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【ズンドコ節考・3】マイトガイ・アキラ

2008-01-27 02:35:56 | よしなしごと
これは、連載の第三回に相当します。
 はじめていらっしゃった方は、むろんこれだけでも結構なのですが、余裕がありましたら最初のものからご覧になって下さい。


 1960年、マイトガイにしてギターを抱いた渡り鳥こと、小林 旭によってリリースされたものである。
 60年と言えば、かの安保闘争が示すように、戦後のひとつのエポックであり、日本のその後の基本路線が決められた年といっても良い。

 このズンドコ節は、ドリフの総花的なそれとは違っていわばラブソングに絞られたものであり、その意味では「きよし」のそれはこの路線でのリメイクといって良い。
 ただし、この歌には、前にズンドコ節の特徴であるといった「目立たないヒロインとその純愛」といった面は全く見られない。そればかりか、ここではその女性のイメージすら全く述べられておらず、ただ、男性の自負と思いのみが唱われているのである。

          

 歌詞は以下のようである。

 1. ズン・ズン・ズンドコ
   ズン・ズン・ズンドコ
    街のみんなが振り返る
    青い夜風も振り返る
    君と僕とを振り返る
    そんな気がする恋の夜
    
    散歩しようか踊ろうか
    一緒にいいましょアイラブユー
    グッドナイトと二人に
    ウインクしている街灯り

 2. ズン・ズン・ズンドコ
   ズン・ズン・ズンドコ
    街の夜更けをただ一人
    君と別れてただ一人
    恋の切なさただ一人
    抱いて戻れば星が降る

    今夜もあの娘(こ)を夢で見る
    逢いたい見たいと夢で見る
    夢で見なけりゃなんで見る
    見るまで一日寝て暮らす

 
 まず、囃子言葉のズンドコであるが、実際に唱っているものを聞くと、力強く重々しい。これはマイトガイの小林を強調しているせいかもしれない。

 1番の「街のみんなが振り返る」は随分自意識過剰に聞こえるかもしれないが、今とは違って、恋人同士が寄り添って歩くのはまだまだ目立った時代だったのである。
 恋人でもないひととでも、男女二人が歩くのはまだ幾分はばかられた時代でもあった。

 そんな中、惚れた同士が共に歩くという自負と喜びのようなものがこの歌詞にはよく現れている。そしてそれが、1番後半のカタカナが多い「ハイカラ」な歌詞へと繋がる。
 それにしても、「一緒にいいましょアイラブユー」とは今聴いても背筋がむず痒い感じがするが、「もはや戦後ではない」といわれはじめた時期の開放感と、そのもはや戦後ではない内容がどうしようもなくアメリカナイズされたものであるという事実を如実に示している。

 ここまで、あるいは2番の前半まで見るとロマンティックな歌で終わりそうなのだが、やはりそれだけで終わらないのがこの歌のようで、2番の後半のフレーズはコミカルな響きを持って「落ち」をつけている。

 なお、このズンドコ節と姉妹編のように、「アキラのダンチョネ節」というのがあり、それが回り回ってズンドコ節とも絡み合うのだが、それはまた追って述べたい。

     


おまけのトリビア
 
 小林 旭は美空ひばりと結婚し、その後離婚するのであるが、その結婚も離婚も、ひばりの父親代わりの山口組三代目組長田岡一雄からの指図であったという。
 むろん両者に恋愛感情はあったものと思われるが、とりわけひばりの母親がその結婚に反対し続けたため、結局は入籍もしないままに離婚を迎えたという。
 ということは、小林の方はその後再婚したが、ひばりについていえば戸籍上は生涯独身であったということになる。

<予告> 次回はいよいよズンドコ節の元歌についてです。
     そしてこの元歌が意外な転換を見せるのです。



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3 コメント

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Unknown (冠山)
2008-01-28 14:35:50
小林旭…なつかしい。「北帰行」「惜別の唄」、いつころ歌ったのか忘れてしまったけれど、なつかしい。つれあいには嫌われるけど。ズンドゴ節考はおもしろい。たのしみです。ご存じのように、日農香川の「ドンドン節」。あれも替え歌なんでしようかね。
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Unknown (六文錢)
2008-01-29 00:57:19
 お読みいただきありがとうございます。 
 次回からかなり様相が変わります。 
 これまではその序論のようなものです。  

 お触れになったいる「ドンドン節」いろいろあるようで、一般的には「駕籠で行くのはお軽じゃないか」で始まるもののようですが、ところによって歌詞も随分違うようです。 
 今のように一律の電波媒体に寄るのではなく、口伝えで広がった影響でしょうか。  

 なお、最近のものとしては、沖縄の喜納昌吉によって唱われているものがありますが、これは徳之島民謡の餅もらい歌(通称ドンドン節)からきたもので、また別系統のもののようです。  

 日農香川の件とは、伏石事件など大正末期の小作争議のことですね。この争議の中で、「ドンドン節」が闘争を鼓舞するものとして唱われたのでしょうか。 
 調べてみましたが、この歌に関しては出てきませんでした。 
 ご存知でしたらご教示下さい。
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Unknown (冠山)
2008-01-29 09:04:46
中野重治が高松で捕まり、香川県を追放されたのは1928年。この「ドンドン節」は、27年、日農香川県連合会好井一美、羽原正一が作詞作曲し、小作農民に広がったというから、重治も鼓舞されたかも知れない。歌唱は羽原とあの宮井清香。『ドキュメント・日本の革命家─革命のうたごえ(テープ付き)』(1974年・一声社)です。興味がありましたらお聞きください。
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