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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

盗まれた青空は返ってきたのだろうか?

2011-06-18 01:00:01 | 映画評論
 映画「青空どろぼう」の試写を観ました。
 名古屋の東海TVが作成した四日市公害の過去と現在に関するドクメンタリー番組をさらに肉付けをし、長編の映画にしたものです。
 
 ドキュメンタリーではありますがドラマティックな要素も十分あります。
 その主人公のひとりは、この日本の四大公害の経緯を半世紀近くにわたって記録し続けた澤井余志郎さん、もう一人は原告団のひとりであった四日市市磯津の漁師・野田之一さんといっていいでしょう。
 なお、映画の場面は四日市コンビナート群と鈴鹿川河口を挟んで向き合う同市の磯津地区にほぼ限定されます。

          

 映画は彼らの回想をもとに当時の様相を伝え、同時にその現況を伝えます。この公害訴訟が、いわゆる四日市ぜんそくや肺気腫に悩まされた患者たち原告のほぼ全面勝利に終わり、これをきっかけに「公害病認定制度」が法的に明らかにされるなどした経由は私もおぼろ気ながら知っていました。

 映画には出てきませんが、この裁判の結審で野田さんが陳述した内容があります。

野田之一(漁師、39歳、気管支ぜんそく、肺気腫)
 「どうも裁判長さん、長い間ご苦労さまでした。? 今まで私らも長い間聞いていますのに、この私らが一体何ゆえにこの病気になったかと…そういうところに疑問持っておられると思いますけれども…私らの故郷が、企業が来る以前からこんな病気があったか、なかったか…一番よくご存じは裁判長さんです。私はそう思ってます。? それに企業の方は、法律の先生方をようけ連れてきて、そうして、うちじゃない、うちじゃない…一体磯津へどこの煙がきたというんです。? 今も聞いていますれば、(原告陳述前に、被告企業6社それぞれの最終陳述があった)、うちんとこじゃない、うちんとこじゃない…と。そうすると、磯津は、地から煙がでてきたんか。あまりにも無責任なやりとりじゃありませんか。? そうして、企業の方、企業主のその方も、そういう先生たちを頼りにして、自分らのしとることをごまかす。またごまかすような気持ちで…。? これで世の中が通っていくと…そんな甘い考えでおるんですか。決して私は、脅迫じゃありませんけれども、あんたらがそんな甘い考えでおるんなら、あんたら企業とさしちがえましょう。? そんな気持ちでおる私らの心が、あんたらに、ちょこっとでもわかってもらえたらと…。無駄な日を費やしたかもしれんけれども、私らの子孫のためと思ってがんばってきた次第でございます。? そして、4年間という月日の間には、9人居った原告のうち、もはや2人という人が亡くなられました。まだこの上、長いこと引き延ばして、やれ高裁や、やれ最高裁やと、しちめんどうくさい法律上のことにかこつけて、この問題を解決しようとせん…この問題が解決したあかつきに、私らが生きておられると、そう思ってますか。そんなねえ、なまやさしいね、甘っちょろい考えで、あんたらよう、ほんでも、生きておるなあ。? 私も、愚痴ばかし並べましたけれども、一刻も早く、私らも病気にかかっとる以上、明日もしれんというさみしい気持ちでおるんです。一日も早く、勇気ある判決をいただいて、そうしてみんな仲良う笑って暮らせるような場を作ろうじゃありませんか。? どうか一つ裁判長さん、よろしくお願いします。」


 この裁判で原告側の言い分が通ったことはすでに述べました。
 その判決の報告の集会で、野田さんは次のように言いました。
 
 「まだありがとうとは言えない。この町に、本当の青空が戻ったとき、お礼を言います」

 この映画を観て、私自身いちばん衝撃的だったことを自戒を込めて書きたいと思います。
 私は上に見たように、この公害裁判では原告側の主張が基本的に認められ、企業側が厳しい規制を受け、幾分の後遺症はあるものの四日市をめぐる件は一応の決着を見たように思っていました。

         
       四日市コンビナートなう     漁師・野田さん 記録者・澤井さん
 
 しかし、それはとんでもない早とちりであることを思い知らされました。
 そのひとつは、コンビナートがくる前は、白砂青松の地であったこの磯津地区の変化です。
 人間を蝕んだ亜硫酸ガスなどを含む有毒な煤煙は、同時に海岸特有の松を始めあらゆる樹々を枯らしてしまい、結果として磯津地区には人家よりも高い樹木は一本も無くなってしまったのです。この地区を舐めるようにして撮す俯瞰図や鳥瞰図の中にもそれらしいものを目撃することはありません。灰色のイラカがただ立ち並ぶのみです。

 もうひとつは海です。かつて、磯津の漁港の目と鼻の先が豊かな漁場でした。しかし、この地区はおろかコンビナートから何キロも離れた海でも、もはや魚影を見ることはありません。海底から採取されたヘドロは、卵が腐ったような鼻持ちならない匂いを放ちます。まさに死の海です。
 いま磯津の漁民たちは、三〇キロ以上離れた他地区の海で漁をします。そして、そこでとれた魚も自分たちの港では水揚げできないのです。「公害の海」とレッテルを貼られたこの漁港の魚は売れません。従って彼らは、他の漁港での水揚げを余儀なくされているのです。

