラーラ・カーマーラ仙人が、これによって解脱にいたることができるとしたのが、無所有処[むしょうしょ]を最高の境地とする瞑想であった。 のちの仏教では、無所有処定は、四無色定[しむしきじょう]の第三番目とされ【...】る。【...】 おそらく【.. . . . 本文を読む

『ブッダが考えたこと』(その2)

2009年10月07日 | 受動意識論
■輪廻思想の奇妙な変化 宮元氏は輪廻‐解脱という考え方が形作られた経緯を次のように粗描されています。 P.136-137 ごく初期のヴェーダの宗教では、人間はみな、死ぬと死者の国に赴き、そこで永遠に生きると考えられた。【...】 そのころ考えられていた死者の国は、【...】理想の楽園であった。【...】 そのころのアーリヤ人たちには厭世主義はなく、【...】現世(この世)は楽しい、そして、あの世 . . . 本文を読む

『ブッダが考えたこと』(その1)

2009年10月06日 | 受動意識論
■ゴータマが考えたこと 前野隆司先生の『脳はなぜ「心」を作ったのか』(筑摩書房/二〇〇四年十一月刊)を読んで以来、受動意識論者になった私は、その後、秋月龍師の『誤解された仏教』(講談社学術文庫/二〇〇六年九月刊)の、 P.48 仏教は確かに「輪廻」転生の説を前提として説かれてきた。【...】だからといって、輪廻説は仏教説であるとはいえない。【...】古代のインド人は輪廻を事実として信じて疑わな . . . 本文を読む

『マディソン郡の橋』

2009年09月21日 | 映画
 翻訳が出版されてまもなく、どういう気の迷いか読んでしまい、その卑しい欺瞞に満ちた言葉の洪水に吐き気さえ覚えた、大っ嫌いな小説『マディソン郡の橋』がクリント・イーストウッド監督によって映画化されてしまったことは、私にとってまったく信じがたい事態でした。 その製作会社がアンブリンとマルパソであったことから、これはイーストウッド監督の才能に嫉妬したスティーヴン・スピールバーグ氏が仕組んだ陰謀ではないか . . . 本文を読む