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赤ちょーびんさんと安里、泊を歩く その2 悲恋の港、賢者の里「泊」

2013年08月08日 | 日記
ここが泊散歩道の始まり。
泊小学校まで一直線、閑静な住宅街を歩きます。
歩道には泊ゆかりのモニュメントが色々と。



空手の達人松茂良興作のエピソードを
即興で再現する赤ちょーびんさん。
罪のない泊の村人に乱暴狼藉の薩摩の武士、
向かってくる刃を手ぬぐいで巻き取って海に捨てた松茂良興作。
争いを好まない、穏かに暮らしたい琉球人の誉れです。
熱演のステージは駐車場です。




琉球版二宮金次郎、山里朝賢、貧しい家に生まれたが、臼を回しながら、
沖縄のお線香平御線(ヒラウコー)に火をともして勉学に励み科(コー)という
国家公務員試験にトップで合格した。最初の給料はすべて泊の村に寄付
これが人材育成のための基金内輪御持(ネーワグムチ)の始まりで、
それあって、泊から沢山の秀才が輩出しました。
また泊は長崎の出島のような存在でしたから
西欧の文化や技術がいち早く伝わってきました。
なかでも医学の分野では最先端を行き
現在でもこの界隈には病院の看板が目立ちます。


こうした琉球史に残る傑人を輩出した泊ですが、
ここはまた沖縄三大歌劇のひとつといわれる
「泊阿嘉」のステージにもなりました。
その物語のクライマックスが碑になっています。



この物語は我如古弥栄の作品で歌劇という形体の芝居の第一号です。
1910年に沖縄座で初演され、
112日間連続上演という驚異的な大ヒットを記録します。

物語
樽金(タルガニ)は恩鶴(ウミチル)に若狭の浜で出会い、
一目で激しい恋に落ち99日間泊高橋に通いようやく恋は成就します。
しかし樽金の父親は二人の結婚に反対し、樽金を伊平島へ追いやります。
恩鶴は悲嘆に暮れ、病の床へ、やがて病死してしまいます。
それを知った樽金もまた恩鶴の墓前で自殺します。
その恩鶴の遺書を読むシーンがこの芝居のクライマックスです。
満場の観客の紅涙を絞りました。



少し長くなりますが、その遺書のさわり現代語でご紹介します。

「奥深い山に咲く伊集の花のように
世間のことは何も知らない子供の私を
心から愛してくださったあなたとの
一目を偲ぶ逢瀬、あの世までも一緒と誓った言葉を
私の胸に抱き、心に染めて、
片時も忘れる時はないでしょう」


☆沖縄三大歌劇とは
①泊阿嘉(トォマイアカ)②伊江島ハンドー小 ③奥山の牡丹といわれていますが、
これに薬師堂を加えて四大歌劇という場合もあります。
因みに「小」は「グァ」と読みます。

泊散策も終わりに近づきました。
ランチは知る人ぞ知る「ルビー」で。
量の凄さは沖縄屈指でしょうか。
Aランチにはチキンカツとハンバーグが重なっていました。
そして分厚い刺身にマカロニサラダてんこ盛り。
目玉焼きもわすれていませんよxxxxx^。

泊散歩の最後はやはり外人墓地でしよう。
ペリーが浦和に来る前に琉球に来たことは余り知られていませんね。

ここにはいまの日米両政府にはとても耳の痛い
でも沖縄県民の願いともいえるメッセージが書かれています。




上は現在の泊の風景、交差点から曙方向へ5分ほどで
観光バスもやってくるいゆまちのお魚センター(右)があります


これで今回の安里、泊歴史訪ね歩きは終わりました。
機会がありましたらぜひ130年の伝統を持つ
沖縄芝居の三大歌劇をごらんください。
公演などのご質問は沖縄俳優協会事務局長津波
090-9782-8568で承ります。
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ウチナー芝居全島巡演初日八重瀬公演同行記

2013年07月30日 | 日記
芝居の出前をやろう、
ウチナー芝居の灯を消さないためにも。


130年の伝統を持つ沖縄ならではの「ウチナー芝居」を
もっともっと知ってもらいたい、
テレビにはない肌触りのある面白さを次の世代の人にも伝えたい、
そして受け継いでいって欲しい、
その願いを込めていよいよ全島巡演が始まりました。
沖縄俳優協会から全島各地への芝居の出前です。

7月28日(日)そのスタートの地、八重瀬には、
ありがたいことに開演2時間も前からお越しくださる
お客様もおられました。

その一日をカメラで追いかけたレポートです。
「お祭りの出前です、そのメインイベントがウチナー芝居」と
語る沖縄俳優協会事務局長津波盛廣さんの思いが込められた
八重瀬中央公民館、のぼりが夏の風にはためきます。



