柳原白蓮は,明治十八年、柳原前光伯爵の次女として生まれ、九州の炭鉱王といわれた伊藤伝右衛門の許に嫁いだ。伊藤家へ嫁いだとき、白蓮は二十六歳。夫の伝右衛門は五十一歳で、ふたりのあいだに二十五歳の年齢の開きがあった。しかし屋根を鋼で葺いた「あかがね御殿」と呼ばれた豪邸に住み、その美貌と才能から「筑紫の女王」と呼ばれていた。
これ以前、白蓮は華族女学校を中退して北小路資武と結婚したが五年後に離婚(そのあと東洋英和女学校に入り、在学中に竹橋会にくわわり、佐佐木信綱に師事して歌誌『心の花』 に短歌を発表していた。
旧伊藤伝右衛門邸にひな飾り
筑豊の炭鉱王の邸宅として知られる飯塚市の「旧伊藤伝右衛門邸」に,ひな祭りを前に,2000点以上のひな人形やひな飾りが飾られました。
飯塚市内では,「福岡いいづか雛のまつり」としてまちの至るところにひな人形を飾る催しが行われていて,かつての炭鉱経営者の邸宅「旧伊藤伝右衛門邸」でも,それぞれの部屋に合わせて2300点あまりのひな人形やひな飾りなどが飾られています。
このうち,およそ20畳の広さがある本座敷では,ひな人形などおよそ750点を使って,舟遊びなどみやびな宴の様子が表現されています。
また,茶の間には,江戸時代や明治時代に作られたひな人形などが飾られ,表情の違いなどを見比べることができます。
催しは,3月28日まで行われます。
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炭鉱の歴史を伝える町・飯塚(いいづか)
福岡県のほぼ中央に位置する筑豊地方の飯塚市 https://www.city.iizuka.lg.jp/ は、かって石炭採掘地として大いに栄えました。市内に今なお繁栄の証が残こります。
●石炭で栄華牽極めた飯塚
筑豊地方はかつて石炭鉱業で栄えました。石炭の本格的な採掘が始まったのは,明治時代に入ってからのこと。初めは人々が自由に採掘していましたが、日本の近代産業の発展にとって石炭は重要なエネルギーとみなされるようになり、明治20年代(1887~1896)には大手企業が採掘に着手するようになり,住友や三菱といった大財閥も進出し、筑豊炭田の採炭量は年々増え,明治30年には年間約272万トン、国内シェア52パーセントを占めるという,一大産業へと発展したのです。
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飯塚市内には,石炭産業の発展に大いに貢献した人物ゆかりの邸宅が今も残っています。「麻生大浦荘」は、「筑豊御三家」のひとつに数えられた麻生太吉の長男・太右衛門の住宅。大正末期の建築といわれており、数寄を凝らした和風入母屋書院造りが美しい邸宅でも秋の紅葉特別公開では、普段見られない内部を美しい紅葉とともに楽しむことができます。
※旧伊藤伝右衛門邸
月島,安川,麻生の筑豊御三家に並ぶ“筑豊の炭鉱王”と呼ばれた,「旧伊藤伝右衛門邸」もその一つです。明治43年に妻を失った伝右衛門は翌年、歌人・柳原白蓮(輝子)と再婚。50歳にして25歳の若き花嫁を迎え入れることとなった彼は、日本建築の粋を集めて家を改築しました。欄間に施された精巧な細工、帯地や着物をほどいて混ぜ込んだ布壁や、竹を組んで作られた網代天井などJ細やかな美の技法が随所に見られます。
「白蓮事件」だが
いわゆる、世に名高い 「白蓮事件」だが、ここで一気に、夫であった伊藤伝右衛門と愛人の宮崎龍介の存在がクローズアップされる。
なかでも伝右衛門は、妻に絶縁状を叩きつけられたうえ、妻に逃げられた夫として、多くの人々の好奇の眼にさらされ、立場を失う。しかし伝右衛門は、その後の新聞記者などのインタビューには、「自分には思いがけないことで、まったく心当たりがない」、というだけで、あからさまに白蓮を批難することはなかった。
一方、龍介も白蓮を拐し、かくまった男として伝右衛門に劣らぬ好奇の眼にさらされたうえ、世間のあまりの反響の大きさに怖くなって一時は姿をかくし、白蓮ともども姦通罪で告発されることを怯えるうちに、肺病になった。
このあたり、白蓮の終始毅然とした態度に比べて、男の龍介はどこかひ弱で腰が定まらない。
事件に関する世論は、初めのうちこそ白蓮のほうにやや好意的であったが、伝右南門の余計なことを語らず、逃げていった妻への寛容な態度を見るうちに、白蓮の我儀とする意見も増えてきて、賛否両論から、やがて白蓮非難のほうが勢いを増してきた。とくに女性のなかに、白蓮の行動を支持する人が少なかったのも、意外といえば意外であった。
柳原白蓮 [ 井上洋子 ]
好きでもない親子程年の離れた、お金は沢山持っていても、学歴のない人と結婚させられ、聞かされていない妾との間の子供や、元妾が同居していたり・・・とんでもないところに嫁いでしまったものだ,との後悔も後の祭り・・・。
白蓮れんれん [ 林真理子]
「筑紫の女王」と呼ばれた美しき歌人・柳原白蓮が、年下の恋人、宮崎龍介と駆け落ちした、世に名高い「白蓮事件」。華族と平民という階級を超え、愛を貫いたふたりの、いのちを懸けた恋ー。門外不出とされてきた七百余通の恋文を史料に得て、愛に翻弄され、時代に抗いながら、真実に生きようとする、大正の女たちを描き出す伝記小説の傑作。第8回柴田錬三郎賞受賞作。
大正十年(一九二一)十月二十日、白蓮は夫とともに上京した機会をとらえて、突然行方をくらまし、翌々日の朝日新聞に、夫、伊藤伝右衛門に対する絶縁状が掲載された。
この日の朝日新聞の社会面は白蓮と龍介の写真とともに、全面をつかって白蓮の失踪事件を伝え、「同棲十年の良人を捨てゝ、白蓮女史情人の許に走る」「冷たい涙の同棲十年の生活、坑夫上りの無理解に虐げられた艶姿」といった見出しが躍っている。
絶縁状はたしかに白蓮が書いたものだが、新聞にまで公表されたのは、いち早く白蓮出奔の噂をかぎつけた同社の記者をおさえ、伊藤家から無事脱出するための交換条件でもあった。
●筑豊の銘菓
ひよ子本舗吉野堂 博多ひよ子サブレー(8枚)I81V21
炭鉱で栄えた頃に、筑豊には多くの菓子処ができました。「千鳥屋本家」の「千鳥饅頗」や「ひよ子本舗吉野堂」の「ひよ子」は、九州を代表する名菓として,いまに知られています。
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┗■ 飯塚市アクセス情報
■JR九州
【福北ゆたか線/直方・折尾方面】
博多駅→新飯塚駅 快速40分
【鹿児島本線-筑豊本線】
小倉駅→折尾駅→新飯塚駅 快速67分
【日田彦山線-後藤寺線】
小倉駅→田川後藤寺→新飯塚 90分
■西鉄バス
【筑豊特急/飯塚・田川行】
西鉄天神高速バスターミナル→飯塚 約55分
【筑豊特急/でんえもん号】
西鉄天神高速バスターミナル→嘉穂劇場
→幸袋・旧伊藤伝右衛門邸前 約64分
■九州自動車道
福岡インター→八木山バイパス(穂波東IC) 約40分
八幡インター→国道200号バイパス 約40分
鳥栖インター→国道200号バイパス(冷水有料経由)約60分