My Own Way~I am me~

悪性リンパ腫(ホジキンリンパ腫)の
現在進行形闘病記録&自己満日記

今年初採血結果

2006年01月18日 13時19分10秒 | 採血結果
白血球6800
赤血球30700低
血色素9、5低

血小板120000低
CRP4、2高

今日は今年初の病院でした!
採血結果は炎症がやはりまだ高かったけど、他はノープロブレムで、造血機能もけっこう回復していて、良かったです!あとはほんと腰だけなんだよなー。

帰りに入院していた病棟にも寄って、ナースちゃんに軽く挨拶してきました。同じ病室にいた病気仲間も、とりあえず元気で安心。行く先々で、「太ったねー」といわれ、「元気そうだ」と言われた。
こう闘病生活が長いと、人の生き死にを嫌でもたくさん見らされて来たけど、これに慣れるということは絶対ないね。毎回、ほんとショックで悲しくて、それが頭からはなれなくなる。今でもそう。
でも、いつか人間は死ぬ。おれだって、友達だって、親だって。早いか遅いの違いだ、と自分に言い聞かせる。死ぬために生きている。いつ死んでも後悔がないような濃密な人生を送ってほしいといつものようにみんなに訴えつつ、おれもこれから改めて、深みがあり濃厚で楽しい、オリジナルな人生を生きて行きたいでやんす!

今日は「交渉人・真下正義」みま~す♪

最後に本に出て来た好きなフレーズをひとつ。
「なにかをはじめるということはなにかを捨てるということだ」


野洲が優勝

2006年01月09日 21時28分27秒 | Weblog
今日は、高校サッカーの決勝戦、鹿児島実業対野洲がありました!ほんと高校生かって思うほどうまい選手ばかりでびっくりして、興奮して見てました!
基本的なことを確実にできてた気がします。
トラップとかボールをもらう動きとか、常にゴールを意識してるプレーだから、みてて楽しいんですよね。

日本は、他の国に比べると、ドリブルよりパスを重視する傾向があるから、ゴールにむかってドリブルするプレイヤーが少ない気がします。だから、メリハリのない試合になることが多いのです。日本にエースストライカーが生まれないのも、ナァナァ的な日本の社会的環境が影響してる気がします。枠からはみ出ては行けないという暗黙の社会協定。

マラドーナの五人抜きとまでは言わないけど、あーゆープレースタイルのチームになってほしいです。たとえ、残された時間が少なくても、その状況を一人で、いや、一瞬で打破できるようなファンをあきらめさせないプレイヤーが日本には必要です。

その点で、今日の試合は未来の日本サッカーを変革していくであろうという希望に満ちた光と、世界に通用するチームを築き上げていくことがここ日本でもきるのではないかという尽きることのない可能性を私たちに与えてくれたのではないかと思います。



ホジキンリンパ腫闘病記録

2006年01月04日 12時47分59秒 | 闘病記
●17歳(高校3年生)2002年
8月 血痰出はじめる。
9月 空咳が出始める。
10月 検査入院。肺が真っ黒。微熱と、肩のリンパ節腫れはじめる。
    肩のリンパ生検、肺生検するも、病名わからず。
11月 食事療法(マクロビオティック)をはじめる。
    砂糖、動物性食品、油脂類を一切食べないようにする。
   (2004年9月までの2年間続ける)
12月 医大に検査入院。
    縦隔生検により、ホジキンリンパ腫4期と判明。
●2003年
1月 地元の病院で治療開始。
   ABVD療法1クール目
3月 18歳になる。
   愛犬ちゃっぴーが、死ぬ。
5月 友達家族が千羽鶴を折ってくれる。
8月 ABVD療法5クール終了。
   髪は抜けなかった.
   4クール目と5クール目で、CTの影の大きさ変わらず、
   残骸であるか、薬が効いていないかのどちらかであると
   いうことになり、経過観察することにする。
9月 PET検査で、胸腺に米粒大の集積みられるも、治療が嫌で様子を見る。
   
