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食糧援助25万トン≒厚絹 ?

2005年02月12日 23時08分30秒 | 国際政治
先日、巨大掲示板2chで「小泉総理:食糧25万トン:北朝鮮&WFP ≒ 管仲:厚絹:魯梁」との書き込みを見つけました。(→小泉総理は運が強すぎる まとめページ小泉総理は運が強すぎる ▲94▲
この「管仲:厚絹:魯梁」とは、管仲の言動を集めた『管子』の中の有名な言葉、『取ろうとするなら、まず与えよ。これが政治の要諦である』の象徴としてよく取り上げられる事柄を指したものでしょう。

今から2500年以上も前の中国春秋時代、大国の一つ斉の君主である桓公が隣の小国「魯梁」を攻略しようと宰相の「管仲」に策を尋ねました。
しかし戦争をすれば斉にも被害が出るかも知れないし、軍隊を動かせばその隙に他国に攻められるかも知れません。
そこで管仲は魯梁の特産品である「厚絹」を利用する事を考え「桓公自ら厚絹をまとい、人民にも厚絹を着用するようにする事。全ての厚絹は全て魯梁から輸入する事。」を進言します。

その上で管仲は魯梁の商人に「斉の国では今後君主も人民も厚絹を着用するので、用意して欲しい。値段は高くても急いで集めて貰いたい。」と発注。
魯梁では斉との貿易が非常に儲かるので厚絹を増産し、一年二年経つ頃には魯梁の経済は厚絹で成り立つようになっていました。

それを確認した管仲は斉での厚絹着用を禁止し、薄絹を着る布告を出します。
すると厚絹中心の経済に移行していた魯梁では厚絹の在庫が溢れ、食料生産を疎かにしていた為に食料の値段が高騰し、経済が破綻してしまいました。
そうして厚絹禁止の布告が出されてから半年で魯梁の半分は斉に服従する事となり、二年後には魯梁の国君自身が斉への投降と併合を申し出ました。


管仲は初めから魯梁を服従させる為に厚絹貿易を拡大させましたが、日本政府・小泉総理がどのような意図で北朝鮮への食糧援助を決定し今現在になって食糧援助を凍結しているのか、私には判りません。
しかし日本からの食糧援助を見込んで北朝鮮では食糧不足に対しての“安心感”が出たように思えますし、「先軍政治」に拍車が掛かったようにも見えます。
WFPも北朝鮮向けの食糧援助に関しては日本の25万トンを見込んで、他の国への援助要請を控えたようでした。

小泉総理は記者会見や答弁で中国の故事・名言等をよく引用しています。
しかし2004年5月22日に平壌で食糧援助を決定した小泉首相の頭の中に「厚絹」の事があったのか否か、私には判りません。

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