にわか日ハムファンのブログ記念館

2004年8月から2014年6月にかけて更新してきた当ブログを静態保存しております。

当ブログは北京五輪を無視します

2008-04-14 17:15:01 | ごあいさつとお知らせ
 北京五輪が揺れています。聖火リレーが混乱をきたしています。その背景は、間違いなく政治的なものです。
 「オリンピックは純粋なスポーツの祭典だ」「政治がスポーツに絡むべきではない」。そんなお題目が、北京五輪に賛成する者、反対する者、双方の側から繰り返されています。
 ある者はこの言葉を使い、中国に五輪を開催する資格なしとします。またある者はこの言葉を盾に、北京五輪への抗議を糾弾します。
 私自身は、どちらの議論に加わる気もありません。1936年のベルリン、1980年のモスクワ、1984年のロサンゼルス……これらの例がこう問うてくるからです。「政治が絡まない五輪などあるのか?」と。
 さらに、五輪はいまや世界最大のビジネスの1つです。
 われわれの周りにあふれる北京五輪に絡んだ広告や報道は、そのことを雄弁に語っています。そして、ビジネスの絡まない五輪もまた、財政上あり得ないことは容易に理解できるはずです。
 政治とビジネス、そしてスポーツの三位一体。それを思えば、北京が五輪にふさわしいかどうかなどという疑問はまるで意味を失います。
 むしろ、五輪には北京がお似合い、というぐらいが、真実に近いような気がしてなりません。
 五輪とはそういうものなのです。スポーツの祭典という言葉が生み出す幻想は、所詮は幻想でしかありません。
 とはいえ、五輪がわれわれに対して与える影響は計り知れません。
 代表には誰が選ばれるのか、あの選手は出場できるのか、この競技ではメダルが取れるのか……北京に限らず、こんな話題を経験したことのない人は、われわれの社会ではまずいないでしょう。
 だからこそ、政治やビジネスが、五輪に食指を伸ばすのです。無邪気に盛り上がるわれわれの意識や懐に働きかけるために。
 「お前は『五輪などやめてしまえ』と言いたいのか!?」 それは違います。政治やビジネスがスポーツを使うから、われわれがさまざまなスポーツを見る喜びを得られる、という面があるからです。
 ことは五輪に限りません。プロ野球だって、さまざまなスポンサーや命名権の購入者がいてこそ成り立っているのです。他のスポーツでも同様でしょう。
 これらのことを認めたとして、ただ、われわれがどうしても気をつけなければならないことがあります。
 それは、スポーツを使う側にいる政治やビジネスがどのようなものか、ということです。
 こと、北京五輪に関しては。

 メディア等を少しでも見たことのある人なら、チベットで起きている事態について、全く知らないという人はいないでしょう。
 その知識がどういうものかは、ここでは一切問いません。チベット寄りか、中国政府寄りか、ここでは全くどうでもいいことです。
 大事なことは、真っ当な大人なら、今チベットで起きていることについて見聞きした経験がないことなどあり得ない、ということです。
 そして、そのことは、野球選手、あるいは他のあらゆる競技の選手にも当てはまるはずです。彼らが社会人として生活しているのであれば。
 では、ほかならぬ開催国で発生し、他国では少なからぬ関心を寄せている事態について、今、彼らの口からどのような声が聞こえているのか。

 ……無。その背後はどうあれ、虚しいほど何も聞こえてはきません。

 私は何も、彼らに五輪に出るなと言いたいわけじゃない。彼らが出たくないなら支持はしますが、出るなと言う気は全くありません。
 ただ、今起きていることについて、何も思わないのか? 何も感じないのか? 思いたくも感じたくもないのか?
 「スポーツと政治は別」。すでに書いたように、私からすればただの空論ですが、それでも結構。1つの思想信条として、彼らには堂々と主張する権利があり、その権利は決して奪われてはならないからです。
 しかし、その声すら聞こえてこない。4年に1度、規模だけは馬鹿でかいルーティーンワークとして出される、無色透明のコメントしか聞こえてこない。
 あるいは、聞き出すべき者、メディアが聞き出さないのかも知れない。しかし、彼らの多くはいまや自分の情報発信源を持っている。
 サイト、ブログ……メディアによらずとも、いや、よらないからこそ、自分の声をわれわれに伝えることができる武器を、彼らは持っているのです。
 にもかかわらず、わたしには沈黙しか感じられない。