11月 見事に胸腺が腫れ始める。
12月 治療がいやで、民間療法(食事療法、ビワの葉温灸など)で治そうとがんばる。
●2004年
2月 病気の進行による栄養失調になる。
3月 胸水左肺に2,3リットルたまる。手足、パンパンにむくむ。
   自分の家の前の階段すら登れなくなる。
   19歳になる。
4月 病院に入院
   体重37キロまでおちる。骨皮になる。
   ステロイド、アルブミン点滴により、胸水、むくみなくなる。
5月 医師に治療勧められるが抗がん剤がトラウマになり、拒否る。
   あきず民間療法(ヒーリングなど)で治そうとする。
   笑えなくなる。
6月 高熱が出始める
7月 視神経がおかしくなり、目の焦点があわなくなる。
   寝たきりになる。
8月 舌下神経がおかしくなり、舌が動かなくなり、話せなくなり、
   食べ物もうまく食べれなくなる。
   親友の一人が、急死する。
9月 再入院
   頭、鼻、肺、肝臓、脾臓、脇、首、あご、胸のリンパ節が腫れる。
   あごにゴルフボールができる。
   BEA-COPP治療開始。これが効かなければアウト宣告される。
   このまま、死ぬんだろうなーと思う。
10月 運良く、治療が効き始める.
12月 BEA-COPP治療5クール終了。
    髪、ここでも抜けず。
    体重55キロまで戻る。
    東京の駒込病院にセカンドオピニオンに行く。
●2005年
1月 ほとんどの腫瘍がなくなる。奇跡に近い.医者も正直、びっくりする。
   自家移植のための幹細胞採取をする。
   4回やり、ようやく1回分の幹細胞がとれる。
   はじめて、髪抜けてツルツルに。
2月 落ち着いていた病気がまた、動き出し、胸がはれ始める。
3月 ステロイドで病状を落ち着かせて、自家移植をする。
   高熱が1週間以上続く。
   2週間ほどで生着する。同時に20歳になる。
4月 PET検査で取り込みなく、寛解!!!
   高校に復学する。
   髪ツルツルで行ったら、学年が2ケ下のクラスだったので
   かなり、ひかれる。
5月 寛解のはずが、また、胸腺腫れ始める。
   放射線治療(マントル照射)、頭、首、肩、胸にかける。
   学校を2週間ほど行き、しんどくなり、また、休学する。
6月 放射線治療1ヶ月間終了
   動物性食品でも砂糖でも多少食べるようになる。
   自分の細胞1個1個と会話するようにする。
7月 ガリウムシンチで取り込みなく、経過観察に。
   貧血続き、赤血球輸血。とにかくだるい。
   リリモコ(犬)を飼う。
人生最大に太る。良い事だけど、悲しい.
8月 PET検査で、腰椎、腸骨、胸に集積みられる。
   腸骨生検する。結果はシロで、悪いもの検出されず。
   リリモコ、ご飯の食べすぎでケイレン起こす。
   ガンが治ると言われている秋田の玉川温泉に一人旅に行く。2泊三日。
9月 腸骨生検した所が痛くて、動けなくなる。
   笑うことに本腰を入れる。
   水分(海洋深層水硬度300)を1リットル以上はのむようにする。
   死に対して恐怖が薄れる。人は死ぬためにいきているらしいから。
10月 ミニ移植を受ける準備をする。母親とHLA(遺伝子型)が
    一座不一致で適合し、母とミニ移植できることが正式に
    わかる。
    札幌にセカンドオピニオンに行く。
    非血縁者(他人)との同種移植をすすめられる。
    腰がだいぶ楽になり、ガンが治ると言われている、秋田の玉川温泉に一人旅に
    行く。9泊10日。
11月 東京、築地の国立癌センターに見ミニ移植の打診をする。
    実験的治療になると言われる。
    母とのミニ移植をすすめられる。
    成功率30%くらい。というか、前例が
    少なく、データがない。
    治療に向けて入院する.
    腸骨生検(前回より正確に)。結果は、またもシロ。
    しかも、炎症が下がり、かなり、体調良くなる。
    ガリウムシンチをとっても、8月と比較して
    変わりなく、病気は進行していないことがわかる。
    しかも、前回あった取り込みが一部なくなる。
12月 体調が良く、生検しても悪いものが検出されないので
    ミニ移植は白紙になり、経過観察になる。医師も首をかしげる。
    また、生検したところが痛くなり、寝たきりになる。
●2006年 
1月 腰がよくなってくる。
    現在にいたる 
 
これからの予定
4月 定時制高校に編入。
6月 自動車普通免許を取得。
7月 背が伸びはじめ、175センチになる。
8月 楽なバイトを始める。
9月 社会人サッカーはじめる
●2007年
 ハーフマラソンにでる。


中学校の同窓会

2006年01月04日 10時29分40秒 | Weblog
昨日は中学校の同窓会に行きました!連夜の同窓会。。。
1次会はオークランドの6階で、飲み会してから、ボーリング、
2次会はシダックスでカラオケでした。
人数は少なかったけど、思った以上に楽しかったっす!!!
明日、明後日はゆっくりしよう。

高校の同窓会

2006年01月03日 13時12分32秒 | Weblog
昨日は、高校の同窓会に行きましたよ。
みんな元気そうでなによりでした!
1次会は白木屋、二次会はシダックスでカラオケで、12時くらいに
家に帰ってきました。
やっぱり、3年のブランクは感じたっすね。
少しずつそのブランクを取り戻していければいいなと思うわけです。