お客様をお迎えする準備も整い始めます。


舞台では大道具、小道具さんがセットづくりに汗を流します。
といっても役者さんも一緒に働きます。
手の空いてる人は誰でも手伝う!
これがウチナー芝居です。
全員総出の手づくりがなによりの魅力です。


民謡ショーからのスタートです。
軽快なリズムが会場を華やかに盛り上げます。
国吉眞博民謡研究所のみなさん。


舞踊「早口説」いまや大御所瀬名波孝子さん、
御歳四捨五入すれば80歳にしてこの動き。脱帽です。


舞踊「南洋小唄」こちらも超ベテラン久高将吉さん、
軽やかに舞います。永遠の二枚目です。


現代劇「盗人やま~よ」
とんまな泥棒が借金を払わせられる羽目に^^

コミカルな動き、
軽妙な掛け合いに会場大爆笑!


幕間のお楽しみ抽選会、協賛スポンサーのあいさつ。
当たった~、なんと琉球島和牛のしゃぶしゃぶ!おめでとうございます!

人情劇「愛の雨傘」人間のやさしさが笑いと共に
見る人の心へ。



お客様お見送り、
本当にお暑い中ようこそお越しくださいました。
イッペニフェデービル
200人収容の小さなスペースですが、
今日会場にこだました笑いや手拍子こそ
沖縄芝居の原点です。
息遣いが聞こえる距離に役者さんがいる、
手を伸ばせば届く、耳に馴染んだメロディーが蘇る、
テレビの及ぶところではありません。

どうぞウチナー芝居を私たちみんなの
財産としてよろしくご支援ください。

昼夜二回公演、役者のみなさん、スタッフのみなさん
本当にお疲れ様でした。
でもこれから年内5ヶ所の公演が待っています。
「すぐ次の稽古に入ります」と津波事務局長。
どうぞお体に気をつけていいお芝居をみせてください。


次回公演は8月25日南城市玉城です。どうぞお楽しみに。

☆お断り=当ブログの写真の使用、転載はできません。






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平和巡礼に同行、小禄→糸満「魂魄の碑」までを祈りと共に歩く

2013年06月24日 | 日記

朝6時カトリック小禄教会に信者、一般市民が集まり始めます。


(写真提供 大城庸秀さん)

平和巡礼に出発する前の祈りの集いが行われました。
この日への特別の思いがおありなのでしょうか、アメリカ人の神父様が言われます。
「米軍基地があること、あるがゆえに起こるできごとをアメリカ人として
恥ずかしく思う」と。アメリカ人神父としてとてもとても辛い自省のメッセージです。


7時、教会出発です。総勢約100人、中に山伏姿の方がおられます。


この日のために山形県羽黒山からわざわざ沖縄へ来られました。


「いまの日本の歩もうとしている方向にとても危険を感じる、
戦争への道を再び歩くことは24万人余の御霊への裏切りであり、黙って座しているわけにはいかない(要旨)」と心のうちを話されたそうです。


歩き始めて一時間を過ぎ、豊見城市へ入ります

沖縄の夏の太陽が勢いを増します。みなさん完全防護の太陽対策ですが、
汗は噴出し、こぼれ落ちます。でも足取りは確かです。
鎮魂への祈り、不戦の誓いを御霊に届ける、強い思いは同じです。
クルマで先行する市民の方が氷の入ったビニール袋を皆さんに配ります。
暖かいお心、そして氷の冷たさの心地よいこと、首筋に袋をあてると一気に蘇ります。


カトリック中学の生徒たちと合流、ともに祈りを、平和の歌を。


いよいよ糸満へ、多くの遺族団の歩く姿とも出会います

地元糸満小学校の皆さんが吸水ポイントで冷たいお茶と共に待っててくれました。
ありがとう!みんな!おいしかったよ。


ひめゆりの塔に到着。ここで再び祈りの集いを
想像を絶する体験記が読み上げられます。その内容はまさに地獄絵図です。改めてここに記すことがためらわれます。ただ、ただ、うつむいて聴くしかできません。汗と一緒に多くの方は涙を拭われたでしょう。でも辛くても悲しくても耳を覆いたくても私たちはその「惨」から逃げてはいけない、人間の犯した罪としてともに背負わなければならない、読み続けられる手記を聴きながらそう思いました。


さあ、最終ゴール魂魄の碑へ。

魂魄の碑に続く約1キロの道、
そこはいまはのどかなトウモロコシ畑やお花畑ですが、68年前ここには
無念の、非業の死を遂げた方々のご遺体が地面をみえなくしていました。
捕虜として生き残った方はせめて亡骸を踏まないように爪先立ちで歩いたそうです。
そしてここ糸満には日本兵のつくった壕やがま(洞窟)が
260ヶ所余りあるといわれています。
そしてそこにはご遺骨が収集が困難ということで
まだ安らかな眠りに付かないままです。