 何かがおかしい。納得ができない。

 ならば、たかが1ファンである私はどうすべきなのか? その答えはこうです。


 沈黙には、沈黙で応える。


 当ブログは北京五輪を無視します。ただし、関係者から何らかの政治的発言が出たときなど、必要と判断した場合は、この限りではありません。沈黙を破った者に、沈黙を返したくはないからです。
 野球でもなんでも、北京でやりたい奴は勝手にやればいい。どうせ何を言おうが、行きたい奴は勝手に行くんでしょうが。
 ただ、彼らが後生大事に崇め奉る「2008年のスポーツの祭典」とやらに、私は何の価値も認めない。
 やりたい奴が勝手にやって、わしが育てたと言いたい奴が勝手に言う、ただそれだけのプロパガンダ兼プロモーションに、当ブログは付き合うつもりはありません。
 スポーツライターの金子達仁さんは、北京五輪をボイコットすると宣言しています。

■ わたしは、北京五輪をボイコットする(スポニチワールドサッカープラス・2008年03月27日)

 北京で仕事をするようなプロのライターだからこそ、「ボイコット」という言葉は、少しは意味を持ち得ます。
 ひるがえって、北京に行く金もコネもないようなへっぽこブログの書き手が「ボイコット」と言ったって、鼻で笑われるのがオチでしょう。
 ですが、だからといって、何も態度を表明しないというのは、私にはできない。
 私が何をやろうと、意味は全くないのかも知れない。しかし、意味がないことを、何もしないことの言い訳にしたくはない。
 だからこそ、「ボイコット」とは言わずとも、似たようなことはしておくのです。



(´駄`)「つまり、ボイコットっぽいこっとをするんだね」




(¬ε¬)<<<<<(´駄`)

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22 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
支持します (kawa)
2008-04-14 21:34:35
マリーンズファンですが更新楽しみにしています。

マスコミは五輪支持ですから選手の声が仮にあってもなかなか表には出てこないと思います。
中国に行っても毒入り食品で身体を壊しそうで不安なんですが…。

あまりプロ野球ブログでこういう意見は出ないのですが、自分も同感です。
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Unknown (M・K)
2008-04-15 01:28:10
>選手の沈黙
身も蓋もない言い方ですが、こと野球選手に関しては
真っ当なコメントが期待できるのか、という疑問があります。

それこそ、ロッテの小宮山や横浜の川村クラスの頭がある選手なら
例えば、チベット問題の何たるかを調べるなどして、何らかのコメントができるのかもしれませんが、
そもそも、そういうことを期待できる選手さえも少ないと思います。
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kawaさん (ルパート・ジョーンズ)
2008-04-15 06:39:38
ありがとうございます。

健康といえば、エチオピアのゲブレシラシエが大気汚染を理由に欠場を表明してますね。
日本の選手も、もちろんオリンピックというのは最高の舞台なんでしょうが、
その後の競技人生を考えると、果たして参加することに意義があるのかないのか。
最終的には個々の選手の判断が尊重されるべきですが、
選手自身が自ら真剣に考えなければいけませんね。
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M・Kさん (ルパート・ジョーンズ)
2008-04-15 06:46:15
確かに、競技に関係のないややこしいことは考えない方が楽ですし、
考える習慣がないって選手の方が大多数なのかも知れませんね。
でも、それってスポーツ選手である前に、社会人としてどうなのと言いたいです。
私のように社会から片足が出てる人間が偉そうに言うのもなんですが(苦笑)

>ロッテの小宮山や横浜の川村クラスの頭がある選手
本来、ここにヤクルトの宮本が入るべきだと思うんですよ。
彼は選手会・五輪代表双方で、それだけの立場にある人間ですから。
ただ、その彼すら何も言ってないってのが……
別にボイコットしろとも五輪に賛成しろ友反対しろ友言いたいわけでは決してないんですが、
ここまで大問題になっているのにだんまりを決め込むのには、大いに疑問を感じます。
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選手は出で立つ・・・。 (アパッチ)
2008-04-15 07:18:27
「スポーツに政治介入は不用」とは、モスクワ五輪不参加を表明した日本政府に対して柔道の山下泰裕の涙の抗議が思い出されます。
五輪以外でも、最近まで日本国内の正式大会に参加できなかったサッカー・ラグビーに於ける北朝鮮系の高校にも言える事です。

基本的にはスポーツと政治は無関係なハズなんです。ただ、政治はスポーツを「プロバガンダ」として使いがちなのは歴史から見て明らかです。そう、要は政治事情によってスポーツが割りを食らっているんです。


そうであったとしても、選手は明るいコメントを表明するしかなく、そのコメントを深読みすると、単純に個人の思いなのか、それともスポンサーやらの関係もあるのかと、そんな思惑も見え隠れしているような気がします。

