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忘れないで…88水災(2)復興現場

2009年11月11日 14時02分22秒 | 台湾ニュース

 今回は写真を使っての88水災の実態紹介、第二弾。(第一弾はこちら)
 二回目の今回は、復興に取り組む被災地の様子と避難生活者の暮らしぶりを取り上げる。
 舞台は、南部の高雄県。数百名単位の生き埋め被害を出した小林村のある甲仙郷、それに続く被害を出した六亀郷、甲仙郷ふもとの旗山鎮、被災者が生活している鳳山市・黄埔陸軍学校(撮影は全て9月中旬)。
 上の写真は、高雄県一帯を流れる南梓仙渓沿いにある、甲仙郷の入口、甲仙大橋脇。88水災で橋は流され、甲仙郷は陸の孤島となったが、8月26日に簡易橋が通った。解説に立っているのは、交通部公路総局第三区(高雄、屏東方面などを担当)の養護工程処(メンテナンスの意)、劉慶輝・養護課課長(メンテナンス課長)。


削り取られたような橋。
本来の甲仙大橋は2008年の台風13号で損壊。
今回流されたのは仮架けした橋だったが、仮架けと言ってもこのように非常にしっかりしたもの。
現在は、甲仙大橋の本格的な再建造に向けて日夜工事が進められている。
完成は2010年9月頃の予定。


甲仙郷の名産は芋頭(タロイモ)。
「今度は、台風の取材じゃなくてタロイモを食べにおいで」という地元の人の声が胸に染みた。
このタロイモ像が流されなかった事に希望を感じる。


甲仙郷の山中。そこここに、土砂崩れのすさまじい爪あとが残る。
しかし、こうしてここまで車が入ってこれるようになっただけでも雲泥の差なのだ。
こうなるまでに、多くの人の汗が流されている。


名づけて「奇跡の廟」(私が名づけました…)
辺鄙な山の中にあるため幾度も災害を経験してきたものの毎回無傷。
今回も周囲はこんな状況なのに、青空の下で輝いている。
と言っても、88水災発生直後は屋根近くまで土砂に埋もれていた。
これは、交通部公路総局第三区の現場職員らが土砂を掻き出した後の姿。


甲仙郷内の道路。
元はもっと広い道幅だった事が見て取れるが、とにもかくにも通行は復旧。


甲仙郷内。
元は数メートルある谷になっていたそうだが、大量の土砂などが堆積し全くの平に。


通りをはさんでその「元・谷」の向かい側。
民宿があったようだが、いずこに・・・


これがいわゆる「簡易橋」。
軍はこうした橋を非常に早く架ける事ができる。


狭い山中での復興作業。
土砂崩れに強い補強を施しながらの工事だ。
車が来れば作業を中断して通してくれる。


六亀郷の六亀大橋。
重厚な橋が怒涛のような洪水で寸断された。
ちなみに、一見バキバキに見えるこの状態は、完全に取り壊して架け直すために故意に崩した部分も含まれている。
大きなインフラの再建は本当に大変だ。


甲仙郷のふもと、ほぼ平地の旗山郷を通る旗山渓。
ここでは日本時代の堤防がそのまま残されていたが、今回の88水災で決壊。
現在は砂袋で手当てされ、12月には、およそ4600万元をかけた堤防補強工事が予定されている。
同時に、旗山渓の下流での大きなうねりが堤防決壊に繋がったとの判断から、流れをなるべく直線的にするための作業も進められている。


高雄市にほど近い、高雄県鳳山市の黄埔営区(陸軍学校)。
現在、大部分の被災者は国軍の施設内で仮住まいの生活を送っている。
被災者の多くは、キリスト教を信仰する原住民の人々。


施設内には、赤十字や被災者の住所があった村の役場、NGO団体などが事務所を構え、被災者の生活ケアにあたっている。
農業を営んでいた被災者たちに、パソコン使用などの職業訓練も実施されている。


黄埔陸軍学校で避難生活を送っている、ブヌン族の謝宜真さん(右)とその親族。
「私たちはずっと、畑をやって、小さな商売をしながら山の上で生きてきた。他の事はしたくないし、自分たちの村は危険だからと言われても、山を下りて暮らすのは馴染まない。ここの生活は本当に快適だけど、肩身が狭い。自分の村に帰って、危険な時だけ避難するんじゃダメなのか」
と、複雑な心境を吐露していた。


 被災地では復興作業が続けられているが、復旧した道路や橋などの多くはまだ「仮補修」の段階。各地の被災現場が元の美しい姿を取り戻すまでには、この先もまだ、長い時間がかかるだろう。
 現在も避難生活を続けている、帰る場所をなくした人々には、政府から新住宅が提供される事が決まった。
 しかし、建設予定地などはまだ未定で、住み慣れた故郷を離れ、仕事もおぼつかず、多くの被災者は、先の見通しの立たない今後の生活に不安を抱えながら日々を過ごしている。
 それでも、復興の現場からは、政・官・財・民が一体となって、明日に向かって力を注いでいるエネルギーを感じた。昨日11月10日には、被災復興のための四年間の特別予算が立法院で成立した。
 世界から88水災は忘れられつつあるが、台湾の片隅では、今日も多くの人が、汗や涙を流して復興に取り組んでいる。
 今後も、被災者の心に寄り添いながら、現場を見つめ続けて行きたい。(華)



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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (◆G9FlhTJB1k)
2009-11-12 00:14:27
>ここでは日本当時時代の堤防がそのまま残されていたが、
「日本統治時代」?
>ブヌン族の謝宜真さん(右)とその親族。
復旧活動で元通りにして災害前とおなじ環境にすると、子や孫の世代がおなじ目にあう危険性がある。その点は何卒理解して頂きたいです。
八八水災からの復興 (万太郎)
2009-11-14 12:15:35
大変でしたね、
遠く日本から願うことは
現地の早い復興と亡くなった方々のご冥福、
被災者の方々の今後の頑張り、政府の支援です。

日本語を使ってもらうのは嬉しい限りです。日本でも英語やフランス語等をテキトーにデザイン化してアレンジし「高級感」「輸入感」をだそうとした製品は一杯有りますよ。
最近では駅の案内・道路表紙にに中国語・韓国語が併記されており読めないながらそれらをデザインと見て見ています。

本ブログに有った
>名づけて「軌跡の廟」(私が名づけました…)

これは間違いというより変換ミス、
「奇跡の廟」ですね、いやー良くある事。

罹災された方々、もとの土地に戻るのが善いのか、新天地で生活を始めるのが善いのか、それぞれ決断に難しいものが有る。

お金・家族・健康・平和を願うのは万国共通です。
お金、と最初に来る所がイイでしょ。
ではまた



Unknown (◆G9FlhTJB1k)
2009-11-14 19:30:11
>>万太郎 さん
>中国語・韓国語が併記
私の場合は、簡体字がハングル文字っぽくって違和感があります。漢字は中国大陸が原産地なのに、もっと大切に使ってくれよとo.....rz

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