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赤瓦ちょーびんさんと安里・泊を歩く その1尚徳王と安里八幡宮

2013年06月17日 | 日記
安里八幡宮の背景にはツインタワーが、いまの沖縄らしいシーンです。

6月2日、蔡温スクェアに集まった一行14名はまず安里八幡宮へ。
安里八幡宮は尚徳王(在位1462~1469)が建立しました。

一度で鳥を射落とせ給え!神よ。
納税を拒否した喜界島を制圧するためにこの地安里を通った尚徳王
1羽の鳥が空に舞っているのを見て、
あの鳥を一度で射落とせば征伐は成功する、
射落とせ給えと祈り矢を放つと見事に命中します。
さらに海上に漂う鐘を見つけ、
拾い上げようとしますが波に邪魔されて中々拾えません。
そこで再び願をかけるとやすやすと拾い上げることができ、
喜界島制圧をも成し遂げました。
この戦勝に感謝して創建されたのが安里八幡宮です。
弓に偉大なるパワーを与えたことから、
弓矢の神様八幡大菩薩を祀っています。
ちなみに琉球には八社ありますが、他の七つの神社は熊野権現です。

暴君尚徳を語るエピソード
この尚徳王の評価は実にさまざまです。暴君という声が大勢ですが、
それを伝える有名なエピソードにはことかかないようです。
その代表格をあげますと、
王様が久高島に行幸した帰途、与那嶺で休憩をとりお供や臣下に
ごくろう、酒や料理を振舞うのが通例なのに、尚徳は「わしは知らん」といい
長老金丸のとりなしでようやく酒食を与えたといいます。
因みにこの金丸は後の第二尚氏の初代の王様になる人物です。

一方、尚徳はマラッカや韓国との交易を積極的に行い、
独自の貨幣の鋳造など賢君の一面も持っています。

恋して、妻を捨て、政を捨て、そして~
久高島のノロに恋して首里に戻らなかった尚徳、その間クーデターが起こり
急ぎ変える途中で妻子の死を知り、最早これまでとあっさり海に身を投じたとか。
なにやら妙に人間臭い王様の感じがして、優等生的王様でないのがいいですね。
それに貨幣鋳造ができたということは、経済が上手く行っていたからこそ。
経済が上手く行っていたことは、庶民の暮らしも苦しくはなかったはず。
この意味でも「賢君」といえる気がしますね。

歴史書はいつも「勝者の記録」
こうした人物像や人物評価はいわゆる「正史」に書き残されたものです。
正史というのは、勝者の歴史です。英語で歴史をHISTORYといいますが、
まさにHIS(勝者)のSTORY(物語)なのですね。
当然勝者は自らの「権力奪取」を意味のあるものにしたい、正当化したい思いが
正史に書き連ねられていても不思議ではありません。
これは世界のどの国の「正史」にも言えることでしょう。

さあ、尚徳王は暴君だったのでしょうか?賢君だったのでしょうか?

☆琉球八社とは、
波の上宮、沖宮、識名宮、天久宮、末吉宮、普天間宮、金武宮 安里八幡宮
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