 もうひとつは、その後発病した人たちです。その地に住み続け、四日市ぜんそくや肺気腫とまったく同じ症状を示す患者は、その発症時期が遅かったばかりに何の保証も与えられません。というのは、前に見たこの裁判での成果の一つ「公害病認定制度」が1988年に経済界の圧力により廃止されてしまったからです。

 その後、あの公害裁判の被告企業だった石原産業がダイオキシンなどの不法投棄をしたり(2003年」、三菱化学が排水を海に垂れ流したり(2010年」する事件が起こりました。
 しかし、もはやかつてのように磯津の住民が立ち上がることはありません。以前の漁師町磯津は、今や半数の世帯の誰かがコンビナート関連工場に勤める企業城下町となってしまったからです。たとえ身内にぜんそく患者がいても、それを言い立てにくい雰囲気なのです。
 四日市は、実に後味の悪い「終わり方」を継続したしたままなのです。

 これらの公害が、高度成長下でなりふり構わず突っ走った無理が産み出したものであることは広く知られたところです。ところで、ここに現れている構図、どこかで最近見たことはありませんか。

 そうです、かの「フクシマ」がこれと同じ情況の中でいま暴走を続けているのです。そこで生み出されるものが何なのかもよく分からないまま、周辺の住民をモルモットがわりにした人体実験を継続しながら進行するテクノロジー、これらの存続をを許容することは四日市の悲劇を何万倍にも拡散するものであることを改めて痛感せざるを得ないのです。

 四日市は、その現実的問題においてもまだ終わってはいません。
 そして、それを生み出した構造においても、決して終わってはいないのです。

               
  プロデュサー・監督 阿武野氏   共同監督・鈴木氏     ナレーター・宮本信子さん

 地方局ゆえ特別な場合以外、全国で放映されないのは残念ですが、この東海TVは他にも多くの観るべきドキュメンタリーを製作しています。ところによってはこの映画の上映と同時にそれらの特集を組むところもあるようです。
 なお、宮本信子さんのナレーションが映像と融け合って素敵であったことを申し添えます。

以下の館で順次上映予定ですが、その後増え続け、地元三重県でも上映されるようです。

 北海道 シアターキノ 011-231-9355
 東京都 ポレポレ東中野 03-3371-0088 6/18~
 神奈川県 川崎市アートセンター 044-955-0107
 神奈川県 横浜シネマ・ジャック&ベティ 045-243-9800
 愛知県 名古屋シネマテーク 052-733-3959 今夏公開
 大阪府 第七藝術劇場 06-6302-2073 今夏公開
 京都府 京都シネマ 075-353-4723 順次公開
 広島県 横川シネマ 082-231-1001 順次公開
  (その後、増加中とのこと)


    <写真はネットの公式HPなどから借りました>

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Unknown (只今)
2011-06-18 10:29:13
 公害告発後、改作された二つの校歌。
 一つは、「炎を上げるスタアックが 限りない未来を照らす」が「心にひめた問いかけは 限りない未来をめざす」と代えられた四日市南高校校歌で、作詞者の谷川俊太郎はこう呟きました。
 =内心忸怩たるものがありますが、このまま歌い続けても、高度経済成長に酔ったぼくたちの過去を切実に自覚することが出来て、かえってよかったかもしれないとも思うのですが、どうでしょうか=

 今一つは、30余年前の東海テレビ・ドキュメンタリーで有名になった塩浜小学校の校歌。
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Unknown (六文錢)
2011-06-19 00:44:53
>只今さん
 校歌の改作、前者は知りませんでしたが、後者はこの映画の中で出てきます。
 谷川氏の呟きは分かりますが、それを延々と歌わされる生徒たちの立場になったら、改作はやむをえないでしょうね。
 自分たちの祖父母を殺した歌詞を歌い続けるのは・・・。
 歌という性格上<註>は付けられませんものね。

 似たような経緯のものに、敗戦を契機に改作された童謡などが多くあります。一度前に調べたことがあったのですが、あの抒情歌がという歌が戦争礼賛や戦意高揚の歌であったことに驚いた経験があります。
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Unknown (さんこ)
2011-06-19 21:46:29
澤田さんの記録は、「象」の始めの頃、連載で、載せてもらっていました。その粘り強い力を、尊敬していたと、おばママは、いいます。あの当時は、大森 めぐみさんという元気な女性も、活動しておいででしたが、今も、お元気なのでしょうか。
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Unknown (南部)
2011-06-24 12:42:23
お久しぶりです。
この映画は見たいですね。
先日高知市に行って、高知生コン事件40周年記念集会に参加してきました。
汚染地域に暮らす(あるいは暮らすことができるかできないかの瀬戸際の)人たちがやむにやまれず行動する、その人間的な思いと思想性の深さに打たれます。これからもきっとそうでしょう。
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Unknown (六文錢)
2011-06-24 14:47:35
>さんこさん
 返事が遅れました。申し訳ありません。
 たしかに澤田さんの記録するという活動はその継続性そのもので力たりうるものですね。
 また、それをさらに記録した東海TVに拍手です。

>南部さん
 お久しぶりです。
 この四日市の場合は結審以来38年ですが、様々な問題を残しながらそれらが希薄化され、日常の中に埋もれてしまっているのが実情のようです。

 すでにカタがついたと思われている公害問題など、今日の視点から点検しなおすことも必要なように思いました。
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