まぁ個人的にはいくら五輪公認とは言えやたら高画質テレビを乱売してたり、売れるのか売れてるのかがいちいち疑問の「応援ソング」、五輪公認TVゲーム、似たようものだったら2002年にはワールドカップ公認パチンコ台というのも出てたりと、国際的スポーツイベントそのものにも疑問を呈したいところです。
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北京へは (Sunvisor)
2008-04-15 08:52:16
ルパートさんお久しぶりです。
柔道の体重別選手権で鈴木に決勝で敗れ北京への切符を逃した穴井選手は僕の職場の同僚です。
福岡から戻ってきた彼に僕は,
「あんなとこに行かなくてすんで正解だぞ」
と彼に言ったものでした。単なる慰めではなくて,半分本気でそう思っていた自分がいます。
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アパッチさん (ルパート・ジョーンズ)
2008-04-15 10:07:44
思うんですが、「スポーツと政治」という言葉ですべてをひとくくりにしてしまうのは、
誤解や混乱を生むだけではないかと。
なので、分けるべきは分けて考える必要がありそうです。
例えば、モスクワ五輪に限らず、国単位でのボイコット、つまりは選手の出場阻止というのは、
公権力によるスポーツ界への介入で、私自身は感心しません。
(だからこそ、エントリでも選手に出るなとは書かなかったのです)
一方で、選手が自らを取り巻く政治的状況に無関心であることにも、私は疑問を感じます。
加えて、五輪出場が話題になるほどのスポーツ選手は、
自らが好むと好まぬに関わらず、象徴としての政治的影響力を帯びるのです。
(でなければ、誰も元スポーツ選手を選挙で担がんでしょう)
そのことを、当の選手たち自身がどれほど自覚しているのか?
私が見るところ、非常に否定的な印象しか受けませんし、
それは非常に歯がゆく、また同じ日本人として寂しいことです。
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Sunvisorさん (ルパート・ジョーンズ)
2008-04-15 10:11:45
お久しぶりです。
確かに、五輪に出るとして、行く先が「あんなところ」ですからね……
もちろん選手はそれなりの待遇を受けるのでしょうし、
屋内スポーツだと、取り沙汰される大気汚染の影響も少ないのでしょうが、
それにしても、部外者の私などからすれば、わざわざ出かけるだけのところなのか、
どうしても疑問が拭い切れなかったりします。
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Unknown (酔仙)
2008-04-15 11:21:04
どの球団も入団時のレクチャーの中に『政治と宗教に関する発言は慎むように』と言われているのではないかと常識的に推察します。

それに加え、小さな頃から集団の中の個人と言う思想が芯から身についているチーム競技者が例え心中どう思っていようとも口に出すことの弊害(チームとしての)を考えざるを得ないのではないでしょうか。

日本代表監督が、日頃から政治的な発言をしている割にこの問題に関しては当たり障りの無い発言しかしない事こそ責められるべきなのかとも思います。

アスリート個人としてもサポートしている企業にしても、更には国家としても『益』を優先させているのは間違いの無いところで、ビジネスがグローバル化している現在、グローバルと政治は切り離せる訳もなく、グローバルの象徴が五輪だったりするんですね。

あとは、スポーツ出身の議員の声が聞こえない事こそ淋しいですね。

と言うことで現況にあってはルパートさんの仰る趣旨に異を唱える気はサラサラ無いのですが、アスリートに求めるのは些か酷ではないかと思う次第です。

チベット フリー!
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酔仙さん (ルパート・ジョーンズ)
2008-04-15 11:56:26
確かに、日常生活においては、政治と宗教の話はあんまりしないのが得策ですからね。
とはいえ、それも日本国内での話ですし、海外の話になれば、
人間関係に支障をきたすことはそんなにないと思うんですけどねぇ。
とはいえ、私もスポーツ界の人間関係に詳しいわけではないので、
下手に口を出すと、何かがあるのかも知れません。

>日本代表監督
いやぁ、彼が何か言うとはとても思えませんて。
そもそも、メディアのほうで質問を振るのを遠慮するでしょうし。
彼からすれば、五輪で金メダルを獲得することが至上命題なわけですし、
五輪にむけて国内が盛り上がれば、彼が賞賛の嵐を受けるわけですし。
となると、下手に発言してムードに水を差すようなことがあれば、
そのような利益を損なう可能性が出てくるわけです。
彼ほどの御仁が、そんなリスクを計算できないような愚は犯さないでしょう(笑)

となると、一番の問題はやはりスポーツ界出身者の議員ですかねぇ……
その一方で、われわれファンなり一般人はさらに立場が自由なわけで、
まずはわれわれから何か議論を提起していく必要もあるかな、とは思います。
このエントリも、その一環だったりします。
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