68年前道端や畑に放置、散乱したお名前も出自も不明な人々を祀る魂魄の碑

この碑を小禄からの巡礼者達は取り囲みます。
特にカトリック中学校の若者たちに司教様が静かに語り、強く訴えられます。
「いまの日本がとても危険な方向に向かおうとしていること、
憲法が権力者たちにとって都合のよいように変えられようとしていること、
そして沖縄が決して自立していないこと、アメリカの占領下にあること、
日米両政府はこれからも不条理押し付け続けるであろうこと、
だからこそ、平和のために動いて欲しい、動くことをためらい、
恥ずかしく思うことはないと」



戦争の記憶を教えよう、伝えよう、若者たちへ


6月23日が何の日か知らない若者たちが多いという調査結果の中
戦争体験者はもう80才台後半に入りました。
この日あらためて思ったこと、それは学校での教育です。
教え続けるしかありません。それは教師だけでなくすべての大人たちの任務です。
良い学校へ入るための偏差値の高さより、
平和を思い、願う心の偏差値がうんと、うんと高い子供たちであってほしいのです。


空疎な美辞麗句でお茶を濁し、鎮魂の場をも濁した安部総理


平和記念公園には、どんな下心があるのか、
安部総理が外務大臣やら防衛大臣を引き連れてやってきました。
まさに安部一族ご一行様です。壊れたレコードのようにまたくりかえされる
「沖縄の心に寄り添う」という手垢の付いた美辞麗句、
そして「沖縄の振興に尽くす」というこれもまた手垢の付いた利益誘導言葉、
要は「金はやるから、我慢しろ、黙ってろ」と同じことを選挙目当てでいっただけ。
こんなリーダーを持ったことを心から無念に思います、心から恥ずかしいと思います。
そしてこんな人間を支持するヤマトの人間が60%以上もいる、
おりしも都議会選挙で自公が過半数を。
いま日本は戦争への危険水域に入ったことを一人一人が自覚しないと、
トウモロコシ畑の下や壕に眠るご遺骨に向ける顔がない、本当にそう思います。


そして安部総理、式典で小学校一年生の安里有生ちゃんの読んだ詩が
どれだけ多くの参列者の心を捉えたか、揺さぶったか、
さっさと東京にもどったあなたはご存じないでしょうね。
タイトルは「へいわってすてきだね」
「へいわつづいて」「かぞくがげんき」「おなかいっぱい」
せいいっぱいの平和を願う純な言葉に大きな拍手が巻き起こりましたよ。

このちびっ子の目をまっすぐに見て、安部総理、
きみたちに戦争はさせないよ、兵隊さんにはさせないよ、
とあなたはいえますか?
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赤瓦ちょーびんさんと安里・泊を歩く その1尚徳王と安里八幡宮

2013年06月17日 | 日記
安里八幡宮の背景にはツインタワーが、いまの沖縄らしいシーンです。

6月2日、蔡温スクェアに集まった一行14名はまず安里八幡宮へ。
安里八幡宮は尚徳王(在位1462~1469)が建立しました。

一度で鳥を射落とせ給え!神よ。
納税を拒否した喜界島を制圧するためにこの地安里を通った尚徳王
1羽の鳥が空に舞っているのを見て、
あの鳥を一度で射落とせば征伐は成功する、
射落とせ給えと祈り矢を放つと見事に命中します。
さらに海上に漂う鐘を見つけ、
拾い上げようとしますが波に邪魔されて中々拾えません。
そこで再び願をかけるとやすやすと拾い上げることができ、
喜界島制圧をも成し遂げました。
この戦勝に感謝して創建されたのが安里八幡宮です。
弓に偉大なるパワーを与えたことから、
弓矢の神様八幡大菩薩を祀っています。
ちなみに琉球には八社ありますが、他の七つの神社は熊野権現です。

暴君尚徳を語るエピソード
この尚徳王の評価は実にさまざまです。暴君という声が大勢ですが、
それを伝える有名なエピソードにはことかかないようです。
その代表格をあげますと、
王様が久高島に行幸した帰途、与那嶺で休憩をとりお供や臣下に
ごくろう、酒や料理を振舞うのが通例なのに、尚徳は「わしは知らん」といい
長老金丸のとりなしでようやく酒食を与えたといいます。
因みにこの金丸は後の第二尚氏の初代の王様になる人物です。

