風の回廊

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山川草木悉皆成仏―自然の恵みを活かす(3)

2011年06月17日 | エッセイ
東京新聞の『こちら特報部』という欄の下の文化欄に、毎週月曜日、哲学者であり、歴史、仏教研究家でもある梅原猛さんのコラムが掲載されている。そこで最近たびたび見るのが『山川草木悉皆成仏(さんせんそうもく しっかいじょうぶつ)』という仏教の教えです。

この言葉を初めて知ったのは、五木寛之さんのエッセイだったと思う。五木さんも梅原さんと同じように何度も書かれているので、どの作品に掲載されていたか覚えていないが、いずれも心に響く書き方をされていました。
たぶんその時、大きく共振した僕は勝手に思い込んでしまったのでしょう。『涅槃経』にある『一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょう しつうぶっしょう)」=“生きとし生けるものは、すべて仏になろうとする心を持っている”という教えをより具体化した、インド由来のものだと、さすがインドは、古代より奥行きの深い自然を大切にする思想を持っているな……と思い、縄文時代のアニミズム(すべてのものには、精霊が宿る)が、脈々と流れる日本人の自然観と融合し、日本人が、外来の仏教を理解を深めた理由のひとつなんだろうな……と思っていました。

しかし、梅原さんによればそうではなく――それを知り、僕も僕なりに調べてみたのですが――もともとインド仏教では、有情のものは動物に限られ、植物は無情のもので、成仏(煩悩という執着から解かれ、覚醒し、輪廻から解放され仏陀となる)できるのは、人間を含む動物に限られ、山や川や草木までも(自然を構成するあらゆるもの)広範囲に成仏できるとしていなかった。
このことから、『山川草木悉皆成仏』という考えは、アニミズムと融合したというよりも、アニミズムが根底にあり、アニミズムが生み出した日本仏教独自のものと言えるのだと思いました。

さらに『山川草木悉皆成仏』というのは、1960年代頃から言われ始めたもので、その始まりは、どうやら梅原猛さんにあったようです。
梅原さん以前は『山川草木悉皆仏性』『草木国土悉皆成仏』と平安から室町にかけての仏典関連書に記され、梅原さんの告白によれば、『山川草木悉皆仏性』の仏性(完全に執着から離れてはいないが、成仏の道を歩んでいる)よりも“成仏”とした方が、訴える力が強いという理由で『山川草木悉皆成仏』と言ったとのことです。このあたりは、さすが独創的な歴史解釈で読者を「あっ」と肯かせることに長けた梅原さんらしいです。
(『隠された十字架―法隆寺論』や『水底の歌』は、特に興味深い)

さて、『山川草木悉皆仏性』『草木国土悉皆成仏』『山川草木悉皆成仏』は、空海の密教を取り入れた最澄が起こした天台教学の進化の中で確立していくのですが、その解釈の奥行きは深く広く、奥行きの深さは、先に書いたように、縄文時代から悠久に流れる、自然は恵みをもたらすものであり感謝し、同時に脅威を与えられ怖れ、畏敬し受容する存在という、自然との共生感が底流に流れる日本人の自然観に仏教哲学が融合していることにあります。

アジアモンスーン地帯でも日本の自然は、類稀な美しさを有する四季と豊潤さを持っていて、同時に台風の通過地点であり、狭い国土に急峻な山脈が、列島を脊髄のように南北に位置しているという独特の地形から、水害を中心にさまざまの自然災害で甚大な被害を受け続けている。そんな列島が、世界でも類を見ない地震多発帯の上に形成されている。
恩恵をもたらす自然は、それぞれ豊饒の神として、災害をもたらす自然の脅威は、それぞれ荒ぶる鎮魂しなければならない神として、アニミズムから発展した八百万の神々として祀られるようになり、やがて神道として成立しました。

こうした背景と仏教哲学を自分なりに咀嚼しながら『山川草木悉皆成仏』を考えると、自己と自然の関係が、語られているのだと知りました。
自然と自己は、けして切り離せるものではなく、自己の内的進化とその完成と自然の完成は、常に繋がり連動しあい、自然のひとつひとつが、自己と自然を超える、究極の生命に貫かれている。
また、自己と自然の関わりだけではなく、自然のひとつひとつは、あらゆる存在と関係し、その成果が自然の一個体である自己に還元される。そして、自然のひとつひとつは、人間とは別の種類であるにせよ、ひとつの意識体――魂を持った存在――として自己と深く関わりあっている。

これを現代的な言葉や考え方にひと言で置き換えるとすれば、「自然との共生、生物多様性」と言えるのではないかと思います。そして同時に日本人の宗教観、自然観の根源ではないかと思うのです。

厳しい自然環境の中で生まれた唯一絶対神を祀る宗教は、多様性や寛容性に欠け、独善的な色彩が濃くなり、一元的な価値観を生み、人間中心主義が過剰となり、自然を克服する中で文明が形成されるとし、自然を征服した後、学問や科学や芸術が生まれるものだという意識を生み、実行されます。

森林を例にすれば、古代ローマ帝国が、ヨーロッパを征服する前のヨーロッパ大陸は、そのほとんどが深い森に覆われていましたが、わずか300年余りの間にそのほとんどを意図的に消滅してしまい、平原と化したのです。
日本は、ローマがヨーロッパを征服した時代から現在まで、地形の違いはあれ、ほとんど変わらない山林面積を維持している。このことは奇跡と言っていいかもしれません。

しかし奇跡は、直観的にある日突然起るものではなく、持続の中に生れます。日本人は木を伐採したら植える。植えたら手をかけて育む。成長したら伐り使用する。という人の手を介在した循環する森林を連綿と持続させてきたのです。
しかし残念ながら、現在の日本は、古の人たちが蓄え保持してきた自然資産を食い潰しているだけの状況が続いている……
食い潰しているというのは、少し語弊があるかもしれませんが、需要の80%もの量を外国からの輸入物に頼り、海外の山林を荒廃させ、豊富にある国産材が使われず、経営的に疲弊してしまった日本の山林経営者は、伐採期を過ぎた森林を放置せざるをえなくなり、持続されてきた循環が止まり、経営も森林も荒廃してしまった状態……
つまり日本の自然の恵みを活かしきれていないのです。

梅原さんも五木さんも、21世紀に世界の環境を救う思想の鍵となるのは、『山川草木悉皆成仏』だと言っています。ここがポイントです。
                                   C-moon



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キリストの恵みを歌った曲ですけど♪



Hayley Westenra - Amazing Grace (Live)




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