鹿児島県鹿屋市串良町柳谷地区。行政上の正式名は「やなぎだに」だが,地元では「やね
だん」と呼んでいる。この集落は人口315人,電車もバスの便もない。この小さな集落
が「過疎からの奇跡の復活」を遂げ,全国的にも注目を浴びている。06年までは下降をた
どり285人まで減った人口が,07年には増加に転じた。財政面でも豊かとなり,06年
にはに住む110世帯に1万円の「ボーナス」が渡された。
こうしたエピソードは麻生内閣の時,国会でも取り上げられ,一躍全国的な関心を集め
た。
1996年3月の柳谷公民館の総会で公民館長に選出された豊重哲郎(当時55才)氏
は,行政に「おんぶにだっこ」では,人もも育たないとし,集落を蘇らせるため,次の
ような施策を打ち出した。それは,「行政にたよらない村おこし」である。そして,高齢者
への福祉対策だけでなく,子どもも元気でここに住んで見たいと思える地域を目指す,との
目標を掲げた。
豊重氏はその実現には,まず資金作りが必要とし,減反政策で放り出されていた畑での特
産品のサツマイモ栽培を提案し,地元高校生に「イモ作りで儲けたら,東京ドームでイチロ
ーを見よう」と呼びかけた。当時のイチローはオリックスのスター選手。なれない畑仕事に
四苦八苦の高校生を見かねて,大人達が指導や手伝いをかって出た。やがて畑は世代を超え
た語らいの場となる。98年の売上げ7万円,00年は63万円,02年は90万円と収益
アップを果たし,見事イチロー観戦を実現した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/81/841941389417ce12288d372ec569c202.jpg)
「微生物を使って土着菌を製造」
さらに,地中の微生物に込めぬかなどを発酵させた「土着菌」づくりである。さらにそれ
を使ったサツマイモの有機栽培,そして有機栽培で育ったサツマイモを原料としての焼酎造
りと活動の幅を広げ,05年には収益500万円を得るまでに達した。
この収益金で,高齢者のための「緊急警報器」設置,手押しクルマの「シルバーカー」の
購入,子ども向けの授業料ゼロの「寺子屋」塾の設立・運営,さらには06年の住民への1
万円ボーナスと,着々と成功をおさめた。
自主財源の確保で,高齢者の元気を回復する一方,「若者の流出」にも取り組み,アーテ
ィスト限定で全国から若者募集を打ち出した。07年,豊重氏は,無人となっている「古民
家」を利用し,芸術家に限定しての無償での移住を呼びかけた。これに応じて,彫刻家,画
家,写真家,陶芸家などが移り住んだばかりでなく,やねだんの活気を知った集落出身の若
い世代が「子育てしたい」と県外から,Uターンしてきたのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/5e/e73c9588c2093931a53ca5cd1858ee8f.jpg)
「やねだんに移住した芸術家が住む迎賓館」
それまで閉店していたスーパーは「ギャラリーやねだん」として,作品の展示販売に活用
されるなど,無惨な空き家が貴重な財産として活用されている。やねだんの人口は131世
帯・315名となり,集落の過疎・高齢化に歯止めがかかったのである。
▼「やねだん」ブログ・バックナンバー
・やねだん4
・やねだん-2
・やねだん-1
![]() | 実践!地域再生の経営戦略―全国36のケースに学ぶ“地域経営”日本政策投資銀行地域企画チーム金融財政事情研究会このアイテムの詳細を見る |
お恥ずかしながら、現在、内之浦町大浦地区を舞台として小説を書いております(笑)。16年前当地を訪れて「ここに、写真家として住みたい」と思ったことが、原点です。
とはいえ、「写真家として食えるようになる」こと適わず・・・。
“自称芸術家”ではなく、本当に芸術家として一人立ちをしている方というのは、写真に限らず、どんな分野でもごく一握りじゃないのかな~と思います。
柳谷に集まった芸術家の方々って、どの程度の力を持った方々なんでしょうか・・・・。
ついつい意地悪く考えてしまいます。
あっ、でも昔、宝島に住んでいた頃、確かに画家先生が島に住んでおりました。で、やっぱり島の人たち同士では「あの先生、どうやって食っているんだろう・・」って、噂しあっていましたっけ・・。
とは言っても,私自身は,自分から「研究者だ」あるいは「学者」だと公言する奴は大嫌いです。芸術家,学者,あるいは研究者といった評価は,その人の業績,あるいは人となりをみて,第三者からの尊敬を込めての敬称と,私は考えます。
勤務した大学や研究機関では,これといった業績もあげず,創造性や独自性などないくせに,ぬけぬけと「研究者面」「学者面」する奴には,「お前ごときが学者面するな,研究者面するなと」,面と向かって罵倒していました。
ちなみに私は,「マーケティングの実務家」と,自称しています。
う~~ん、自分の疑問としては、柳谷の住民の方々と芸術家の方々の間で、『相思相愛』の関係を築けているんだろうかな~という一点です。(失礼な書き方となるかもしれませんが、現実。それじゃあ、鹿児島県民の方のうち、実際に“写真展”とやらに足を運ばれた経験のある方って、どれくらい???と同種の疑問という意味です)
ともあれ。小林先生も、ぜひぜひ一度は内之浦町大浦地区を訪れる機会があらんことを。そして、大浦小中学校の校訓「負けるな」を、ナマで見上げる機会があらんことを。