長野県は白馬村の外に出る事が少なくなってきた、ので今は白馬村に滞在している。
この村にいる人間の半分以上がオーストラリア人なのではないだろうかと思っていたこの頃であるが、だんだんと日本人の数が増えてきたように思える。
…だからなんだってんだ。
2ヶ月以上も同じところにいるのは久しぶりで、思ったのが、1つのところに留まると、どうしても人と人とが干渉しまくっているところに遭遇し、「うほぅ!何か得体の知れない有害物資が出ている!」と思ってしまう瞬間がある。
本当に干渉しまくっているのか、実際のところはどうなのかわからない、ただ僕がそう思っているだけなのだが、「ほっといてあげなよ」と勝手に思っている。
多分僕らは口先で話されて用意された道路を歩くよりも、かっこいい人間がボロクソになりながら切り開らいていった轍を進みたくなるものなのだと思う。
早い話が、ぶつくさ言ってるくらいなら、何も言わずに背中で語れる人間になりたい。
口で言う人はきっと「自分以外が変化すること」を求めているのだと思う。
僕はどちらかと言うと自分が変化するのが好きだ。
変化の邪魔になるくらいなら、自分の芯なんてクソくらえだぜ!
と、たまにはパンクな事を思ったりもする。
諸事情により、写真を撮る場所がいつも同じポイントなのだが、そこはさすがの地球さんだ、同じ場所にいても毎日景色が変わっていてなかなか飽きない。
前よりも少しだけ強くなった日差しを、目を細めながら眺めていたら、インドで「太陽みたいになりてぇよ」と思っていた自分を思い出した。
あの頃からまだ半年しか経っていないんだなぁ、あれから既にいろんなものを失くして、その代わり、そこにできた空白にはいろんなものが流れ込んで来たなぁ、なんて事を思った。
失くしたものを探しても、落としたところにそれはもうないのだと思う。
自分の手を離れたそれは、きっと誰かが拾ってくれていて、僕にできることは、「どうかうまいこと次に繋げてやってくださいな」と祈ることだけなのだと思う。
そんなものは探さなくたって必要なら返ってくるし、必要なければずっとないままなんだと思う。
今後の経済の見通しが悪いとか、少子高齢化が進んでいるとか、アメリカの大統領がどうとか、そんなのどうでもいい、そんなことより自分が今、本当の意味で生きているかの方がよっぽど大事だ。
今日、いつも見守ってくれていたカモシカが雪山に横たわって死んでいるのを見つけた。
悲しい気持ちにはなったのだけれど、
「よし、その命、俺にも繋げさせてくれ!」と言う感じのことを、いい感じで思った。
今日から僕はこの見守ってくれていたカモシカの分の命を抱えて生きてやる。
と勝手に思っている。
忘れたら忘れたでそれまでだ。
雪山にいると「リラックスしている奴が最強だな」みたいなことを思う。
車がスリップした時、スノーモービルが崖から落ちそうになった時、仕事でミスをした時、どんな時も大抵はリラックスしていればどうにかなるのだと思う。
そうだ、今月のテーマはリラックスにしよう!
そうしよう。
もう眠い、寝よう。
そうしよう。
この村にいる人間の半分以上がオーストラリア人なのではないだろうかと思っていたこの頃であるが、だんだんと日本人の数が増えてきたように思える。
…だからなんだってんだ。
2ヶ月以上も同じところにいるのは久しぶりで、思ったのが、1つのところに留まると、どうしても人と人とが干渉しまくっているところに遭遇し、「うほぅ!何か得体の知れない有害物資が出ている!」と思ってしまう瞬間がある。
本当に干渉しまくっているのか、実際のところはどうなのかわからない、ただ僕がそう思っているだけなのだが、「ほっといてあげなよ」と勝手に思っている。
多分僕らは口先で話されて用意された道路を歩くよりも、かっこいい人間がボロクソになりながら切り開らいていった轍を進みたくなるものなのだと思う。
早い話が、ぶつくさ言ってるくらいなら、何も言わずに背中で語れる人間になりたい。
口で言う人はきっと「自分以外が変化すること」を求めているのだと思う。
僕はどちらかと言うと自分が変化するのが好きだ。
変化の邪魔になるくらいなら、自分の芯なんてクソくらえだぜ!
と、たまにはパンクな事を思ったりもする。
諸事情により、写真を撮る場所がいつも同じポイントなのだが、そこはさすがの地球さんだ、同じ場所にいても毎日景色が変わっていてなかなか飽きない。
前よりも少しだけ強くなった日差しを、目を細めながら眺めていたら、インドで「太陽みたいになりてぇよ」と思っていた自分を思い出した。
あの頃からまだ半年しか経っていないんだなぁ、あれから既にいろんなものを失くして、その代わり、そこにできた空白にはいろんなものが流れ込んで来たなぁ、なんて事を思った。
失くしたものを探しても、落としたところにそれはもうないのだと思う。
自分の手を離れたそれは、きっと誰かが拾ってくれていて、僕にできることは、「どうかうまいこと次に繋げてやってくださいな」と祈ることだけなのだと思う。
そんなものは探さなくたって必要なら返ってくるし、必要なければずっとないままなんだと思う。
今後の経済の見通しが悪いとか、少子高齢化が進んでいるとか、アメリカの大統領がどうとか、そんなのどうでもいい、そんなことより自分が今、本当の意味で生きているかの方がよっぽど大事だ。
今日、いつも見守ってくれていたカモシカが雪山に横たわって死んでいるのを見つけた。
悲しい気持ちにはなったのだけれど、
「よし、その命、俺にも繋げさせてくれ!」と言う感じのことを、いい感じで思った。
今日から僕はこの見守ってくれていたカモシカの分の命を抱えて生きてやる。
と勝手に思っている。
忘れたら忘れたでそれまでだ。
雪山にいると「リラックスしている奴が最強だな」みたいなことを思う。
車がスリップした時、スノーモービルが崖から落ちそうになった時、仕事でミスをした時、どんな時も大抵はリラックスしていればどうにかなるのだと思う。
そうだ、今月のテーマはリラックスにしよう!
そうしよう。
もう眠い、寝よう。
そうしよう。