一方、尚徳はマラッカや韓国との交易を積極的に行い、
独自の貨幣の鋳造など賢君の一面も持っています。

恋して、妻を捨て、政を捨て、そして~
久高島のノロに恋して首里に戻らなかった尚徳、その間クーデターが起こり
急ぎ変える途中で妻子の死を知り、最早これまでとあっさり海に身を投じたとか。
なにやら妙に人間臭い王様の感じがして、優等生的王様でないのがいいですね。
それに貨幣鋳造ができたということは、経済が上手く行っていたからこそ。
経済が上手く行っていたことは、庶民の暮らしも苦しくはなかったはず。
この意味でも「賢君」といえる気がしますね。

歴史書はいつも「勝者の記録」
こうした人物像や人物評価はいわゆる「正史」に書き残されたものです。
正史というのは、勝者の歴史です。英語で歴史をHISTORYといいますが、
まさにHIS(勝者)のSTORY(物語)なのですね。
当然勝者は自らの「権力奪取」を意味のあるものにしたい、正当化したい思いが
正史に書き連ねられていても不思議ではありません。
これは世界のどの国の「正史」にも言えることでしょう。

さあ、尚徳王は暴君だったのでしょうか?賢君だったのでしょうか?

☆琉球八社とは、
波の上宮、沖宮、識名宮、天久宮、末吉宮、普天間宮、金武宮 安里八幡宮
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島ナイチャーおじい、ウチナー芝居「母の日公演」に行く。

2013年05月14日 | 日記
那覇市民会館はアンマーをねぎらうやさしさにあふれていました。

5月12日(日曜日)母の日です。本土にも母の日の行事はあるけれど、
琉球の人たちほど思いは熱くないような気がします。家族を何よりも大切にし、
年上の人への敬意と感謝を決して忘れない琉球人の変わることのない心でしょう。
車椅子で来られたお母さん、その椅子を押す孝行息子、娘。
お母さんも嬉しそう、いいお顔をされていました。

セリフはわからなくてもストーリーはわかる、心はわかります。

実は島ナイチャー歴1年未満のおじいには、セリフはほとんどわかりません。
ウチナーグチの機関銃のようなやりとりに満場爆笑しておりますが、
おじいはなにやら外国の劇場にいるような気分でございました。
ただストーリーは察しがつきます。
母の日にふさわしい人情物が二本。
顔にあざがあるゆえに恋をあきらめる哀しい男の物語、”はなかんざし” 
妻子を捨て新しい女とともに家を出た愚かな親爺を許す”貞女と孝子” 
特に貞女と孝子では、家を出る時に女房に何かさかんに喋くりまくり
会場が沸いておりましたが、あれは何を言っていたのでしょうか。
どうも沸き起こる笑いには「男ってしょうがないわねぇ」といった感じがあったような気がいたしましたので、多分得て勝手な理屈と言い訳を並べていたのでしょうか?

見事、ただただ楽しかった、面白かった。数十年ぶりの与座兄弟の花車

コミック舞踊といっていいのでしょうか?
笠を車輪に見立ててユーモラスにコミカルに動き、踊る花車、
何でも数十年ぶりの公演とか。年期を感じさせる所作、失礼ながら年齢を感じさせない所作、鍛え抜かれたプロの芸人を見ました。笠を回す艶やかな女性二人、
とぼけた味わいのお客さん二人、そして車夫が与座兄弟のお二人、計6人が息の合った動きを見せ客席から繰り返し拍手がおくられました。

若い力が爆発した島唄ライブ、やーにんじゅ

将来の与座一座を担う20代の若者たちの島唄ライブ、
さすがパワフル、ダイナミックな演奏と唄でした。特に太鼓はまるでドラマーのよう。会場のアンマーたちも「乗ってるよ~」って感じでした。
曲目にナンクルナイサ節(多分こういうタイトルかと?)がありました。
元気な曲と愉快な歌詞でしたが、おじいには少し残念に感じたことがありました。
それは「北朝鮮のミサイルも中国の尖閣島もオスプレイもなんとかなるさ、
ナンクルナイサ、ナンクルナイサ」という歌詞です。
今の沖縄を取り巻く難題に対する皮肉を込めたプロテストソングだとは思うのですが、むしろナンクルナイサでは何も解決しないところまで来ている状況を考えると
おじいはついこんな風に唄ってていいの?とちょいと違和感を持ってしまうのです。
それにナンクルナイサは、そのうちどうにかなるさの意味でなく正しくは、懸命にがんばった、でもどうにもならない、そういう時に使われるそうでが。

ウチナー芝居の豪華詰め合わせ弁当のような公演でした。

時代人情劇、現代歌劇 舞踊に島唄、ウチナー芝居をすべて見せていただいたような
演目でした。劇団与座の皆様、ゲスト出演された役者の皆様、イッペニヘーデービル!本当にありがとうございました。会場のアンマーたちも堪能されていました。
これからのウチナー芝居の継承、さらなる発展を心からお祈りいたします。
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